第119話
暗い抜け道の先には、夜の闇があった。
星が逃げ、満月が支配する空。
青白い月と澄んだ藍色の空が美しかった。
「早く行きましょう」
月明かりの下を走って一行は移動する。
「あら」
ルイーゼの後ろで、ヴィクトリアが靴を脱ぐ気配があった。流石にヒールの高い靴では走り難いようだ。
「仕方ないわね」
見兼ねたユーグが立ち止まってヴィクトリアを振り返る。
「病みあがりが無理をするな」
けれども、セザールがその前に歩み出る。最近まで衰弱で倒れていたのだ。養生しろということなのだろう。
セザールがさり気なく、ヴィクトリアを抱きあげた。お約束というべきか、お姫様抱っこである。二度言うが、お姫様抱っこである。
「やだ、セザールさん。私も抱いて!」
「二人同時は面倒だから、後でたっぷり抱いてやろう」
「その言い方は誤解を与えますから、やめてくださいません!?」
セザールの腕の中でヴィクトリアが居心地悪そうに収まっている。セザールが男装しているせいか、なかなか絵になっている気がした。
なにも言わなければ、なかなか若々しい美丈夫なのに。しかも、病みあがりのユーグやヴィクトリアに対する気遣い。時々、常識人に見えてくるから困る。
「美貌の秘訣が知りたいのか?」
「いえ、必要ありませんけれど」
明後日の方向に向いた質問が返ってきて、ルイーゼは肩を落とした。
だが、すぐに暗がりに気配を感じる。
「あら、随分と丁重なお見送りね」
ユーグが指の関節を鳴らして笑った。ルイーゼも表情を引き締めて、木刀を抜いて構える。
追手のようだ。
待ち伏せされていたというより、巡回していた者と鉢合わせたと考えるべきだろう。港から船で出ていくのは、すぐに予測がつく話だ。港周辺を探していたのかもしれない。
セザールがとっさに自分の外套を脱ぎ、ヴィクトリアを包むように被せた。
追われている令嬢たちと一緒に次期女王がいるのは好ましくない。
「セザール様、先に船へ」
ルイーゼは言いながら、木刀を振って前へ躍り出る。ユーグもルイーゼに続いた。
「ユーグ様は、あまり無理をしないでくださいませ」
「なによ、姐さん。水臭いわね。私は平気よ」
ユーグは好戦的な笑みを浮かべて細身の剣を抜く。
先ほどまで乙女のように身体をクネクネ揺らしていたのが嘘みたいに頼もしい表情だ。こういう男らしいところを見ると、やはり昔のカゾーランにそっくりだと実感する。
「捕えろ!」
リーダー格の男が下っ端に指示を出している。
「あなたは……」
見たことのある男だ。
確か、アンガスと共にロンディウム城に兵を引き連れてきた貴族の一人。パーシヴァルと言ったか。
パーシヴァルはアンガス側の人間で、ギルバートを国外へ逃がす意見にも賛同していたはずだが……聞いていた事情とは違うらしい。
「どこにでも敵が溢れているということですか」
ルイーゼは構わずに、向かってくる下っ端を木刀で薙ぎ払った。
下っ端男たちが一瞬で吹っ飛ばされて宙を舞う。「ただの令嬢じゃないのか!?」とかいう間抜けな声は、もはやお約束だろう。この程度は健全な令嬢としては基本なのに。
「セイヤァァアア!」
気合いを入れながら、パーシヴァルとの間合いを詰める。
パーシヴァルはよく鍛えられた腕で剣を抜き、ルイーゼに向けた。歴戦の勇士風の堂々とした立ち振る舞いだ。威圧感があり、空気が引き締まる。
「敵なら倒しても、健全な行為にございましょう!」
唇の端を吊り上げて笑う。魔王的な哄笑が口から漏れて、満月の夜に響き渡った。
「国を脅かす不穏分子が……ここで消えろ!」
パーシヴァルの剣がルイーゼの足に振り下ろされる。だが、ルイーゼは軽やかに飛びあがり、降ろされた剣を踏みつけた。
「なッ!?」
「このくらいで驚かれては困りますわ」
ルイーゼはそのままパーシヴァルの顔面正中に木刀を叩き込んでやった。パーシヴァルはそのまま無念の表情を作り、後ろに向いて倒れてしまう。
え? これで終わり?
なんだか、結構強い敵です臭を醸し出していたのは、なんだったのか。
「期待させておいて、ただの雑魚ではありませんか。腹立たしい!」
令嬢らしくない舌打ちをして、パーシヴァルを踏みつける。噛ませ犬乙だ。アホみたいに弱くてガッカリである。
「姐さんが強すぎるのよ」
「わたくしが強いのは、当り前ですわ!」
張り合いがなくてキーッキーッ言っているルイーゼに対して、ユーグがぼそりと呟くのだった。
なにはともあれ、先を急がなくては。
この分だと、船を待つエミールたちも危ないかもしれない。あちらには、怪我人のギルバートとタマくらいしか戦力がないのだ。ジャンは防御にしか期待出来ない肉壁だし、ポチは頭数に入れて良いのか悩む。エミール本人はカスである。
ヴィクトリアを抱えたセザールは自己判断で先に合流地点へ向かったらしい。妥当な判断だろう。
ルイーゼとユーグも先を急ぐ。
満月のお陰で、明りがなくてもそれなりに動くことが出来る。ルイーゼたちはまっすぐ、合流地点の港へと走った。
「…………?」
けれども、不意に違和感がルイーゼの身体を襲う。
――そろそろ、向こうで撒いた種が芽吹く。
誰かの声が聞こえた。
男の声? 聞き覚えが、あるような……ないような?
ルイーゼは立ち止まって耳を澄ませる。だが、声は耳から聞こえているとは思えなかった。
「姐さん?」
ユーグが異変に気づいて、ルイーゼを覗き込む。
――本当に面倒なことをしてくれたものだ。
再び声が聞こえる。
頭の中に直接響くような……いや、違う。記憶の底から沸々とわき上がる感覚だ。
まるで、自分が以前に体験したかのような感覚。
いや、以前に自分が口にしたような感覚だった。
ルイーゼは、この場所で同じ言葉を言った?
しかし、いつ?
「姐さん、大丈夫!?」
身体の奥から寒さがわきあがり、蝕んでいく。凍えるような、
なんとなく、今自分の眼が宝珠と反応して光っているのだと気づいた。ルイーゼは思わず、手で両眼を覆って崩れる。
なにが起こっているのか、わからない。わからないが、身体から力の波紋のようなものがこぼれていくのがわかる。
「姐さん、いいかしら」
事態を呑みこめないユーグがルイーゼの肩に触れる。呼吸が苦しくなって上下する肩に、大きな手が重ねられた。
すると、身体を駆け巡っていた寒さのような、熱さのような感覚が肩に集まっていくのを感じる。いや、ユーグの手に吸い寄せられているというべきか。
既視感がある。
エミールと手を繋いだときの感覚に近いものを感じた。
「は……はぁ、ッ……ユーグ様?」
やっとのことで、声を絞り出す。ユーグが少し安心したように微笑した。
「よかった、姐さん。大丈夫?」
ユーグが若草色の瞳に安堵の色を浮かべる。
ルイーゼは自らの身体を抱くように、胸に手を当てた。
今のは、なんだろう。
唐突に妙な記憶のようなものが呼び起こされ、宝珠の力が身体から溢れだしていった気がする。
あれは、誰? ――あれは、わたくし?
何者かと問うと同時に、その答えが自分の中に浮かび上がる。その意味すらわからないのに、何故か確信のようなものを感じた。
そして、ユーグがルイーゼに触れた瞬間に現象はおさまった。
宝珠の力は転生者の血を引く者ほど上手く扱うことが出来ると、ギルバートが言っていたのを思い出す。実際、エミールはセシリア王妃――転生者の子だ。
ユーグの父はカゾーラン伯爵。やはり、転生者である。
この現象に宝珠が関係していることは間違いないようだ。
「ユーグ様、ありがとうございます……イマイチ、なにが起こったのか理解出来ませんが、助けて頂いたみたいですわ」
「あら、そうなの? 姐さんがいきなり苦しそうにするから、ビックリしちゃったわよ!」
身体をクネらせるオネェ騎士を、ルイーゼは苦笑いしながら見上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます