第69話

 

 

 

 書架の向こうに隠された扉が、常闇へ続く口を開く。


 振り返って確認するが、壺に隠れているミーディア以外の気配を感じない。カゾーランは灯りを持って、扉の内側へと進んだ。

 隠し扉の向こうは螺旋階段になっていた。恐らく、この棟の壁を階段が下へと貫いているのだろう。カゾーランは一歩一歩足場を確かめるように、石の階段を下りていく。

 なんの気配もない。時折引っ掛かる蜘蛛の巣が、通行のなさを感じさせた。

 カツカツと、自らの足音のみが響く闇の世界。いつまで経っても終わりに辿りつけないような気がして、カゾーランは焦りを覚える。

 しかし、やがて階段は終わり、長い回廊が現れた。地下だろうか。手元の灯りでは、回廊の先を見ることは出来なかった。


 この闇の向こうに、真実はあるのか。それはわからない。

 ただ無暗にもがいているだけのような気もしている。

 十五年前から、同じだ。よくわからぬまま進み、真相に辿りつけないでいる。疑心暗鬼になりながら、そこに正義があると信じて。

 だが、実際は闇の中だ。今と同じ。

 ただ闇雲に進んでいるに過ぎない。そこにあるのが光だと、誰が証明できるだろう。

 一度疑念を抱くと、それは種のように芽吹き、やがて大きな枝葉を伸ばす。


「……ここまでか」


 永遠のように感じられた長い回廊の先に現れたのは、頑丈な鉄扉だ。鍵がかかっており、カゾーランの持っている錠では開けることが出来なかった。無理に壊すことも可能だが、得策とも思えない。

 どれくらいの時間が経ったのか、感覚すらない。外はミーディアが見張っているはずだが、早めに帰った方がいいだろう。

 来た道を帰ろうと、カゾーランは踵を返す。往路よりも、復路の方が、やや早足になる。


 だが、ふと階段に辿りつく手前で、気配を感じた。

 誰かが、階段を下りてくる。

 重いとも軽いとも言えぬ靴音が、闇の中に響いていた。カゾーランは剣の柄に手を置き、その場で身構える。


 ミーディアか。いや、女の足音ではない。

 姿が見えなくとも感じる只ならぬ気配は重く、威圧してくるかのよう。周囲の温度が下がっていくような、冷気を帯びた気配であると感じた。殺気にも近い。

 カゾーランが存在を察知しているのと同じように、相手にも、カゾーランの存在がわかっているのだろう。


「ぬんっ」


 空気が動くのを感じて、カゾーランは剣を抜く。同時に、踏み込んだ足音と、重なり合う金属の音が闇に響いた。


「なにっ!?」


 相手よりも速く剣を抜いたはずだ。本来なら、この一撃で相手を斬りつけることが可能だった。だが、敵の方が剣を抜いてから斬りつけるまでの速度が明らかに早かったのだ。下手をしたら、こちらが斬られていた。


「ぐ……ぬうっ!」


 日々鍛錬は欠かすことがなかった。そのカゾーランでさえ、表情を歪めるほどの力が加えられる。カゾーランは寸でのところで踏み止まり、相手を力任せに押し返した。

 回廊は広めに造られているが、闇の中で大振りは出来ない。カゾーランは息を整え、目の前の敵に集中する。

 次の瞬間、穿つような鋭い突きが放たれる。あまり踏み込みを必要としない精錬された無駄のない刺突だ。カゾーランはそれを剣身で受け流し、横に逸らす。


「ほう」


 タンッと軽い足音が一度鳴った。カゾーランは再び来る攻撃を受けて、剣を払う。確かに足音は一度しか鳴らなかったはずだが、複数の突きが繰り出されていた。それほど、相手が速いということか。カゾーランは表情を歪めながらも、なんとか全ての突きを受けた。

 この動きには、何故か覚えがある。この技は――。


「俺なりに改良した三段突きだ。女版沖田総司って新聞に書かれたこともあるんだぞ?」

「しんぶん?」


 わけのわからないことを言って、闇の中で声が笑う。女版と言っているが、明らかに声は男である。

 落ち着いているが、軽薄な雰囲気を漂わせていた。だが、地獄の底から響くような不気味さもはらんでいる。


 そんなことよりも、カゾーランは信じられずに背中を汗が流れた。

 この技を受けるのは、初めてではない。だからこそ、対処出来た。

 空気の動きで、相手が構えたことがわかる。受けるばかりでは勝てない。カゾーランは一瞬速く踏み込み、相手の頭に向けて剣を突き出す。

 剣と剣が重なり、火花が散る。

 男がよろめき、壁に追いつめられた。


「……ってーな」


 刹那、男の左眼が波打つ海のように、蒼く揺らめいた。


「白鯨」


 あまりにも短い出来事で、カゾーランは目で追うことも出来なかった。

 男が壁を蹴って、カゾーランの頭上を宙返りしたのだと、あとから理解する。


「これは、俺が考えた。ネーミングは、パクッたが」


 あっという間に後ろを取られ、喉元に刃が添えられた。カゾーランの頸を斬るのも、斬らないのも、相手次第である。ゴクリと喉が鳴り、額を流れる汗が止まらない。


「おぬしは――」

「ロレリアへ行っただろう? おかしいとは、思わなかったか?」


 カゾーランがロレリアへ行ったことは、ミーディアしか知らない。ロレリアの人間とは会ったが、こんなに早く王都まで伝わるだろうか。

 この男は、何者だ?


「何者か。その答えは、お前の中で出ているんじゃないのか?」


 思考を読み取ったかのように、男が低く喉で笑う。

 知っている。カゾーランは、確かに、男のことを知っている――だが、その男は死んだはずだ。

 死んでいなければ、いけない。


「そんなはずは……」


 自分が十五年前に串刺しにした。この手で殺した男。そして、今は公爵家の令嬢として転生しているはずの――。


「こんなところまで来て、ご苦労様だ。そんなに知りたかったのか。俺とセシリアのことが」

「黙るがいい……誰だ、貴様はッ!」


 叫んだせいで喉が動き、わずかに切れた皮膚から少量の血が滴る。


「こっちへ来い。全て教えてやる」


 悪魔のような誘惑を持ちかけられ、カゾーランは口を噤む。思わず、相手の声に耳を傾けてしまった。


「お前を必要としていない王に仕える意味があるのか? お前なら、あんな男を追い落とすのは容易だろう?」

「……このカゾーランに裏切れと――?」

「先に裏切ったのは、どちらか考えろよ」


 背筋が凍る気がした。男は言葉巧みにカゾーランを揺さぶり、弄ぶかのようだった。まるで、遊戯を愉しむかのような声だ。底知れぬ黒さの半面、掴みどころのない軽薄さもあった。

 知っている声と重なるが、全く知らない人物のようにも思える。

 妙な違和感があるのは、何故だ。

 この男は、誰だ――?


「一つだけ、教えてやろう」


 その言葉も、本気かどうか読み取れない。ただカゾーランを試しているだけのようにも感じられた。


「何故、引き籠りの王子エミールを廃嫡出来なかったか、考えたことがあるか?」

「なにを……」


 エミールは国王夫妻に生まれた唯一の子だ。王位継承権を持ち、フランセールの未来がかかっている――が、カゾーランは数年前に同じ疑問を抱いていた。

 国王唯一の子が、あの状態だ。今は多少マシになっているが、あの引き籠りには誰も手がつけられなかった。とても国政など任せられない。傀儡にしようにも、外へ出られない王族は必要ないはずだ。

 王族は他にもいる。王弟フランクに継承権を譲る選択肢もあっただろう。王家の系譜にある貴族もいる。


 何故、アンリは執拗にエミールへ継承権を譲りたがるのか。亡き王妃セシリアの忘れ形見であり、血の繋がった息子だから? 肉親を贔屓する心は誰にでもある。

 他に理由があったというのか。

 エミールを王位に就けなければならない理由が、あるというのか。


「――――ッ」


 喉元から刃が外れる。解放された暇を惜しむ間もなく、カゾーランは剣で薙ぎながら背後を振り返った。

 だが、そこには誰もいない。

 まるで、闇の中に溶けていったかのように、誰の姿も見つけることが出来なかった。


「ぐっ……」


 緊張から解かれて、思わず片膝をつく。こんな風に崩れることなど、今までなかった。動悸がして、信じられないほど汗が流れている。

 まさか、――。

 ありえない。絶対に、ありえない。カゾーランは自らに言い聞かせながら、呼吸を整えていく。


 彼が、今ここにいることは、ありえない。

 生きているというのなら、ルイーゼは何者だ?

 クロード・オーバンは、十五年前に死んだのだ。




 † † † † † † †




 風が気持ちいい。

 のどかな田園風景が広がっている。青々とした麦は、数ヵ月後には収穫時期を迎えるだろう。風に笑うように揺れる青葉を眺めて、ルイーゼは胸いっぱいに空気を吸った。


 ロレリアの田園風景を眺めるのは、前世ぶりか。

 ≪黒竜の剣≫を叙任されて、セシリアが王家に嫁いだあとからは、ほとんど帰らなかったので、実に二十年はマトモに見ていない。

 それでも、あまり変わっていない様子の田舎は、懐かしさを覚える。前世をあまり引き摺らない主義だが、郷愁くらいはあるものだ。


「お菓子小僧待てぇッ!」

「待たないよー!」


 麦畑のなかでジャレるように遊ぶ子供の声が聞こえる。お菓子小僧は、ロレリアに伝わる童話の一つだ。時に貧しい子供にお菓子を配り、時に女児に化けて大人をからかう道化者として語られている。

 こんな光景を見るのも久しぶりだ。


「この国は豊かだな」


 ギルバートが馬上でポツリと呟く。

 勿論、服を着ている。地味な色の旅装だが、相変わらず、シャツのボタンを数個外した野生的なスタイルだ。

 今を思えば、あのボタン数個外しは露出癖の一端だと理解出来る。理解してもなんの得もない。そこはかとなく漂う色香も、変態由来だと知るとげんなりしてしまう。


「当然です。フランセールは周辺諸国でも有数の農業先進国ですから。特にロレリアはフランセールでも一、二を争う麦の生産量を誇っております」


 故に、外国からも狙われやすいのだが。

 ルイーゼの説明にギルバートは納得したように頷き、馬を操る。


「今は我が領地サングリア公爵領の方が上だ」


 補足のつもりなのか、張り合っているのか、セザールがルイーゼの説明に付け加える。

 隣接するロレリア領とサングリア領は「ロレリア地方」と一括りにされることが多いのだが、それが不服らしい。「お隣とは違います」と主張しているみたいで、妙なところで負けず嫌いだと感じてしまう。

 そういえば、セザールは終戦からずっと、領地に引き籠ってワイン醸造に精を出しているのだった。これがなかなか有名で、王都でも高級ブランド扱いされている。

 因みに、今日のセザールは男装だ。

 流石にドレスで馬旅はしないようで、安心している。ただし、長いシルバーブロンドを束ねるリボンは、ルイーゼに合わせて鮮やかな青だった。友達や姉妹で同じ服を着て喜ぶ女子みたいなチョイスである。


「そろそろロレリア侯爵の城が見える。小僧、くれぐれも大人しくしていろよ」

「だから、どうして俺なんだよ」


 ルイーゼを前に乗せたまま、セザールが馬の腹を蹴った。ここから、少し走るらしい。ギルバートもセザールを追いかけて、馬を駆る。


 やがて、小高い丘の上に白亜の城が見えた。

 昔となにも変わらない。ロレリアの城だ。かつて、自分が護衛として仕え、セシリア王妃が暮らした城。城下には、城壁に囲われた小さな町も見える。


 ――大丈夫ですわ。きっと、またすぐに還ってくるから。


 あの夢は、なんだったのだろう。

 急にかすめる疑問と不安。

 ロレリア城に近づくにつれて、ルイーゼは胸を占める靄が濃くなるのを感じた。

 

 

 

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