第63話

 

 

 

 ルイーゼがアルヴィオス行きを承諾すると、ギルバートは即座に動いた。

 すぐにアルヴィオスへ発たなければならない。元々予定していた滞在期間を延ばしていたらしく、本国から催促が届いていたようだ。

 勝手に動かれるのは気持ち悪いが、仕事の迅速さは称賛に値する。彼が外国への使者に選ばれたのは、そういう側面が評価されたのかもしれない。もっとも、アルヴィオス国王の意に反して、ギルバートはクーデターを企てようとしているわけだが。

 勝手にトントンと話が進む様を、ルイーゼはただ見ているだけでよかった。

 変なことに巻き込まれて、煩わしい。ハッピーエンドライフに傷がついたら、どうしてくれるのだ。そんな心配をしているだけでいい。


「公爵令嬢」


 呼ばれて、ルイーゼは我に返る。あまりにも、オートモードで話が進むので、考えることを放棄していた。

 人払いを済ませた応接間に、ルイーゼはギルバートと共に通されていた。目の前には、アンリ。後ろに控えるように、侍従長が立っている。

 当然だが、この二人は人魚の宝珠マーメイドロワイヤルの秘密を知った上で、全て隠していたということだ。


 今更、ルイーゼは固唾を飲んだ。

 ルイーゼが宝珠を持っている理由は、自分でも全くわからない。前世を隠した上で、適当な理由を考えることが難しいように思われた。

 なにか糾弾されるだろうか。

 宝珠を盗んだのは首狩り騎士クロード・オーバンだ。そこに言及されると、なにも言い返すことが出来ない。

 だが、結局、その話に至ることはなかった。


「フランセールへ帰ってくる意思は、あるか?」


 問われて、ルイーゼはコクリと頷く。

 ルイーゼが持っているのは、フランセールの秘宝だ。当然、帰って来なければ困るだろう。むしろ、その意思がない者を国外には出せない。

 因みに、先ほど、宝珠の力を元々の宝石に移せないか試したが、無理だった。なんらかの理由で、ルイーゼから離れない状態になっているらしい。


 ルイーゼの役目は宝珠を持ったままアルヴィオスに渡り、ギルバートを手伝って国王ウィリアム二世を廃位させること。そして、そのまま宝珠をフランセールに持ち帰らなければならない。


 アルヴィオスで燻る民衆の反乱を抑えこむだけではない。

 国王ウィリアム二世リチャードはフランセールに対する戦争と王位簒奪によって、民衆の不満を逸らそうとしているらしい。彼を廃することは、フランセールの窮地を救うことにもなるのだ。

 どう考えても、非力(に見える)な令嬢には荷が重い。ギルバートがどこまで信頼出来るかもわからないので、尚更だ。


「せめて、カゾーラン伯爵を連れていけませんか?」


 ルイーゼはダメ元で打診してみる。

 腕に自信はあるが、聞けばアルヴィオスの治安は悪そうだ。五分程度しかマトモに戦えないルイーゼでは、心許ない。


「カゾーランに長期間王都を空けられると困る」


 今や、王族と王都守護の全権を握るカゾーランを外国へ送ることは憚れるのは、わかっている。

 だが、ルイーゼだって命懸けになるかもしれないのだ。無理にでも要望を通したかった。

 ユーグ辺りでも悪くないが、彼は若くて戦を知らない世代だ。いざと言うときに、どこまで頼りになるか疑問だった。


「重々承知しておりますが……ルイーゼぇ、心細いのですわ~。外国なんて、こわ~い! キャピキャピッ☆」

「……その背筋が凍るようなおぞましい喋り方は罵られるのと同じくらい快感だが、その要望は聞けぬ。第一、カゾーランは事態を全く把握していない」


 アンリは気持ち良さそうに身震いしつつ、サラッと要求を却下する。この国王、相変わらずブレない。

 だが、言い回しが妙だ。まるで、これ以上余計な人間に情報を漏らしたくないと言っているようだった。国の非常時だ。背に腹はかえられないはずだが……まだ、なにか隠しているのだろうか。侍従長が知っていて、カゾーランが知らないのも変だ。


「代わりを呼んでおります」


 ルイーゼが思案していると、侍従長が口を開いた。老いた公爵が「……あまり使いたくなかった手ですが」と付け加えて、表情を歪めるのをルイーゼは見逃さなかった。

 まさか、ねぇ?

 嫌な予感は、大概、当たるものだ。


「入りなさい」


 部屋の外に控えていた人物を見て、ルイーゼは項垂れたくなった。

 開いた扉の隙間から、真紅のドレスが入室する。

 足元には乗馬用のブーツ、腰には重そうな剣が提げられている姿が、異様だった。

 光の加減によって金にも銀にも見えるシルバーブロンドがサラリと肩から落ちる。冷たい視線を湛えるアイスブルーの瞳が、室内を睥睨した。

 見覚えがある。荊棘騎士セザール・アンセルム・ド・サングリアだ。


 ルイーゼは思わず、ガクッと肩を落とした。

 セザールはロレリア侯爵領に隣接するサングリア公爵の長男。つまり、侍従長の息子だ。

 元はロレリアと同じ家系だったが、二領に分裂した歴史を持っている。そのため、ロレリア侯爵とサングリア公爵には厚い親交があった。

 前世のルイーゼはロレリア出身の騎士だった。セザールは幼少期をロレリアの城で過ごしていたため、よく見知っている。彼はセシリア王妃の幼馴染のような位置づけだ。


「陛下の御前に出るのだから、正装してこいと言っただろう!?」

「精一杯、着飾ったつもりだが」

「制服はどうした」

「二十年も前の服なぞ、とうにカビが生えて捨てたに決まっているだろう」

「せめて、普通の男装は出来なかったのか!」

「……なんだ、普段着で良かったのか。最初から言えばよかろう」


 だいぶワケのわからない親子の会話がはじまる。

 仕舞いに侍従長が折れて、壁に頭をグリグリ押しつけながら「陛下、申し訳ありません……私の不徳の致すところであります……」と死にそうな声をあげていた。


「……爺の子は、いつ見ても奇抜だな」


 本気半分、からかい半分と言った表情で、アンリが「気にしていない」と示した。もう慣れた様子の対応だ。セザールの方も、咎められないことがわかっているのか、不遜な態度で葉巻を咥えている。

 前世で見たときよりも、流石に年齢を感じるが、相変わらずドレスが似合う女顔だ。

 黙っていれば、どこかの貴婦人だろう。むしろ、年齢を重ねたことで、しっとりと成熟した雰囲気まで纏っている。和風美人の素養もありそうだ……男だけど。


「このご婦人が護衛? 大丈夫ですか?」


 ギルバートが対外的な愛想笑いを浮かべて立ち上がった。

 だが、腹の中ではセザールのことを馬鹿にしているのが丸わかりだ。初対面のギルバートには、セザールが女にしか見えないのだろう。挑発的な視線を向けているのがわかる。


「アルヴィオスのギルバートと申します」


 ギルバートは丁寧に腰を折って、片膝をつく。この段になって、ルイーゼはアルヴィオスの作法を思い出してしまった。

 しかし、遅い。誰かが止める前に、ギルバートは深すぎるくらい頭を低くして、土下座のような姿勢をとる。

 女性に頭を踏んでもらう、アルヴィオスの礼儀だ。


「ギ、ギルバート殿下! その方は、男――」


 止める前に、セザールが片足を高くあげた。そして、ギルバートの後頭部を容赦なく踏み抜いてしまう。頭が床に打ちつけられる鈍い音と、「ぐぇっ」という変な声まで聞こえた。


「ふんっ。我が美に平伏したか。だがな、小僧。よく覚えておけよ。我が名はセザール・アンセルム・ド・サングリア。荊棘騎士と呼ばれるフランセールの騎士だ。舐めた口を叩くと、次はその頭、原形を留めぬものと思え」


 ガンッガンッとギルバートの頭を何度も踏みながら、セザールは葉巻の煙を吐き出した。

 馬鹿にされて、そうとう不機嫌のようだ。元はと言えば、自分が女装しているのが原因だというのに。


「セザール、やめぬかぁッ」


 侍従長が死にそうな顔で止めに入る。解放されたギルバートは額から血を滲ませながら、クラクラと目を回していた。

 ルイーゼは伸びてしまったギルバートを回収して座らせながら、「見た目は貴婦人、頭脳はオッサンですわ」と耳打ちしておく。


「シャリエ公爵令嬢の護衛は、我が承った」


 葉巻の煙を吐き出してセザールが淡々と宣言した。隣では、侍従長が「息子が本当に申し訳ありません。陛下ぁぁああ!」と泣きそうになりながら謝っている。そろそろ寿命が近いのではないかと、心配になってきた。


「頼んだ」


 アンリは短く言って、再びルイーゼに視線を戻した。

 射抜くような、それでいて、観察するような視線だ。見透かされている気がして、ルイーゼは思わず視線を逸らした。

 なにか、言われるのだろうか。

 だが、結局、アンリはなにも言わなかった。いや、なにか言おうとしたのかもしれない。しかし、なにも言わなかった。

 ただ、念を押すように、セザールに「頼んだぞ」ともう一度言っただけだ。

 国王の許可も出て、一行はすぐにでも王都を発つことになる。

 伸びたギルバートを引きずって部屋を出る際、ルイーゼは思い出したようにアンリを振り返った。


「陛下……こんなことになりましたし、わたくし、殿下の教育係を辞任しますわ」


 アルヴィオス行きが決まらなくても、そうするつもりだった。

 自分の前世を話した以上、今までのような関係は保てない。いや、エミールがルイーゼに恋愛感情を持った時点で、もう成立していなかったのだ。

 エミールは引き籠り生活を脱している。ルイーゼ以外の人間にも懐いているし、素直に教育を受け入れる下地も整っているはずだ。

 もう、ルイーゼが教育係を続ける必要もないだろう。これから、ゆっくりと王子になっていけばいい。


「エミールが良いと言えば、そうしよう」


 アンリはそう言って、少しだけ笑った。ルイーゼも「それで結構です」と答える。

 たぶん、エミールはもうルイーゼに会いたがらない。

 自分のトラウマの元凶であり、母親を殺した人間になど、もう会いたくないに決まっている。


「肩の荷が下りますわ」


 ルイーゼは部屋を出ながら、清々した気分で呟いた。

 もう、あの軟弱王子の世話を焼かなくてもいいのだ。バッドエンドフラグも回避出来るし、本当に万々歳である。

 清々しい。すこぶる気分がいい。

 そのはずだ。


 胸にポカリと風穴が空いた気がするのは、きっと、気分が良すぎるからだ。そうに違いない。




 † † † † † † †




 これは大変なことを聞いてしまいました!

 ミーディアは屋根裏から這い出て、埃を払わぬまま駆けた。走るのは得意だ。馬目線に戻れる気がする。

 駿馬とはほど遠いが、人間としては上々の走りを見せて、まっすぐにエミールの部屋へと向かった。


「殿下、殿下!」


 エミールの部屋をノックし、返事を待たずに開け放つ。


「ふ、ふぇっ!? や、やだ、勝手に入らないでよぉ!」


 部屋の隅でエミールが泣きそうな顔をあげた。

 分厚いカーテンのかかった部屋は薄暗く、中央にはワケのわからない魔法陣が描き込まれている。

 ミーディアは床に置かれたブドウジュースやヤギのチーズをドカドカと踏み散らかして、エミールの前まで歩み寄った。


「あああああ! 結界が!」


 涙声で叫ぶエミールの前に腰を下ろし、ミーディアは真剣な顔を作る。その様子に気圧されたのか、エミールは唇を震わせて声を窄めていった。


「殿下、大変です」

「な、なに?」


 エミールが固唾を飲んでミーディアを見返している。ミーディアは一拍置いて、言葉を発した。


「元ご主――んんッ。ルイーゼさんが、アルヴィオスに連れて行かれちゃいます」


 エミールの眼から涙がこぼれる。


「え?」


 口をパクパクと開閉させて、エミールは戸惑った様子だった。なんの言葉も発さない。

 ミーディアは、てっきり、すぐに「嫌だ、ルイーゼを行かせない」と言ってくれることを期待していたのだが、やや肩透かしを食らってしまう。


「殿下、いいんですか!?」


 問うと、エミールは顔を伏せて頭を抱えてしまった。

 なにかあったのか。問おうにも、エミールはガタガタと震えるばかりで、なにも喋ろうとはしなかった。

 

 

 

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