第19話 消耗⑤
体と心の警告を無視して仕事を続けて来た結果、不調はさらなる症状を引き起こした。
具体的に言うと、笑えなくなった。私は番組に出演する時さとりちゃんを演じて愛想を振りまくのだけど、口角を上げると頬が小刻みに痙攣し始めるのだ。その結果、苦痛に耐えてるかのような引きつった笑みしか浮かべられなくなった。
流石にマネージャーもヤバいと悟ったのか、事務所には内緒に架空の仕事を入れる形で休日を得た。
車で送って貰い、栄養不足と睡眠不足でフラフラとした足取りで私は帰宅する。明日が休みという事実に心が少し緩和したのか、久しぶりにガツンと眠気が脳に届く。
玄関を開けて気づく。明かりがついている。そういえば今日は日付が変わる前に帰れたなぁとリビングに入ると、料理が並べられた食卓に両親が座っていた。
「お、おかえりなさい」
「おぉ。おかえり。ゆい」
丁度いい。両親には言いたい事があった。
アイドルを辞めたい。
ここ一週間アイドルを辞める事ばっかり考えていた。ここまで頑張ってこれたけど、もうそろそろいいのではないのだろうか?
もう何で私がアイドルをやってるのかも分からなくなっていた。売れる前はそこそこ楽しかった筈なのに、今では苦痛しか感じない。
野々村夜空とはあれから何度か出会っているけど一言も会話していない。まるで私なんか存在しないかのように無視を貫いている。楽屋では私は完全に孤立していて、一人になった時に申し訳なさそうな顔でかなちゃんが近づいてくる以外はグループ内との会話はほとんどない。
……なんでこうなっちゃったんだろう。昔は仲良くやっていたのに。夜空だって気はキツイけどアイドル活動に一生懸命で嫌いじゃなかったんだけどなぁ。
とにかくまずは両親に辞める事を伝えようと二人の顔を交互に見るが――いつもと様子が違うことに気づいた。
「あの、……その、なんだ」
父の歯切れが死ぬほど悪い。視線も左右にせわしなく動いており、冷房が効いているというのにあふれ出た額の汗が頬を伝った。
「父さんな――仕事やめることになった」
「----え?」
良いニュースではないと思っていたけれど、完全に想定以上だった。あまりの衝撃に、食卓からずり落ちそうになった。
「ああでも安心してくれ。すぐに新しい仕事を見つけるから! ゆいは心配する必要はないからな」
父が必死に何か伝えようとしているが、めまいが酷くて何も言葉を受け付けない。
ああ。体が底の見えない沼にゆっくりと沈んでいくような感覚。足、腰――そして胸。体の体温が奪われてまるで水中のように息苦しい。もがく力は既に失われおり、ただただ重力に従って沈んていく。
――もう逃げられない。
私は笑みのような何かを浮かべて、言う。
「そっか。お父さんも頑張ってね。私も頑張るから!」
それだけ振り絞ると、私は椅子から立ち上がり逃げるように階段を上って自室の鍵を閉める。一刻も早くあの場から離れたかった。
両親は私の言葉になんて思っただろう。一番辛い思いしているのはお父さんなんだから、もっとちゃんと励ましてあげたかったけどこれ以上一緒にいたら私自身の愚痴も話してしまいそうで逃げてきてしまった。
今はタイミングが悪い。両親に心配させたくない。もう少し落ち着いてから辞めると伝えよう――
――それって、いつまで?
いつまで頑張ればいいの?
ああめんどくさい。人と人の関わりとは何故こんなにもめんどくさいのだろうか。関係を全て断ち切って誰の思いも干渉せずに好きな事だけに情熱を注ぎたい。
――そこまで考えて、先生――神無月の顔が浮かんだ。
きっと先生も似たような思いをして学校をやめて、今は好きなことに夢中になってるんだろうなぁ。
「……いいなぁ。羨ましいなぁ」
--彼に会いたい。素直にそう思った。フルダイブして私の抱えた腹の内を全てぶちまけたい。どうしようもないこの感情を呑気に笑いながら包み込んで欲しい。
気づいたら私はベットに転がるヘットギアを握っていた。慣れた手つきでロストワールドを起動させる。
先生は――ログインしていた。小さくガッツポーズをする。
早速フルダイブしようとして――気づく。前回のログインから丁度二か月空いており、そういえば学校作りを途中でほっぽり出していた。
……うーむ。何て言おう。以前の私ならそんなもの関係ないと言わんばかりにログインしただろうけど、今はなんだか妙に人との関係に臆病になっていた。相当心が弱っているらしい。
直接言えないだろうからメッセージウィンドウを起動する。最初はやっぱり謝罪か……いや、元々荒しだった私がそんな素直か? ……アレ? 普段の私ってどんなんだっけ?
悩みながらもとにかく文を構築させる『ごめん。もうログインできない』
いやいやいやいやいや!
ログインできない事を態々伝えるってかまってちゃんかよ! 少なくともこんなひねくれ方していなかったのは分かる。あまりの恥ずかしさにベットの上でバタバタした。
何が恥ずかしいって、事情を聞いて欲しい思いが隠しきれていないのである。『大丈夫? 何かあった?』という言葉を期待し過ぎて、事あるごとに試す彼女みたいな面倒な思想になっている。
……やっぱり何も言わずログインしよう。私はメッセージを消そうとして――送信ボタンを間違えて押してしまった。
「あ――ッッ!?」
頭を抱える。正確に言うとヘットギアを抱える。なんという痛恨のミス。もう殺せ! 私を殺してくれ!
--ピコン。
すぐに彼からメッセージの返信があった。そこにはたった一文、
『やだ』
と書かれていた。
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