第四五話 Two Priories
小さな家の目の前で立ち止まる。
私は憧れていたワンルームを作ったのだ。広い部屋はどうも落ち着かない。家族の持ち家は狭い部屋でも十畳あったため、全員消してからもほとんど台所で過ごしていた。
持ち物などまったくなかったから、六畳一間のワンルームを作っても持て余すくらいだった。それでも本や服の替えを詰め込んでいるため、がらんとした部屋という印象はない。
本はいい。余計なことを考えなくてもいいし、小説の登場人物は誰も私を知らない。本は私に話しかけてこないのだ。だから私はいらいらせずに済む。
私が頻繁に読みたいと思うものだから、本だけはどんどん増えていった。今では部屋の三分の一が小説なり、教養書だったりで埋め尽くされている。
教養書といっても歴史や科学、雑学のものばかりで、外国語の本は一冊もない。十二歳から学校へ行かず一人で暮らしてきたため、アルファベットと簡単な単語が分かる程度なのだ。それも Hello, red, cat, Abilityといった、本当に基本的なものだけだ。
プレハブのように小さな入り口の取っ手を掴むと、後ろから声がした。
「ほんっとすげぇなー」
私はとっさに身構えて振り返ったが、すぐさま視線をずらした。
さっき殺したはずの男が、ぼさぼさの頭を掻きながら立っていたのだ。素っ裸で。
「……どういうからくりなの」
信じられない。なぜ生きている? そう思いながらも、男のほうは見ずに尋ねる。
「んー? ああ、これなー。おれの技量なんだぜ」
男は軽々しく言ってのける。気の抜けた話しかたをするから、私まで力が入らなくなるではないか。
不死身の
ただ一つ、あるとすれば、昔話の――――
「なあ、ちょっと話そうぜ。時間はあんだろ?」
しつこい。
私は単純な感想を抱いた。男は私の返事を待たずに手を差し出す。
「おれは
私は横目で、そいつの手のひらだけを見ようと努める。
「……その手はなんなの?」
私には差し出されている右手の意味が分からなかった。へし折れとでも言いたいのだろうか。
「これは今後も仲よくしようぜっていう挨拶だ。握手すんだよ」
不死川と名乗る男は歯を見せて笑う。その挙動が私をいちいち腹立たせた。
「だったら、手を握り返す必要はない」
不死川がずっと手を下ろさないので、私は当たり前のことを言った。
「最近はつええ技量のことを
「…………」
不死川は私の言うことを聞きもせず独りごちた。いや、これは独り言なのではなく、ひょっとしたら私に話しかけているのかもしれない。
「慣れねぇんだよなー、横文字ってのは」
「…………」
横文字が苦手な年には見えない。それって、六、七十代以降の人間が言いがちなことじゃないのか。不死川はいったい何歳なのだろう。それよりも――
「最近は看板も横文字ばっかだろ? おれほとんど意味分かんねぇもん」
「あのさ、服着てくれない?」
私は今自分の家の入り口を見つめているが、ついに耐えられなくなってそう言った。
すると不死川の足元に衣類一式が現れる。私が思う男物の服だ。ヘンリーネックの黒いトップスに、ベージュのチノパン。それにエンジニアブーツ。下着や靴下まである。コーディネートはさておき、どれもぴったりのサイズになっているはずだ。
「おお、ありがてぇ」
不死川は足元の服の山を拝むと、下着とボトムスを履きはじめる。
間接的には私が破いたのだというのに、不死川は感謝している。お前が破いたんだろ、とはっきり言えばいいのに。
「着物だけはまた買ってくるか」
「…………」
不死川はおそらく先ほどのように着物を身につけたいのだ。
私には着物を欲しがる理由が分からない。今どき、日常的に着物を着る者などいないだろうに。理由が気になるが、自分から尋ねるのは気が引ける。
こういう時、私はいつも思うのだ。
――どうして着物を欲しがってるのか話しなさい
「おれさ、武士を尊敬してんだよ。だから、和の心だけはいつも表現しようと思っててな」
不死川はトップスとブーツを履きながら、独りでに答えた。
私が思ったから理由を言うことになったのだと知らずに。
「……武士なんてもういないのに」
本当に分からなかった。もちろん時代劇や歴史ものの話を好む人は多くいるが、身にまとい続けたいと思うほどの武士リスペクトなど、そういないのではないだろうか。それに勝手な印象だが、不死川はたいしてお金をもっていなさそうだ。買えるのだろうか。
私はため息をついた。
――――さっき着てたのと同じような着物を与えたい
私の目の前に、草色の着物が現れた。
「お?」
不死川が何度かまばたきをする。先ほどまで着ていたものに酷似した着物が現れたのだ。無理もない。
私は着物を拾って、不死川に向かって放り投げる。
「おお! 嬢ちゃん、ありがとな」
不死川は着物を受け止めると、目を細めて礼を言う。私が与えた洋服を脱ごうとはせず、上から肩に掛けるようにして羽織り、腕を組んで得意げにしている。
私は心臓がかゆくなったような気がした。それに嫌悪感が私の心臓をちくちく刺してくるような気もする。今すぐ心を
「そんで、嬢ちゃんは指名手配されてんだよな?」
不死川は私の家の近くにある岩に腰かけて言う。
さっそく着物が汚れそうになっている。私は落ち着く場所がなかったので、不死川からは距離をとって草の背が低いところに立っていた。
「……そうだけど。あんたが警察の関係者だったらまた殺す」
私には物騒なことしか言えない。それは分かっていたが、今のはないだろうと思った。
「まあ、関係者っちゃ関係者だな」
「…………!」
私は体をこわばらせた。相手が死なない場合、どうしたらいいのだろう。
「まあまあ、嬢ちゃん落ち着けって。さっきので分かったんだけどな、きっと嬢ちゃんはおれのことを殺せない」
「……何が言いたい」
私は正直、気になっていることを聞く流れができてよかったと思った。あわよくば弱点などの情報を収集しようと思っていたのだ。
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