第16話 消耗②


「…………は? マネージャー。どういうことですかこれ」



 現段階で確定している今月の仕事のスケジュールをマネージャーから確認して――軽い眩暈を起こした。



 受け取ったスケジュール帳を端から端まで時間をかけて目を通す。カレンダー表記で書かれた私の予定表は、落書き一つ描けない程に活字で真っ黒になっていた。

 今月は既に――たった一日の休日すら許されなかった。よっぽどな事件が起きない限り、仕事が増えることがあっても減ることは無いだろう。 



 しかし――いくらなんでも、多すぎる。



 労働基準法なんか当然のように度外視された長時間拘束。ドラマにバラエティーにライブにPV撮影雑誌インタビュー町ロケグルメ歌の収録――



 なによりも驚いたのは、深夜三時から四時半までのラジオ番組が毎週入っていることだ。



 ちょっと待って。今まででも限界ギリギリだったのに。

 こんなの、本当に壊れてしまう。



「ごめんねゆいちゃん。これでもかなり断ったんですよ? 新番組の番宣で今月はちょっと忙しいけど、ここさえ乗り越えたらちょっとマシになるから――」


「……マシになるって先月も言ってたじゃないですか」


「あはは……ごめんね。大丈夫! ゆいちゃんならきっと出来るよ! それにお仕事がたくさんあるってのはね、とても有難いことなんですよ? 事務所に入っても出演できなくて苦しい思いをしている人も沢山――」



 煽てるだけの根拠のない言葉が空虚しく私の鼓膜を震わす。マネージャーも怒られる前提でスケジュール帳を渡したのだろう。申し訳なさそうな表情で脂汗を額にためながら、ペコペコと何度も平謝りする。傍から見たら成人男性を何度も謝罪させる性悪女に見えたに違いない。



 分かってる。マネージャーはおそらく悪くない。このトチ狂った労働量は事務所そのものの方針なのだろう。



 事務所は知っている――このブームは長く続かない。私というコンテンツの賞味期限が切れる前に稼げるだけ稼ぎたいという意思がスケジュール帳からひしひしと伝わってきた。



 確かに私は可愛い。演技もそれなりだし歌もダンスも自信がある。気遣いもそれなりにできる。

 しかし化け物が集う芸能界では――私なんて有象無象のアイドルに過ぎない。



 * * * * *



 朝六時、起床。明らかに足りない睡眠時間のせいで頭痛が酷い。壁によりかかって何とか立ち上がれた。



 寝室から出て階段を降りると私の分の朝食が用意されていた――が、こんがりと焼ける目玉焼きの匂いで吐き気を催した。仕方がないので頭痛薬と栄養剤を無理矢理喉に流し込んで、身支度を整えてから家を出る。



 マネージャーの送迎で現場に向かっている間に仕事内容を確認する。ドラマの撮影が無いから台本を入念に読み直す必要がないものの、午前中はグルメロケ、午後はバラエティ番組のゲスト。すこし時間が空いて深夜ラジオとハードな仕事が続く。



 エゴサをして時間を潰す。五千年に一度の美少女と冗談交じりでもてはやされた時に比べて明らかに話題になる数が減っている。



 テレビとネットでは若干のタイムラグがある。今の私は過去最大に忙しい日々を過ごしているのだけど、話題に敏感なネット住民は既に次のアイドルを探している。



 新たに代用が利くアイドルが発見されれば、私の存在など簡単に塗り替えられるだろう。



 そんな事を考えていると、あっと言う間に現場へと到着した。



 自分の恰好はヘアメイクとスタイリストにぶん投げして、ロケバスの中で少しでも仮眠をとろうとする――が、眠れない。体は休息を求めているのだけど、毎日のように緊張状態が続いているからか、あるいは睡眠不足から起きる頭痛のせいか。……両方だろうなぁなんてどうでもいい事を考えてしまうせいで全然眠れない。



 個人的に仕事が忙しいよりも眠れない方が強いストレスであった。眠れない自分に腹が立って余計眠れない。完全にドツボにハマってしまっている。睡眠薬を使わないと眠れない体になってしまった。



 睡眠不足は体調不良の他に精神面にも悪影響を与えるらしく、図太さに自信があった私であるが最近妙に人に声が気になるようになっていた。笑い声が聞こえると私を嘲笑っているのではないかと被害妄想が膨らんでしまう。



 目を開けると窓ガラスに自分の姿が映っていた。睡眠不足から生まれた肌荒れと隈はヘアメイクの化粧でばっちりと偽れていた。後は私が無理にでも笑えばみんなが想像するさとりちゃんになれる。



 まだ大丈夫。まだ耐えられる。今さえ乗り越えたら――



 …………乗り越えたら?

 乗り越えて、何になるのだろうか。

 頑張って、何になるのだろうか。



 ……あれ?



 なんで私、こんな苦しい思いをしているんだろう。



 誰も本当の私を見てくれないのに。



 ――どうして私ってアイドルになろうと思ったんだっけ?



「--さん! ーーゆいさん!」


「----ッ!?」




 呼びかけられて目を開ける。ロケバスは目的地へと到着したらしく、マネージャーが寝ている風に見えた私に呼びかけてくれたらしい。見るとほとんどの人はロケバスから降りていた。



 ――さて、余計な考えは切り捨てて、目の前の仕事に集中しよう。

 頭痛と吐き気は収まる気配はないけど、私は浅く息を吐いて眩暈で倒れないようにゆっくりと立ち上がる。



 最近どうしようもなく――息苦しい。





 グルメロケで食したものは終わってから全てトイレで吐いた。午後は何回やっても慣れないバラエティ番組の緊張でまた吐いた。深夜ラジオが終わってからも吐いたけど、胃液しか出なかった。



 それからの記憶は断片的で、気が付いたら睡眠薬を飲んでベットに横になっていた。



 ……そう言えば久しく学校に通えていない。このままでは留年するかも。


 まぁ、今はどうでもいいか。


 薬が体に巡り、気絶するように私は眠った。




 そして明日が始まる。


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