第45話 ビスケット作り


 そんなこんなでビスケット作りが始まった訳だけど……ビスケット作りは燻製や漬物と違って、そこまで気張る必要のない保存食作りだ。


 生肉についている菌のことを気にする必要もないし、カビの心配をする必要もないし、レシピ通りに丁寧に混ぜ合わせて、火が通りやすい形に整形して、オーブンで焦げないように気をつけて焼けばそれで良い。

 

 よほどのことがなければ失敗しないし、失敗してもまぁまぁ食べられるし……ひどく失敗した場合でも砕いて牛乳かヨーグルトにでもつけてフレークか何かと思えばそれなりの味で食べられることが出来る。


 そういう意味では本当に気楽で、子供でも気軽に参加出来る保存食作りだと思うのだけれど……今回もコン君は椅子の上での見学となった。


 その理由は体毛だ。

 動物のようにその全身を覆う体毛は当然毎日抜け替わっている訳で……それなりの数が抜ける訳で、少し離れている所で見ているならまだしも、直接手を出して参加するとなると……毛の混入が起きてしまうらしい。


 料理やお菓子作りは毛が抜けて大人になってから。

 獣人にとってそれはわざわざ言うまでもない常識であるようで……特に我儘を言ったりもしないらしい。


 ……まぁ、自分が食べるものに毛が大量に入っていたら、自分の毛だとしても普通に嫌だし、分かる話ではあるかな。


 と、俺とテチさんがビスケット作りの前にそんな会話をしているとコン君は、


「見てるだけでも楽しいよ?」


 なんてことを言ってきて、我儘を言うこともなく、イタズラをすることもなく、椅子の上にちょこんと座って大人しくしていて……うぅん、子供とは思えない立派な態度だ。


 もしかしたら獣人の子供は早熟なのかもしれないなぁ。

 俺がこのくらいの頃はいくら駄目だって言われても、邪魔だって言われてもイタズラしちゃっていただろうしなぁ。


 そんな立派なコン君のためにも美味しいビスケットを作るかと気合を入れ直した俺は……早速ビスケット作りを始める。


 コン君が選んだドライフルーツはオレンジとレモンとリンゴで……まぁ、これらなら生地の中に混ぜてしまっても良いだろう。


 フルーツによっては生地を焼き上げてから上に乗せたり、薄く焼いたビスケットの間に、クリームとかと一緒に挟み込んだりするという方法もあるのだけど……オレンジやリンゴなら生地の中に入れてしまっても良いはずだ。


 熱で味が落ちるとか、美味しくなくなるとか、焦げやすいとかなら後で乗せたり挟んだりも手だろう。


 そして搗栗と平栗は……まぁ、うん、これも生地の中に混ぜる形で良いだろう。


 勝栗は細かく刻んでアクセントに、平栗は……小麦粉少なめにした生地の中に混ぜ込む感じで良いかな。


 オレンジを使った生地は丸く整形し、レモンは三角、リンゴは四角と見た目で何が入っているかを分かるようにして……搗栗は栗の形にして、平栗は……イガ栗ってことで星型にしておこうか。


 テチさんと協力しながら、生地が無くなるまでビスケット生地を仕上げていって……仕上げる途中でオーブンを予熱して……生地が出来上がったならオーブンの棚板にクッキングシートを敷いて、バターを薄く塗ったら、そこに生地を並べていく。


 人によっては模様をつけたり、フォークで穴を開けたりもするんだけど……今回は中に色々入っているし、余計なことはしないでおこうかな。


 そうしたならオーブンを操作して焼き始めて……一応焦げないようにとオーブンの状態をちょこちょこと確認しながら片付けをしていく。


 片付けの途中コン君がオーブンの中を見てみたいというので……オーブンから少し離れた位置に、ちょうど良い高さの棚を移動させて、そこにいつもの椅子を置いてあげる。


 椅子が倒れて転んだりしないか、棚から落ちたりしないかの確認をしっかりとしてから片付けに戻る。


 するとコン君が、


「まだかなー、まだかなー。

 ビスケットまだかなー、美味しいくだもの入りビスケットー」

 

 なんて歌を歌い始める。


 よく聞くCMソングを元にしているのだろう、軽快なリズムで、とても楽しそうで……その歌に合わせながらコン君は尻尾を揺らし、頭を揺らし……何度も何度もその歌を繰り返す。


 子供にしては上手いというか、聞いていて嫌にならないというか。

 元々が聞き馴染みのあるCMソングだけあって、聞いているとこちらまで楽しくなってきてしまって……俺は思わずそのリズムに乗っての片付けを始めてしまって、ふんふんと鼻歌を歌ってしまって……そこまでやった所ですぐ側にテチさんが居ることを思い出す。


 ……今まではコン君と二人だけだったから油断したというか、コン君の可愛さにやられて思わず油断したというか。


 そんな言い訳を自分にしながら動きを止めて鼻歌を止めて、小麦粉の袋を棚にしまっていたテチさんの方を恐る恐る見やる。


 するとテチさんはニンマリとした笑みを浮かべながらこちらを見ていて……何も言えなくなった俺は目を逸らして片付けに意識を集中させる。


 テチさんが思わず吹き出す声を背中に受けながら片付けにのみ熱中していると……オーブンが焼き上がりまで後5分だとのアラームを鳴らす。


 それを受けて窓を覗き込んで、焦げることなく問題なく焼き上がっていることを確認したなら、皿を用意して5分経つまで待って……焼き上がりが完了となったならオーブンのドアを開けて、ミトンをした手で棚板を引っ張り出して、テーブルの上に置く。


 焼き上がったビスケットの一枚を軽く触ってみて、クッキングシートにくっついていないのを確認したら、冷めるまで待って……と、そこでコン君が器用に棚の上に置いた椅子からテーブルへと飛び移って、テテテっと駆けてきて……香ばしい良い匂いを放っているビスケットをじぃっと見つめながら、じゅるりと口の中で音を鳴らす。


「まだ食べられないよ?

 冷めるまでじっくり待たないと、口の中火傷しちゃうからね」


 そんなコン君の様子を見ながら俺がそう言うと、コン君は初めてみるような泣きそうな表情を浮かべて抗議の声を上げてくる。


「そんな!? こんな美味しそうな匂いなのに!?

 さ、さ、さっきミクラにーちゃん触ってたじゃん! 触れるなら食べられるよ!!」


「あー……うん、外側はね、すぐ冷めるんだけど、中はそうじゃないからね。

 食べて口の中で割れた瞬間、あっつくて思わず吐き出しちゃうなんてこともあるからさ。

 ……あ、そうだ、冷めるのを待つついでに、何枚か皿に乗せて仏壇の方に持っていくとしようか。

 コン君が言った通りいい匂いだし……天国の曾祖父ちゃんにもビスケットを楽しんでもらおう」


 俺がそう返すと、コン君は俺の言っていることがどうにも理解出来ていなかったのか、首をこくんと傾げる。


「えーっとね、香食(こうじき)って言って、仏壇に食べ物をお供えすると、その匂いが天国までふわふわ飛んでいって、天国の曾祖父ちゃんがその匂いと味を楽しむことが出来るんだよ。

 仏壇に良い香りのする食べ物をお供えするのは、そのためなんだよ」


 更に俺がそう言うとコン君は、なんとなく俺の言っていることが理解出来たのか……ビスケットをじぃっと見つめながらふんふんと鼻を鳴らして、そうしてから天国を見ているつもりなのか台所の天井を見上げる。


「そっかー、天国のじーちゃんもビスケット食べたいのかー。

 ならしょうがないかー」


 天井を見上げてからそんなことを言ってコン君は笑顔になってくれて……それから俺達は三人で皿に焼きたてのビスケットを乗せて、その皿を持って仏間へと移動し……仏壇にお供えをしてから、手を合わせて目を瞑る。


 そうしてから家と畑を継いだことを報告し、これからしっかり守っていきますと決意を表明し……更に一番大事なテチさんのことを報告してから、こんな生活がいつまでも続けられることを強く祈る。


 子供の頃、曾祖父ちゃんはこうして仏壇の前で手を合わせていると、色々なことを冷静に考える事ができる、静かな世界でこれまでのことを省みる事ができる、それが明日のための良い糧になるんだと、そんなことを言っていたけど……社会人になった今ならそれがどういうことか分かるような気がする。


 会社で働いている時は、こうやって落ち着いて何かを考えたり、何かのために祈ったりするような余裕は無かったからなぁ。

 

 天国が本当にあるとまでは思っていないし、仏様のこともそこまで信じてはいないけれど……時間がある時にはこうするのも良いのかもしれないなと、そんなことを考えた俺は……ゆっくりと目を開けて、同時に目を開けたらしいテチさんとお互いの顔を見合い、思わず笑みを浮かべる。


 そうして少しの間笑いあった俺達は……仏壇に上げた皿を回収して、おやつの時間を楽しむために、居間へと移動するのだった。

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