第十話  THIRTY-SEVEN

 ダイニングに案内されてからきっかり二十分後、里佳の前にハンバーグと野菜スープ、そして白米が出された。


「おいしそう。これを二十分で?」

 里佳がよだれを垂らしそうになりながら聞くと、和登はエプロン姿でうなずいた。

「はい。と言っても夜中なので豆腐のハンバーグですが。召し上がってください」

「ありがとう。それじゃあ遠慮なく」


「いいねえ、僕の分もあるのかな?」

 里佳が和登とやりとりをしているなか、においに釣られたのか索田が廊下から顔を出した。

「もちろんです。先生の分も今お持ちします」

「ありがとう。ご飯は無しでいいよ」

 和登には索田が欲しがるのを察知できるのか、すでに二人前作ってあるようだった。


 索田が里佳の隣に座る。隣といっても、このダイニングはとんでもない広さである。椅子同士はそれぞれ二メートル弱ずつ離れているのだ。くすんだ赤地に金の刺繍ししゅうが入った分厚いカーペットの上には、純白のクロスを敷いた長いテーブルがあって、椅子が十も設置されている。里佳は他に誰が座るのだろう、と考える間も惜しんで野菜スープを口に運ぶ。

「ううう、おいしい! あったまる~」


 今日索田と和登がとった食事の一つに、野菜をふんだんに使った中華春雨スープがあった。和登は余った野菜を冷凍しておき、今回弱火で解凍して味付けを変えたのだ。和登が索田の分を運んできたとき、里佳はスープに入っている細い筋状のものをスプーンですくって眺めていた。

「もしかして、これってしょうが?」

「はい」

「だからぽかぽかしてきたのかぁ」

 しょうがを入れると温まるのは本当だったのか、と里佳は感動する。

「すごくおいしい! 味はコンソメ?」

「いや、鶏がらです。あとしょうがを摂取して体が温まるのはもう少ししてからです。今は熱いスープを飲んだことでそう感じただけかと」

「う……」

 里佳は二つほど指摘されても何も言い返せない。これまでに兄が作ったものの具材や味の正体を何度か当てようとしたことがあったが、その都度ことごとく外していた。

「いいなあ、和登くん」

 ナプキンを折りたたみながら索田がつぶやく。里佳はその様子を見て、自分の右に置かれたナプキンがそのままの位置にあることを悔やんだ。


「里佳ちゃん、僕にもフレンドリーにしてくれていいんだよ」

 カトラリーを持った索田はそう言い、ハンバーグの端を少しだけ切った。もう少しれしく接してほしいらしい。索田が言いたいのは、おそらく敬語を使うなということだ。里佳はスープのにんじんを軽く咀嚼そしゃくしながら首を振る。

「いえいえ、索田さんは顔面的に無理というか」



「が、顔面的に、無理…………顔面……?」

 切ったハンバーグをフォークで刺したままの姿で索田が固まった。笑顔を張りつけたまま、今言われたことを反芻はんすうしている。どうしたのだろうとしばらく眺めていた里佳だったが、伝え方を間違えたことに気づき慌てて訂正する。

「あ、違うんです、違うんです。私、顔が整ってる人への苦手意識があるんです! あと雰囲気からして年も上みたいですし」


 今度は部屋の出入り口に向かう和登が一時停止したような気がしたが、里佳は索田に弁明することに夢中だ。

「そうだね、たしかに僕は三七だから里佳ちゃんとはずいぶん離れているだろうけど」

 最後には里佳の固まる番が回ってきた。


「さ…………さんじゅうななーーーー!?」


「あ、フレンドリーになった」

 里佳が青ざめて絶叫するのと対照的に、索田は薔薇ばらが咲き誇るように笑う。ファンタジーの世界にいる二十代前半の神官さまでしょ、と里佳が思うほど索田は若く美しいのだ。

「し、信じられない。詩音よりも美人な三七歳……信じられない」

 里佳はハンバーグを見つめながらブツブツ言っている。一方の索田は優雅に食事を進め、今は野菜スープを味わっている。

「不老不死か何かですか……」

「うーん、違うね。それと敬語はやめてくれないかな」 

 索田は里佳に微笑むと、残りのハンバーグに取りかかった。


 里佳は頭を整理できずにいた。八つ違う自分の兄よりも若いのは間違いないだろうと思っていた。高校の制服を着せるには顔立ちや髪が華やかすぎるが、おじさん要素は微塵も感じないし、おそらくこちらは少年でおおむね正解であろう和登が「先生」と呼んでいたから、少しは上なのだろうと思う程度だったのだ。ずっと動揺していても仕方がないので、里佳はナイフとフォークを持って仕切り直す。

「なんでそんなきれいな顔してるんですか……いや、してるの? 遺伝?」

 索田が笑顔は崩さず敬語だけをたしなめるように横目でちらりと見てきたので、里佳はしょうもない質問の語尾を訂正する。索田は食事を中断した。


「いや。僕は索田家の誰にも似ていないよ。小さい頃に並んで歩いていても一人だけ他人が混じっているなんて言われていたし、僕も実際そう思ってた」

「ふうん。ここには和登さんと二人で住んでるんで……住んでるの?」

 索田は満足げに笑って答える。

「そうだよ。彼は住み込みの助手だからね」

「いいなあ、助手。響きがかっこいい」


 そんなどうでもいいことを話したりしているうちに夜食の時間は終わった。索田は「もう少し仕事をしてくる」と言って長い廊下を執務室に向かって歩いていく。里佳も途中まで索田に続いて歩くと、応接間で別れて螺旋らせん階段を上っていった。


 その日はその後身体を濡らした半裸の索田と遭遇して廊下で絶叫したこと以外、里佳にとっては波乱がありつつも平和な一日だった。



---


 ある女が

 暗闇のなかをどんどん歩いていくのが見えた


 葉の擦れる音がする

 どうやらここは鬱蒼うっそうとした森のようだ


 私には彼女がどこへ行こうとしているのか

 見当もつかない


 どこへも行けず

 さまよっているようにさえ見える


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