第10話 羽衣ゆいはアイドルである③
「ゆいちゃんッ!? ど、どうしたのっ?」
楽屋から出た女の子が横になって倒れる私を見て急いで駆け寄って来た。
――一どうやら気を失っていたようだ。不幸中の幸いと言うべきか、先ほどの息苦しさはなくなっていた。
「あはは。大丈夫大丈夫。ちょっと転んじゃった」
「でも――」
「ほんと大丈夫だって。気にしないで!」
私は痺れる足を無理させて立ち上がり、彼女の不安そうな表情に向けてにニカッと過剰な作り笑いをぶつけた。これ以上踏み込むなという私の意図を汲み取ってくれたらしく、彼女は何か言いたげな口をゆっくりと閉じた。
彼女の名前は『井口奏』。メンバーからはかなちゃんと呼ばれており、唯一私の事を気にかけてくれる優しい女の子だ。
「……ご、ごめん、ね……ゆいちゃん……。わ、私がみんなを怒れば、いい、んだけど……。怖くて……ご、ごめんね。ごめんね……」
「な、泣かないでかなちゃん!」
地面に視線を落とす彼女は突然ポロポロと涙を零す。全身をブルブルと震わせ、アイドルだというのに遠慮なしに鼻水をすする。
とにかく通路のど真ん中でガン泣きされるのはマズイ。まだスタッフが沢山いるし他のメンバーに会ったら面倒な事になるのは間違いないからだ。
私はかなちゃんの手を握ると、フラフラの足取りのまま気合でトイレまで駆け込む。
「ごめんね……! ごめんね……! ひっく。……迷惑ばっかかけちゃって、本当に駄目だよね……」
かなちゃんの涙はテレビで見る美しい女優の流れるような涙なんかじゃなくて、会話をままならないぐらいしゃくり上げて顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
「迷惑なんかじゃないよ。私のために泣いてくれてありがとう」
かなちゃんにハグをすると、ポンポンと優しく背中を叩く。トイレの中では彼女の啜り声だけが反響する。
何だか一周回って笑えてきた。どうして私がフォローしている側になっているのだか。
でも、自分より気が動転している人がいたおかげで少し落ち着いた。
かなちゃんは少しドジな所もあるけれど、可愛くてとにかく誰にでも優しい。彼女が悪口を言っているのも見た事がない。
私のようにどす黒い悪意を愛嬌で誤魔化しているのではなく、根本的な部分で良い人なのだ。未だに信号は手を挙げて渡るし言ってもいないのに私の誕生日には手作りクッキーを作って来てくれる。きっと全人類がかなちゃんになったら永遠の平和が約束されるだろう。
だけど、純粋だからこそ他人の悪意に脆く、付け込まれやすい。きっと両親も友達も良い人なのだろう。世の中には人を陥れるのを快感とする人間が存在する事を彼女は知らない。
かなちゃんは心から尊敬できる人格者だけど、どす黒い悪意が蔓延る芸能界とは致命的に相性が悪い。
今日みたいに勝手に責任感を感じ不安定になる時が何度もありつつも今まで続けられてきたのは、彼女が本気でアイドル活動が好きなのだろう。
昔、イジメられて不登校気味になっていた時にテレビに映ったアイドル達に勇気をたくさん貰ったと、かなちゃんは嬉しそうに語ってくれたのを覚えている。
私とはえらい違いだ。
「落ち着いた?」
「……う、うん。ほんとにごめ――」
「ごめんは禁止。前も言ったよね」
「うん。……ありがとう、だよね」
かなちゃんがえへへと照れくさそうに笑う。私が男だったら惚れてしまいそうな可愛さだった。儚げな女性というのは何故これほどまでに魅力的に感じるのだろう。人類の永遠のテーマである。
--ふと、いい事を思いついた。
「あ、そうだ。かなちゃん今日時間ある?」
「うん。大丈夫だけど、どうしたの?」
「ちょっとお話しようよ。学校を作りながら」
「学校……?」
彼女は不思議そうに首を傾げる。そりゃ事情を説明しないと分かんないよね。
いつかじっくり話したいと思っていたし、それに――
勘だけど、あの無職の先生だったら良い方法を教えてくれるような気がした。
「いい先生がいるんだ」
「先生……?」
かなちゃんが再び首を傾げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます