第67話
当然のように。いや、必然的に宿屋の食堂は微妙な空気に包まれていた。
安宿に似つかわしくない上流階級と思われる客が三人。地味な装いをしているが、やはり異質だ。
見られている。
視線を感じるが、ルイーゼは意に介さずコップの水を口に含む。井戸水だろう。よく冷えていた。
目の前には、セザールが用意した簡単な朝食が並んでいる。パンとサラダ、ハムエッグ。デザートは桃の蜂蜜漬けだった。桃の蜂蜜漬けはセザールが持参したらしい。どうして馬旅でそんなものをわざわざ持参したのか、甚だ疑問だったが。
簡単だが、他の客よりも明らかに立派な朝食だ。それだけでも、注目される要因になっていた。だが、気にしない。
むしろ、気になるのは、目の前で黙々と口を動かすエプロン野郎×2の存在。
「二人とも、エプロン脱ぎませんか? あ、ギルバート殿下は服を着てください」
真っ先にエプロンを脱ぎ棄てようとしたギルバートの動きを、ルイーゼは見逃さなかった。もはや、あのエプロンは理性の一枚だ。死守しなければならない。
「よかろう。調理は済んだからな」
セザールは同意してエプロンを脱いでくれた。そして、無表情で脱いだエプロンをギルバートに被せるように着せる。
正直、全裸の上にエプロンが二枚になったところで、あまり意味はない。
「オッサンは気に入らないけど、料理は美味いんじゃあないか?」
ギルバートは横目でセザールを睨みながら、口いっぱいに料理を詰め込んで咀嚼している。とても豪快に朝食を平らげていた。そういえば、アルヴィオスの食事は不味いと言っていたか。もしも、本当なら、セザールを連れていて正解かもしれない。
絶妙な焼き加減のハムエッグを口に運んで、ルイーゼも顔を綻ばせてしまう。なかなか美味しい。
この辺りは田舎だが、空気も良くて広大なブドウ畑も美しい。エミールが見れば、きっと喜ぶかもしれない。
――僕、ルイーゼのことが――好き。
一瞬、エミールの顔が頭に浮かんで、ルイーゼは頭を振った。どうして、そんなことを考えてしまったのか。意味がわからない。思考を戻さなくては。
「…………」
食事するルイーゼの様子を見て、セザールが無言で葉巻の煙を吐く。ルイーゼには喫煙の習慣がないので、少々煙たく思って顔をしかめてしまう。
「なにか?」
「いや……令嬢のくせに、旅慣れている気がしただけだ」
ギクリッと、ルイーゼは口に含んだ水を噴きそうになった。
商人の頃はラクダに乗って旅ばかりしていたし、海賊の頃もほとんど海の上だった。騎士の頃も馬旅は珍しくなかったし、安宿も普通に利用した。
本来、ルイーゼたちは王都に近い商業が発展した街で一夜を過ごすべきだった。それを、先を急ぐという理由で馬を飛ばし、小さな町の安宿に泊まることになったのだ。
普通の令嬢なら、ここで文句をつけるだろう。馬車旅ではないのだ。疲労も尋常ではない。
だが、ルイーゼは文句一つ言わずに同行した。
流石に一人で馬を駆っていたら疲れが出たかもしれないが、今回は不服にもセザールと相乗りである。馬には乗れるが、長距離の移動に耐えられる体力がないと自覚しているので、納得はしているが。
「ええ~。ルイーゼ、ちょー疲れましたわぁ。でも、がんばるっ! キャピッ☆」
必殺ブリッ子で誤魔化しながら、視線を明後日の方向に泳がせた。
あまりセザールには前世のことを知られたくない。
セザールはロレリア城で少年期を過ごしたセシリア王妃の幼馴染――すなわち、前世の自分の少年期を知っている。友人? いや、あれは完全に腐れ縁だったと思う。カゾーランと似たようなものだ。うん。
「……ところで、今後の進路の話だが」
「今、渾身のブリッ子を無視しましたわね!?」
気持ち悪いなどと反応をされるよりも、ナチュラルに流されると余計に傷ついてしまう。横でギルバートが「フランセールの令嬢は気味が悪いな」と言っているのが、あまり気にならない程度に腹が立った。
「小僧、ノルマンド港に船があると言ったな?」
「ああ? そうだが……その、小僧って呼び方はなんとかならないのか」
「ノルマンドへ行くなら、ロレリアを通るのが最短だろう。少々難しい土地柄だが、我がいれば問題ないはず。そのために、国王は我を呼びつけたのだからな」
「おい、無視するんじゃあない」
ギルバートの抗議をサラリと無視して、セザールは葉巻を口から離す。彼は掴みかかろうとするギルバートの顔に、思いっきり煙の息を吹きつけた。
「早めに支度をしておけ」
「ゲホッ……あ、こら。待て!」
ギルバートは煙に咽せながら、セザールの胸倉を掴もうと手を伸ばす。粗悪な部分があるとはいえ、ギルバートもアルヴィオスの王子だ。ぞんざいな扱いを受けて、頭にきたのだろう。
だが、セザールはギルバートの腕を受け流すように、自然な足運びで避ける。そして、朝一番と同じく、頭を掴んで床に叩きつけるようにねじ伏せた。
「勘違いするなよ、小僧。我はフランセールの騎士であり、仰せつかったのは、そこにいる娘の護衛だ。どこに、貴様を敬う必要がある」
「くッそ……!」
ギルバートが悔しそうに顔を歪めている。彼も決して弱くない。実力としては、ユーグと似たようなものだろう。それが、こんな風に簡単にねじ伏せられると、面白くないはずだ。
セザールはギルバートを解放し、何事もなかったように葉巻を咥えて立ちあがった。
「我が
セザールの言葉を聞いて、ルイーゼは思わず目を見開いてしまう。
この人、まだ――。
「おい、お前」
視線に気づいてしまったのか、セザールはルイーゼの目の前に手をついた。身を乗り出して顔を近づけられる形となり、ルイーゼは息を呑む。
なにかを、気づかれた?
動きを止めてしまったルイーゼの頭にセザールがおもむろに手を伸ばした。
「良い色のリボンだな」
「は、はあ……」
ルイーゼが髪に巻いているリボンに触れて、セザールがフッと優しげに笑う。なんとなく、和みのある表情だが、実際は四十路のオッサン(女子力極振り)が令嬢のリボンを見て褒めているという、割と意味がわからない場面である。
「……お貸ししましょうか?」
「いや、今日の服の参考にさせてもらう」
「あ、はい」
因みに、今日ルイーゼが巻いているのは、鮮やかな青いリボンだ。基本的に馬旅なので、スカートは穿かない。ボーイッシュなスタイルを目指そうと思って、自然と寒色系のリボンを選んだだけなのだが。
セザールは気分良さそうに鼻歌を口ずさみながら、自分の部屋へと戻っていく。リボン一つで機嫌が変わる四十路の女装騎士。その背を見送って、ルイーゼは微妙な気持ちになった。
「なんだ、あのオッサン」
「まあ、あの方もいろいろ苦労されたので……」
「ふぅん。変なオッサンには違いない」
ギルバートが文句を言いながらデザートを頬張る。セザールが変人なのは同意するが、それより先に、あなたは服を着ろ。と、思ってしまうルイーゼだった。
「そういえば、ギルバート殿下の従者はどうしましたか?」
いつも連れているわけではないが、ギルバートにも従者がいるはずだ。しかし、王都を発つ頃には一緒に行動していなかった。今、彼はどうしているのだろう。
「アルビンのことか」
「そんな名前でしたか」
空気なので覚えていなかった。ギルバートは足を組み直しながら、どうでも良さそうに最後の一口を頬張る。
「アルビンとは別行動だ。あとから馬車で影武者と一緒に王都を発つ……俺が
なるほど、カモフラージュか。ギルバートは表向きには父王の命令を受けて、使者として行動している。もしかすると、監視でもされているのかもしれない。
「あの」
食事を終えて立ち上がろうとするギルバートを、ルイーゼは呼び止める。
「疑問があります。アルヴィオスでは、王制廃止の動きがあるのですわよね」
「まあ。そんな風潮があるな……まだギリギリ弾圧出来ている段階だ」
だが、いずれ爆発するのは、目に見えている。
「ギルバート殿下は王族です。民衆に加担して現アルヴィオス国王を排しても、あなた自身の得にはならないのでは?」
ギルバートの目論見が成功したとして、彼が望むものがなんなのか、ルイーゼにはわからなかった。
新しい王となって、統治することだろうか。仮にそれが成功したとして、民衆が同じ王家から出た新王を受け入れるだろうか。
リチャードの魂が転生し続けることで、長きに渡って、似たような政治を敷いてきた王家だ。王制廃止か、新王家を望むのが自然な流れなのではないか。下手をすれば、国王諸共処刑を望まれるかもしれない。
「だが、今の状態では新しい政治は敷けない」
「それには同意しますが……」
「理解されなくてもいい」
ギルバートの左右で色合いの違うオッドアイが、まっすぐルイーゼを見た。射抜くような視線に、思わず言葉を失ってしまう。
「俺には守るものがある。それを守れたら、充分だよ」
覚悟は決まっている。そう言いたげだった。
きっと、ギルバートはルイーゼが危惧している事態も想定内なのだろう。その上で、彼は行動している。
覚悟の決まった人間を止めることは出来ない。いつの記憶だったか思い出せないが、ルイーゼは、なんとなく、こんな表情の人間を知っている気がした。
とはいえ、裸エプロン(二重)で言われても、なんとも言えない気分になるだけだったが。
† † † † † † †
エミール王子たちが王都を発って一夜。
王宮では、なにごともない平穏な日常が流れていた。
「う、うぅ~。お、おなかが痛いんだよ~。僕、まだまだ引き籠りますわ……いや、引き籠る~! ご飯は、そこに置いてくださ……置いて!」
渾身の演技で呻き声をあげて、ヴァネッサは扉の向こうにいる使用人に主張した。扉は絶対に開かないように、十数個の重い錠で施錠している。念のために、眉上パッツンに切り揃えたブルネットのカツラも被っていた。
どうして、私こんなことをしているのかしら。と、思いつつも、ユーグのためだと思うと、つい熱が入ってしまう。
因みに、モチベーションをあげるために、室内に散らかっていた奇妙な魔除け道具は全て片づけ、代わりに絵師に描かせたユーグの肖像を数点飾ってみた。一日中、ユーグの絵を見ながら、過ごしている簡単なお仕事だ。
身の回りのことは、仲間の令嬢たちに頼んでしてもらっている。アントワープの屋敷には、「しばらく、殿下のために王宮仕えすることになりましたわ!」と言うと、喜ばれた。嘘はついていない。
それにしても、暇だ。
エミール王子は引き籠っていた十五年間、なにをして過ごしていたのか、甚だ疑問だった。
「暇ですわ」
部屋の外に気配を感じないことを確認して、ヴァネッサは息をつく。
おもむろに書き物机の前に座るが、目的はない。ただ、なんとなく、心が赴くままに紙とペンを取ってみた。
なにもすることがないと、外の世界を妄想してしまう。
エミール王子とユーグは、今頃どこにいるのだろう。シャリエの令嬢には、追いつけたのか。どんな旅をしているのか。
気がつくと、紙にサラサラと妄想を書き綴っていた。
「ふふ。楽しい」
最初は脈絡のなかった妄想が、やがて纏まった文章へと変じていく。書き物の趣味はなかったのだが、これはこれで楽しい。
野を越え山を越え、仲良く旅する王子と騎士。途中で山賊を倒したり、ライオンを仲間にしたり、人助けをしたり。そんな道中を好き勝手に想像してみた。
「あとで、みなさんにもお見せすることにしましょう」
世話役を買ってくれている仲間の令嬢たちに見せることを想定しながら、ヴァネッサは鼻歌を口ずさんだ。
後に、令嬢の一人が書き物の内容を大変気に入り、印刷所に持ち込むことなど、今のヴァネッサは知る由もない。
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