第16話 ルシウスの思惑
「ば、馬鹿な……!」
「アントン!」
ロベルトが絶句している間に、レイラは牢の中に入ってアントンに駆け寄る。
憔悴こそしているけれど、その体に傷はない。せいぜい、手枷のされている手首に、擦り傷があるくらいだ。それだけ長い間、ずっとこんな風に手枷をされていたのだろう。
怒りが、ふつふつと沸き立ってくる。
傷二つで二百人――ルシウスを脅すにあたっての言葉を、実行してやろうかと思うほどに。
「今、助けるからな!」
「レイラ、さん……」
「ふんっ!」
アントンの体を、牢の壁に縛り付けていた手枷。
その手枷を、思い切り全力で引き千切る。鉄格子の牢よりも脆い手枷は、あっさりと千切れてアントンの体に自由を取り戻させた。普通、鍵を用いて開けるところを力ずくで壊しているあたり、レイラにしかできない所業である。
だが、それでも。
アントンの体は、自由になった。これで、レイラを縛るものは何もない。
「ひぃっ!? 化け物がっ!」
ロベルトがそう叫びながら、背を向けて駆け出す。
一瞬追って殺すかと考えたが、今はアントンの状態が気掛かりだ。どうせ国王とロベルトを殺す未来は一切変わらないために、捨て置くこととする。
ルシウスがそんなレイラに対して戸惑っていたが、しかし意見をすることなくただそこに立っていた。
「アントン……」
「ありがとうございます、レイラさん……」
「良かった……良かった、無事で……あたし、アントンのことだけが、心配で……!」
「ごめんなさい、レイラさん……」
涙が溢れて止まらないレイラを、アントンが抱きしめる。
上半身に何も着ていないアントンの体温が、レイラに伝わる。それが、尚更にアントンが生きていると実感させた。
暫しの、そんな再会の抱擁。いつまでも離れていたくないけれど、しかしいつまでもこうしているわけにはいかない。
どちらからともなく、二人は離れて。
「僕の不注意で……こんな風に攫われて、申し訳ありませんでした……」
「い、いいよ! 大丈夫! もうこうやって助けたし!」
「レイラさんを危険な目に遭わせたくないと言いながら、こんな体たらくで……合わせる顔がないと、思っていました」
「んなこと関係ないよ! あたしが絶対に助けるって、そう決めたんだ!」
「……ありがとうございます、レイラさん」
アントンの微笑みに、レイラもぎこちなく笑顔を返す。
心から愛している男の無事に安堵しながら、レイラは立ち上がってアントンの手を引いて立ち上がらせた。
恐らく、食事の一つも与えられることはなかったのだろう。ただでさえ細いアントンの体が、針金のように細く見える。加えて、足元もややふらついているのが分かった。
そして、そんなアントンが見据えるのは、ルシウス。
「ええと……あなたは?」
「初めまして、アントンさん。僕はガルランド王国第三王子、ルシウス・アール・ガルランドと申します」
「僕は、アントン・レイルノートです。今回は……」
「ええ。今回、カーリー将軍をここまで案内させていただきました」
「それは……ありがとうございます。ですが、大丈夫なのですか?」
アントンの質問。
それは、ルシウスの第三王子という立場でありながら、他国の将軍をここまで手引きしたという事実に対してのものだ。明確な裏切り行為であり、国家に対する反逆罪にすらなりえるかもしれない、危険すぎる行動である。
だというのに、ここまでレイラを連れてきてくれた――それは、ルシウスの立場上、決して大丈夫ではない。
ちなみにそんな会話を聞きながら、レイラはルシウスの何を慮る必要があるのか首を傾げていた。
「大丈夫です。元から僕は、今回のガルランド王国としての行動に疑問を抱いていましたから。父上に反対意見を奏上したこともあります」
「それは……」
「もう知っていると思いますが、ガルランド王国は国家の総力を挙げて、カーリー将軍を我が国に招聘しようとしていたのですよ」
「やはり、そうでしたか……」
「ちっ……」
ルシウスの言葉に、レイラも頷く。
レイラという圧倒的な武力を手に入れることができれば、周辺国家は敵ではない。
現在、ガングレイヴ帝国は拡大しすぎた版図に対しての内政が追いついておらず、不穏分子も多いためにレイラの侵略を止めているだけなのだ。レイラ一人でトール王国とガルランド王国の両方を滅ぼすことができる程度には、異常な存在なのである。同時に、レイラが最前線にいるというだけで敵国の攻撃を阻むことができるために、最前線にはいるのだけれど。
だが。
正直な意見を言うならば、「そんな作戦を立案した国家、馬鹿じゃねーの」という気持ちが多い。
「ラキオス国王が、僕に直々にガルランド王国の公爵位を与えると言われました。将来的には、家臣の中でも最高位である宰相に任命したいと……そして、同時に伴侶たるレイラさんと、ガルランド王国で結婚式を挙げるといいと……」
「あの人の言いそうなことです。地位を与えれば、何でもできると思っていますからね」
「勿論、断りました。僕はガングレイヴ帝国の貴族たるレイルノート侯爵家の嫡男ですから。そういう旨の説明もしたのですが……結果は、このように投獄されてしまいました」
よし国王絶対殺す。
だが、そんなアントンの言葉に、ルシウスは肩をすくめた。
「アントンさん」
「はい?」
「僕は今回の一件を、ただアントンさんを救い出すだけで終わらせるつもりはありません。カーリー将軍に脅されて、ここまで案内したのは事実ですが……」
「おい」
「ひぃっ!? い、いえ、その、そういうわけではないのです! 僕としても渡りに船だったと言いますか!」
レイラが一声かけるだけで、そう物凄く狼狽するルシウス。
少しでもレイラの機嫌を損ねれば、自分も死ぬことになるかもしれないのだ。その恐怖は当然かもしれない。
え、ええと、とルシウスは咳払いをして。
「ぼ、僕はですね……今回、ガルランド王国が戦端も開いていない隣国であるガングレイヴ帝国の要人を、国家として誘拐した――その事実を利用して、糾弾するつもりです」
「糾弾……?」
「分かりやすく言うと、王権を簒奪します。ガルランド現国王たるラキオス、ならびに第二王子ロベルトは、他国の要人を誘拐するという暴挙を見せました。その行動は王として相応しくない。僕がそう主張する形で、ガルランド王国の王権を握ります。第一王子であるヘリオスは病弱で、明言こそしていませんが王位継承権を放棄する考えを示しています。僕が動き、その上でこの機会に過激派を一掃することができれば、問題なく王位を簒奪することができるでしょう」
「……なるほど」
レイラにとっては呪文のような分からない言葉を並べられたが、アントンは理解しているようだ。
まぁ、よく分からないけどアントンが分かっているならいいだろう。そしてこれからレイラがどう行動すればいいか、アントンに判断してもらえばいい。
こほん、とルシウスが改めて、アントンを見据え。
「そのために、どうかカーリー将軍にやっていただきたいことがあります」
「……王権簒奪のための、助けになれということですか」
「勿論、こちらから何の対価も出さないわけではありません。元々、カーリー将軍は国王ラキオス、ならびに第二王子ロベルトの首を取るつもりでした。そして、僕はこう言われました。アントンさんの体に傷が一つでもあれば、一つごとにこの城にいる百人の首を斬る、と」
「んだな」
脅しのために言ったことではあるけれど、実行に移せるのならば問題ない。
元々レイラは物凄く怒っているのだ。多少暴れまわるくらいのことはしてもいいだろう。
「ここで、ちょうど良いことがありまして」
「……それは?」
「この城にいる過激派の家臣に、城を守っている兵士……ちょうど、二百人ほどいるんですよ」
「そいつは素敵だ」
アントンについた傷――それは、手枷にずっと繋がれていたからこそついた、擦り傷が手首に二つ。
二つで二百人ということは、ルシウスにとっても絶妙な数だということだ。
ルシウスの助けになるというのは多少癪ではあるけれど。
それでも。
レイラはこの鬱憤を晴らすために暴れまわることができるならば、それでいい――そう、頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます