第12話 第三王子ルシウス
ガルランド王国に伝わる建国神話において、初代の王にこの地を統べるよう命じたのは最高神たる女神カーリーであると伝えられている。
ガルランド国教においての最高神たるカーリー神は、各家に一つは必ず御姿の彫られたものが置かれているほどに一般的なものだ。熱心な信者は毎朝カーリー神に祈りを捧げ、教会では週に一度の安息日にカーリー神への典礼が行われている。それくらいに、ガルランド王国全土に信奉されている戦女神だ。
ガルランド王国第三王子ルシウス・アール・ガルランドは、そんなカーリー神の姿が彫られた燭台の下で、鮮やかな銀色の髪を燭台の炎で橙に彩りながら、小さく溜息を吐いた。
十六歳になるルシウスは、ガルランド王国の第三王位継承者である。だが、その立場は色々と複雑だ。
長兄である第一王子ヘリオス・アール・ガルランドは第一王位継承者だが、病弱で長い執務に耐えることができない。それを分かってか、父である現在の国王ラキオス・アール・ガルランドはヘリオスへの継承を半ば諦めている素振りが見られる。
そして次兄である第二王子ロベルト・アール・ガルランドは、健康だが粗野な一面が見られると評判なのだ。軽率で粗暴なロベルトが王位を継いだ場合、ガルランド王国も長くはないだろう――そう各所で噂されているほどだ。
ゆえに。
将来的な王位継承の期待が、第三王子であるルシウスの肩にかかっている。
ルシウスは自身のことをそれほど大した人間ではないと感じているが、兄二人があまりにもひどすぎるのだ。特に第二王子であるロベルトなど、先日ガングレイヴ帝国に対しての特使に任命されたというのに、帝国最前線の砦で暴力を振るわれた、と声高に叫びながら帰ってきたのだ。
そんなロベルトに暴力を振るったのは、かの帝国においても最強と名高い女英雄――レイラ・カーリー。
かねてよりガングレイヴ帝国の英雄たるレイラの名を聞いていたガルランド王族は、もしや戦女神カーリーの権化ではあるまいかと噂していたほどの有名人である。そしてカーリー神の権化であるというならば、国教として崇めているガルランドにこそ帰属するべきだ、という強硬派の意見が強いほどになっている。
ゆえに、そこで気付いた。
短気で粗暴なロベルトを、敢えてガングレイヴ帝国への特使などに任じたその理由――恐らく、国王ラキオスはレイラ・カーリーを自国に招聘するための正当な理由が欲しかったのだ、と。
「……はぁ」
読んでいても何一つ身が入らず、ルシウスはゆっくりと本を閉じる。
こんな時間まで起きていても仕方がないか――そう思いながらも、しかし体は寝台に向けて動こうとしない。
むしろ、このまま机で寝てしまおうかと、そう思ってしまうほどだ。
ルシウスは、大した人間ではない。少なくとも、自分のことをそう思っている。
だが。
少なくとも国王ラキオスや兄ヘリオス、ロベルトに比べれば、随分とましだ。
かねてよりレイラ・カーリーという英雄を我が国に、と叫んでいた者はいる。だが、ガングレイヴ帝国という巨大国家に所属している英雄であり、彼女がいたためにガングレイヴの版図は現在まで広がったと言われる相手を、手に入れる方法などあるはずがないのだ。だというのに、それが可能だと盲信している強硬派の意見の、なんと声の大きいことか。
ガングレイヴとガルランドの間に戦端が開かれたら、まず間違いなくガルランドの勝利はないだろう。それほどまでに国力は向こうの方が大きく、最も友好的にしているトール王国は滅亡寸前。唯一連合すればガングレイヴに対抗できそうな大国ダインスレフとは国交が全くない――そんな、敗北しか見えない戦なのだ。
だがそれを、強硬派は「レイラ・カーリーさえ我が国に引き入れることができれば!」と叫んで止まらない。
どう考えても。
「……無理、だよねぇ」
ガングレイヴ帝国が、レイラという武力を手放すとは思えない。
今回は兄ロベルトに対して謂れなき暴力を振るった、と謝罪を求める使者を出したらしいが、それで素直に差し出すはずがないのだ。皇帝が余程の馬鹿でもない限り、自国における最強の矛を他国になど派遣するはずがない。
国王ラキオスは謝罪を求めると書状に書きながら、やってきたレイラを歓待してガルランド王国における公爵位を与える形にするつもりらしい。その上で、ガルランド王国の最強の矛となってもらうつもりなのだろう。
来るはずがないのに。
ひとまずルシウスにできることは、今回の国家間の不穏においてどのように立ち振る舞うかだ。
ガングレイヴとの戦端が開いてしまえば、もう止めることはできない。レイラの有無は関係なく、兵力は向こうの方が上だ。間違いなく負ける戦であるがゆえに、せめて折り合いのつく位置で講和を結ばねばならなくなるだろう。
戦敗国である以上、多少の無理には応じるべきだ。ルシウスとしては、今回のガングレイヴとの戦の講和条件として、国王の首を差し出すのが最善だと考えている。そうすれば愚王がこれ以上幅を利かせることはなくなるだろう。そしてガングレイヴとの戦に賛成した強硬派は軒並み処断されるはずだ。
つまり、穏健派――ガングレイヴとの戦に、反対する意志を示さねばならない。
レイラ・カーリーを手に入れることは諦めて、国家としてガングレイヴと良い関係を築けば、それだけで国は富むことになる。そう主張する形で、戦後の自分の安全だけは確保しておくべきだ。
ああ、面倒だ――そう考えながら、ふと窓に目をやる。
先程から雨音がうるさいと思っていたけれど、どうやら窓が開いていたらしい。考え事に集中しすぎて、全く気付かなかった。よくよく見れば、窓の近くの絨毯が濡れている。
明日、侍女に掃除をさせよう――そう、ルシウスは立ち上がろうとして。
「動くな」
「――っ!?」
その首に。
背後から、冷たいものが当たった。
刃――そう、一瞬で判断できるほどの、冷たい死の感触。
部屋の扉の鍵は、締めていたはずなのに。
ルシウスはそこで、動きを止める。
この部屋は、宮殿の中でも高い位置にある。
だというのに。
この、後ろにいる者は。
外壁を登り、窓から侵入し、ルシウスに気付かれることなく、背後を取った。
どれほどの手練だというのか――!
「何も言わずにゆっくりと振り返れ。少しでも怪しい動きを見せたら殺す」
「……」
ルシウスは両手を上げて、抵抗しない旨をアピールしながら、ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは、ルシウスの首に身の丈よりも大きな剣をあてながら、不機嫌そうに眉根を寄せている。
幼女だった。
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