第十二話 奇妙な同居人

 里佳はふと和登のことを考えた。


 和登は索田の奇妙な同居人だった。十一年も一緒に暮らしているというのに、聞くと二人は親族ではなかったのだ。しかし索田は和登を我が子のように可愛がっているらしい。索田本人が言っていた。

 そして、和登は誰がどう見ても索田に懐いている。いや、懐いているというよりも、索田に対する忠誠心が高いようだった。少なくとも里佳にはそう映っていた。


 そんな和登は里佳の部屋の清掃だけでなく、この広い家の全てをたった一人で掃除してまわっているようだったし、里佳の食事も毎食十分すぎる量を作ってくれていた。それも、いつでも舌を巻くほどの美味であった。店を開いてもやっていけるレベルだと里佳は確信している。

 里佳は一度家事の一部を手伝うと進言したが、家事を手伝わせようにも里佳は不器用すぎるとみえたのか、「俺がすべてやるのでお構いなく」と断られてしまっている。そのため、この三日で里佳には和登に対して返しきれそうもない恩が積もってしまったのだ。なお、和登を前にしても特に心拍数は上がらない。



 里佳はダイニングテーブルにある十の椅子のうち、和登から初日に促された席につき、隣に座った索田を横目で今一度見る。


 今日は中世の宮廷貴族を彷彿ほうふつとさせる装いだった。太ももくらいの長さをした濃紺のナポレオンジャケットを羽織はおり、黒いパンツはこれまた黒いロングブーツにきっちりと納まっていた。白いシャツの首元にはレースのフリルをのぞかせている。黒のベストでジャケットの内側をすっきりとした印象にまとめているだけでなく、ベストのボタンには左右をつなぐシルバーのチェーンがあしらわれており、見事に豪華さが演出されていた。

 ゆるいウェーブがかかった長髪は後頭部でゆるりと一つにまとめられていて、明るいベージュの後れ毛が今日も順調に大人の色気を主張している。耳には片耳ひとつずつピアスの穴があいていたが、今日も変わらずうすい黄緑色のファイブロライトだった。

 索田は存在そのものが芸術作品であると里佳は確信している。人間の生き血を吸って何百年も生きているかのようになめらかな白い肌、寸分たがわず整った顔立ち。は本当に現代を生きとし生けるものと同じ人間なのだろうか、と里佳は見るたび悩まされていた。


 一方の和登はさらさらした黒髪をしているが、ざんぎり頭をそのまま伸ばしでもしたのか髪たちの一部が頭の上でぴょんぴょん跳ねまわっている。一か所として同じ長さに揃っているところはない。縦にざくざく切った前髪を今は三本のヘアピンで留めている。和登はたいてい家事をするときにこうしており、していないときはエプロンの胸元にヘアピンがざくりと刺してあった。

 そう、和登は里佳に初めて紅茶を出してくれたとき以来いつも白いエプロン姿なのだ。エプロンの内側には黒のハイネックが見えるが、索田が先日里佳に「彼は夏以外いつも黒のハイネックなんだよ」と教えてくれた。それを受けて里佳は、和登がビル・ゲイツリスペクトなのだと思うことにした。

 そして里佳は今のところ、不愛想な和登が笑うのを見たことがない。その反面索田は笑顔を振りまいてばかりで、なんだかかえって胡散うさんくさかった。


 里佳が索田と和登の姿を目で追って見比べていたところ、和登が不審者を見るかのような表情をし、索田は視線に気づいてウインクを送ってきた。里佳は顔を真っ赤にすると、ぱっと視線をそらし、今日の昼食を見つめる。

 今日はオムライスだった。和登には悪いが、宮殿のように豪奢ごうしゃな造りのテーブルや椅子、カーペットなどに対して明らかに場違いなオムライスは、テーブルクロスの上にちょこんと置かれてとても居心地が悪そうだ。里佳はなんとなく『最後の晩餐ばんさん』を連想する。あそこから十人くらいと十人分くらいの食べ物を消し去ると、だいたい今の状況と一致した。


 それにしても、索田の好物は意外にもハンバーグやオムライス、ナポリタンといった料理なのだという。しかも朝食からだ。里佳は索田・フランス料理・和登の執事姿、の三点セットが頭に浮かんでくるのを振り払うと、スプーンをオムライスの尻に刺して一口目をすくいあげながら、索田に尋ねたいことを頭の中でまとめはじめた。


「和登くん、今日のオムライスも絶品だね。この口の中でふわっととろける玉子……焼き加減が僕の好みに完璧に合っている。君は本当にどこの料理人としてもやっていける腕前だよ。もちろん料理以外のことでもね」

 索田はオムライスにほうけながら和登のことを絶賛している。これは毎食時の儀式の一つだ。和登はきらきらしたで「ありがとうございます」と反射的に答えたが、言い終わるや否や深く座りなおして改まった。

「でも俺は、先生の恩に報いるためにここで一生働くと決めたんです」

「ふふ、ありがとう。僕も君のような子がここにいてくれるのが何よりうれしいよ。さ、学校へ行く準備をしておいで」

「ありがとうございます。では朝の家事を終えたら行ってまいります」


 里佳は二人のやりとりには加わらず考えにふけって黙々と食べていたが、今耳にしたことが気になってつい反応した。

「え、和登さんって学生なの?」

 和登はたしかにとても若く見えるし、髪型に加えて光の当たり加減によっては瑠璃色に輝く瞳が特徴的な、少年らしさが残る風貌をしていた。しかし里佳は、和登が索田の家に住み込みで手伝いに来ている「助手」なのだと聞かされている。

「そうだよ。君が来たのが金曜の晩だから、気づかなくても無理はないね」

なに学生なの?」

 里佳はなおも尋ねる。

「今年十九歳になる高校生。そして来年度卒業するんだよ」

 里佳には尋ねる理由が増えた。十九歳といえば大学一、二年生の年だ。

「今年十七歳の間違いじゃないの?」

「いいや十九歳だよ。僕が和登くんの誕生日を二年忘れるなんてこと、ありえないからね」

「うーん……?」


 索田は疑問を残すような答え方をする。数秒考えても里佳には自力で答えを出すことができなかったため、困った末に和登を見ることにした。和登はいつも必要最低限の返事とここでの暮らし全般のことしか話さない人間だが、質問するとたいていのことをよどみなく答えてくれるのだ。気になる、教えてくれ、という里佳の念を察知したのか、和登は答えた。

「十九ですよ。僕は中学から二年遅れて入学していますので」

「どういうこと?」

 里佳は反射で聞いた直後に後悔した。

 中学に遅れて入学するなど、海外に行っていたとしてもあまり説明がつかない異常事態だ。和登はなんらかの理由で教育を受けさせてもらえなかったに違いない。その仕打ちを索田がしたとも思えない。里佳はみぞおちの奥あたりが痛くなるのを感じた。そんな里佳のほうに向きなおり、索田は少しいじわるな笑みを浮かべる。聞いて後悔しているだろう、とでも言うかのように。

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