第86話 ミートオムレツ
まな板を一旦流し台へと片付けて、クッキングマットはそのままにカセットコンロを置いて、小さめのフライパンを置いたなら……小さめのボウルに、パック入り卵、塩と胡椒と牛乳と有塩バター、それと盛り付けようのお皿を並べて準備完了。
「さて、はじめようか」
と、コン君に声をかける。
するとコン君はソワソワしながらどれに手を伸ばすべきか、フライパンかボウルかと悩んでから……恐る恐るパック入り卵に手を伸ばし、俺は「うん」と声を上げて頷く。
「まずは卵を割って中身をそのボウルに入れる作業から始めようか。
とりあえず数は2つ、殻がボウルの中に入っちゃっても取り出せば良いから気にしないでゆっくりやってごらん。
卵の割り方は……分かるかな?」
との俺の言葉に対し、コン君は力強く頷いて、パックから卵を一つ取り出し、それを横にする形で両手でしっかり持ってから……ボウルの縁に殻の真ん中辺りをココンッと当てる。
そうして殻にヒビが入ったならコン君は、ボウルの上に持ってきて、慎重にそれなりの力を込めて左右に引っ張って……卵が割れるなり中身がトロンとボウルの中に流れ込む。
「ん、よしよし、殻は入らなかったみたいだね。
じゃぁもう一つ行こうか」
もう一つも同じ要領で、塩コショウ、牛乳はただ入れるだけなので問題無し。
量は適量……まぁ、うん、なんとなくこんな感じかなって量を入れたら、コン君にいつも使っている箸を渡してあげて、ボウルの中身をかき混ぜてもらう。
コン君がそうする間に、カセットコンロを点火し、中火でゆっくりとフライパンを熱し……レンジから十分に熱したひき肉と玉ねぎ入りのボウルを取り出す。
「火を使う時はフライパンとかに触らないようにして火傷に気をつけるのは勿論のこと、周りのものや服が燃えないようにも注意するんだよ。
それと、今回上手くいったからって一人だけでやるのは絶対に無し、必ず大人と一緒にやるんだよ」
なんてことを言いながら卵をかき混ぜ終えたコン君からボウルを預かって、コン君の代わりにフライパンの柄をしっかり持って……「よし、まずはバターだ」と声をかける。
するとコン君は緊張したような表情で、バターの箱から銀紙に包まれたバターを引っ張り出し……カット済みのそこから一つをバターナイフですくい上げて、フライパンの中にえいやと投入する。
どうやらコン君はコンロで何かをするのは初めてらしく……ただバターが溶けている様子ですらも感動の光景なのかじぃっと見つめて……溶け切ったならなんだか一仕事終えたような自身に満ちた表情をこちらに向けてくる。
「うん、次は卵だ。
ボウルを傾けて一気に入れてごらん」
そう言ってコン君にボウルを渡し……こぼしてしまわないように一応手を添えての補助をし……夢中過ぎてそのことに気付いてもいないのか、コン君は何も言わずに、ただ一生懸命にフライパンに向き合い、ボウルを傾け溶き卵を一気に流し込む。
そうしたならボウルは離れた場所に置き、コン君にもう一度箸を渡し「ゆっくり全体をかき混ぜてごらん」と声をかける。
かき混ぜていって、卵がある程度固まってきたら箸を預かり、ひき肉と玉ねぎのボウルを渡し、さっきと同じ要領で全部ではなく大体三分の一程を、固まりつつある卵の中央辺りに入れさせたら……最後にシリコンベラを渡す。
「最後の仕上げは、ヘラで卵をクルンって返してお肉と玉ねぎを包み込むんだ。
初めてで難しいだろうけど失敗しても味は変わらないから、思いっきりやってごらん」
すっかりと一端の料理人顔というか、職人のような顔になったコン君は「分かった」と力強く、はっきりと返してきて……しっかりと手でもって構えたヘラを慎重に動かしていって……卵を多少破ってしまいながらもどうにかこうにか、上手く出来上がったと言っても良いだろうという具合に包み込むことに成功する。
そこでコン君は作業を終わったと安心しきってしまったのか、ペタンとテーブルの上に座り込んでしまって……俺は何も言わずに、火を消してフライパンを持ち上げて、さっとお皿への盛り付けを済ませてしまう。
コン君が気付かないように、違和感を抱かないように自然な流れでそうしたなら……コン君の前に冷蔵庫から取り出した、もう少しで中身が無くなりそうな……今日のためにとっておいた軽くなったケチャップチューブをトンと置く。
「ほらほら、まだ終わってないよ。
オムレツと言えばな最後の仕上げ……ケチャップをかけなきゃね。
量は多すぎない程度にして……何か簡単な絵を書くのも良いかもね」
「ほんと!? じゃぁじゃぁじゃぁ、これにする!」
なんてことを言いながらチューブを手にとったコン君は、出来上がったオムレツの上に簡単な絵……先端がちょんと尖った楕円を描いて、下の方に横線を一本引いて……なんとも分かりやすい栗の絵を描いていく。
「うん、美味しそうな栗の絵だね……よしよし、お疲れ様! これで完成だね!」
絵が完成するなり俺がそう言うと……コン君はケチャップチューブの蓋を閉めながら腑に落ちないといったようなそんな表情をする。
そんな表情のコン君が視線を向けたのは、ボウルの中に残っているひき肉と玉ねぎで……それを見やりながら首を傾げるコン君に、俺は笑いながら言葉をかける。
「あっはっは、まぁ、うん、気持ちは分かるけど……コン君、お昼は俺やテチさんも食べるんだよ?」
その言葉を受けてコン君は初めてそのことに気付いたというような顔になり……流石に後二人分は無理だと言う顔になり、俺は笑いながら頷いて「後は俺がやるから大丈夫」と声をかける。
作業自体は大したことないのでコン君の体力はまだまだ余裕があるのだろけど……精神的疲労というか、初めての挑戦のストレスというかで限界が近そうで……そんなコン君のために流し台の椅子を持ってきて上げた俺は、同じ作業をパパッと、良いお手本になるように気をつけながらこなしていく。
すると椅子に腰かけその様子をじっと見つめたコン君が、万感の思いがこもったかのような、重い声をかけてくる。
「……料理って見てると簡単そうなのに、やってみると大変なんだな」
「そうだね、料理のためにお買い物もしなきゃだし、この後使った道具を洗ったり片付けたりもしなきゃいけない。
毎日毎日繰り返すと大変だと思う時もあるし、面倒に思う時もあるね」
「うんー……家に帰ったらかーちゃんにいつもありがとうってお礼いっとく」
「そうだね、それが良いね。
……だけどコン君、料理はまだ終わりじゃないんだよ、料理はただ作るだけのものじゃなくて、食べるものだからね?
一生懸命作ったお肉たっぷりケチャップたっぷりのミートオムレツ……出来立てでホカホカでフワフワで、きっと美味しいよー?」
と、俺がそう言うとコン君は、ようやくそこで自分が初めて作った料理を自分で食べるという、未知の経験をこれからするのだということにようやく気付いて……ソワソワとワクワクとし始める。
そうして椅子から立ち上がり、お皿を持ち上げようとしたり、いや、台拭きでちゃぶ台を拭くのが先だと流し台の方に向かおうとしたり、そもそも台拭きは何処だ!? と混乱し、ワタワタとあっちを向いてこっちを向いてとしながら、その両手を虚空に彷徨わせはじめる。
「うん、ちゃぶ台の準備も配膳の準備も俺の方でやっておくから……コン君は居間に移動してからマスクを外したり、割烹着を脱いだりして……それらを綺麗に畳んでいるといいよ。
お母さんがコン君のために作ってくれたものなんだから、乱暴に扱った駄目だよ?」
「うん、分かった!」
俺の言葉にコン君がそう返してきて……丁度そのタイミングでお昼休みの時間になったらしく、レイさん辺りに子供達の番を押し付けたらしいテチさんが帰ってきて、手洗いうがいをするために洗面所へと歩いていく。
それを受けてコン君は、焦る必要は全くないのに、すぐにごはんタイムが始まってしまうとでも思ったのか……それはもうひどく焦った様子で居間の方へと駆けていくのだった。
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