第二三話 外へ

 里佳は屋敷の外へは二度しか出たことがない。二日目に嵐のなか扉を開けて散々な目に遭ったときと、その翌朝索田の車に乗せてもらって橋まで行ったときだ。今この瞬間、三度目を体験することになる。



 沓摺くつずりをまたいで一歩外へ出た。空に鎮座した太陽がさんさんと照らしているのは、手前と左右に広がる大きな庭だ。


 玄関からは大人四人分くらいの幅の石畳がまっすぐ伸びている。隙間にはところどころうっすらとこけがむしていて、実に趣深い。石畳に引っ張られた先にはれんが造りの塀があり、黒い柵が玄関を守っている。


 石畳の左右には膝下くらいの高さの花が植えられている。まるでれんが造りの塀を見習って一生懸命に石畳を守っているかのようだ。それらは皆が皆無造作に顔を出しているのではなく、ちゃんと規律正しく咲き誇っていた。

「改めて見てみてもすごいなあ」


 柵の向こうには舗装された道路が垂直に交わっており、索田は以前ここに車を付けて里佳を乗せてくれた。そのため、里佳は玄関を出てただまっすぐ車へと進めばいいだけだったのだ。だから里佳はこの屋敷の側面がどうなっているのかを知らない。里佳が二階の部屋の窓から見下ろしたときには庭が広がっていたと思う。日の入りを見たことがないので、おそらく東向きの窓だ。


「こっちへおいで」

 索田が里佳の手を引いて左へ向かった。まさに東側の庭を通っていくらしい。

 東側にも石畳があり、その上を歩いて裏へ回る途中に地面より一段高くされたテラスがあった。屋根がついていて、四隅の柱と屋根につたが張り巡らされている。中央から少しずれたところにテーブルと二脚の椅子が置いてあった。色鮮やかで特にきれいな花ばかりが、これでもかというほどプランターに植えられてテラスを囲んでいる。大きなガラスの入り口から出たところのようだが、カーテンで遮断されていて室内を見ることができない。

「索田さん、これってどこの窓から出た場所なの?」

 里佳の興味メーターは庭へ出てからずっと高まっているが、これが一番気になると判断した。ガラスの入り口を指さして尋ねる。


「ああ、それは書庫の勝手口だよ」

 索田はテラスに見向きもせずさっさと通り過ぎる。

「書庫があるの? すごい!」

 里佳は飛び跳ねた。索田はまだ里佳の手をつかんでいたものだから、衝撃が伝わって索田の腕も縦に振られた。

「あるよ。君には案内したことがないけど」

 里佳の目はきらきらと輝いた。なぜこれまで案内してくれなかったのだろうか。

「いいなあ。今度行ってみたいなあ」

 索田が足を止め、握っていた里佳の手をそっと離した。里佳のほうを見て笑顔で言う。

「いいよ、連れて行ってあげる」


 索田が足を速めたことで、里佳は風景を通り越すことしかできなくなった。だが、見たとしても「すごい」くらいしか言えないだろう。芸術作品を目の前にした素人はただただ目の前のそれに圧倒されるばかりで、ありきたり以下の言葉でしか感動を表せないものなのだ。


 ――――――――----‐‐


 索田の屋敷で世話になりはじめて以来、実に丸一週間という時を経て、ついに屋敷の外で過ごす日が来た里佳だった。三日目に崩壊してしまった橋はきれいに元通りになっている。


 だが索田の車の後部座席に乗せられている里佳の表情は落ち着かない。そればかりか小声でずっと持論と持論を戦わせあっている。

「しまった……髪を下ろしたまま来ちゃった。服に合わないよね? というより、行く場所によってはマナー違反になっちゃうかも」


 索田はそんな里佳のぼそぼそ話す声を聞いて笑う。赤信号で止まり、索田が右上に視線をやってルームミラー越しに後部座席の様子を見ると、里佳の左胸にアンモライトが輝いているのが見えた。索田はわずかに目尻を下げる。


「――里佳ちゃん、外の景色は見なくていいの? 車酔いしてしまうよ」

「大丈夫。私、乗り物に強いんだよ」

 里佳は力こぶを作って見せた。といっても、信号が変わってアクセルを踏んだ索田には伝わらなかった。

「ならいいけど……」

 索田はしこりの残る言いかたをしたのだが、里佳は髪が気になってしまって何も聞いていなかった。すでに屋敷から三十分のところまで来ているこの車が、索田の行きつけのカフェへ到着するのはもうすぐだ。

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