第51話

 

 

 

 この日も、ルイーゼはいつものように王宮へと向かった。

 馬車を降り、普段通りにエントランスへと入る。

 ほぼ毎日来ているというのに、いちいち案内役の到着を待つのが煩わしい。だが、決まりなので仕方がなかった。


「どうか致しましたか、お嬢さま?」


 ルイーゼの表情に異変を感じたのか、ジャンが口を開く。

 ジャンの察しの良さは、執事としての美点だろう。主人の表情から、感情の流れを読み取る能力は必須だ……それを自分のドMにさえ繋げなければ。


「いえ、なにも……誰かに見られているような気がして」


 先ほどから、殺意には程遠いが、それなりの憎悪の視線を向けられている気がする。

 数々の悪党人生を送ってきたせいか、そうのような直感は優れている。むしろ、後ろから急に刺されてもいいように、現世でも細心の注意を払っていた。

 ルイーゼは軽く周囲を見渡す。


「あら」


 ルイーゼはとっさに異変を感じ取り、ジャンの陰に隠れた。

 瞬間、ジャンの身体に数発の衝撃が走る。驚きのあまり身体を仰け反らせて倒れ込んだジャンを見て、ルイーゼは状況を瞬時に分析した。

 ジャンの身体に付着していたのは、生卵である。ドロリとした卵白と卵黄の塊を垂らしながら、ジャンが声をあげた。


「よろしゅうございま……せんっ!」


 この執事、生卵は不満のようだ。


「奇襲ですか」


 ルイーゼは呆れながら、ジャンの胸倉を掴んで立ち上がらせる。それと同時に、ジャンの後頭部に再び卵が命中した。計算通りである。

 ジャンを巧みに盾として利用し、ルイーゼは周囲を見回した。


「王宮で、いったいなんの真似かしら?」


 生卵を浴びてグチャグチャに汚れたジャンをボロ雑巾のように投げ捨てて、ルイーゼは腕を組んだ。

 足元で「こんなのお仕置きではございません……よろしゅうございません……でも、癖になりそうです……ん。これは、やっぱり、よろしゅうございます!?」とジャンが放心状態で呟いている。無視でいいだろう。


「どうして、一発も当たらないのよ!」

「あら、もう生卵がありませんわ!」

「臆することはなくてよ。相手はたった一人なのですから!」

「あの執事、気持ち悪いですわ。笑っていますわよ!」

「や、やだ。変態ですわ!」


 口々に声をあげるのは、見目麗しいドレスに身を包んだ五人の令嬢たちだった。

 ルイーゼを取り囲むように構えた彼女たちの顔は、なんとなく夜会で見たことがある。端から順に名前を言うことも出来るが、なんだか面倒くさいので省略したい。

 五人は生卵の入っていた籠を投げ捨てて、キーッと歯を剥き出しにしてルイーゼを睨んだ。こんな表情をされるなど、身に覚えがない。


「ルイーゼ・ジャンヌ・ド・シャリエ!」


 フルネームで呼び捨てにされ、ルイーゼは眉を寄せた。

 真ん中に立った令嬢――確か、アントワープ伯爵令嬢のヴァネッサとか言ったか。ふわふわのチョコレート色の髪を束ね、顔に少しそばかすを散らしている。黙っていれば、大人しそうに見える令嬢だった。いや、ルイーゼの記憶では、彼女は大人しいはずだ。

 ヴァネッサはビシッと人差し指をルイーゼに向けて、キィキィと金切り声をあげた。


「私は、ヴァネッサ・ド・アントワープと申しますわ。覚えておきなさい!」

「いえ、存じておりますが」


 わざわざ名乗られなくとも、わかる。ルイーゼはなんの茶番だと言いたげに、半目でヴァネッサを見た。


「あら、流石に恋敵の名は知っているようですわね!」

「はあ。コイガタキ?」


 なんの話だ。

 ルイーゼはますます訝しげにヴァネッサを見た。その視線があまりにも馬鹿にしているように見えたのか、ヴァネッサは勝手に羞恥で頬を赤く染めはじめる。


「惚けないでくださる!? あなた、最近調子に乗りすぎよ!」


 ヴァネッサが宣言すると、他の令嬢たちも口々に「そうよ、そうよ!」と叫びはじめた。


 曰く、


「どうして、あなたばかりがユーグ様とお話しているのよ、ズルいじゃないの!」

「陛下にお食事を誘われたですって!? そんなのデマに決まっていますわ!」

「シエル様から求婚されたというのは、本当でして!?」

「他国の王子様に気に入られたからって、良い気にならないでください!」

「おまけに、エミール殿下にお持ち帰りされたですって!?」


 と、こんな具合であった。

 総括すると、


「「「「「あなたばかり、羨ましいのよ!」」」」」


 どこかの国王様みたいなことを言って、令嬢たちがハンカチを噛む。地団太踏んで暴れ出す令嬢もいて、なんだかコメディの一幕を見ている気分だった。とても、わかりやすい嫉妬の構図である。


 ルイーゼは物凄く面倒くさいことになっていると気づき、盛大な溜息をついた。


「いったい、誰を狙っていると言うのよ。この性悪女!」


 問われて、ルイーゼは素直に答えるほかなかった。


「誰と言われましても……別に誰も狙っていなくてよ」


 実際のところ、嘘はついていない。


 ユーグはルイーゼのことを認めてはいるが、根っからの女嫌いでオネェ。論外である。

 アンリに食事に誘われたのは事実だが、その件に関しては解決した。ロリコンでドMの王族と結婚するつもりはないので、こちらも論外。

 シエルに至っては、そもそも双子の妹(しかも、馬娘!)が入れ替わって悪戯していたという有り得ない真相だ。論外すぎて言葉も出ない。

 ギルバートに関しては、まだよくわからないが、ルイーゼはあの男を絶対に許さない。万死に値する。

 エミールは確かに、ルイーゼのことを夜会から連れ去ってキス未遂まで起こしたが、フラグを叩き潰したので、大丈夫だ。問題ない。


「わたくし、恋愛などには興味ありませんから」


 だが、その言葉が令嬢たちの心を煽ったらしい。

 ヴァネッサが顔を赤くして、ルイーゼにキツイ視線を向けてきた。殺気を向けられることに慣れているルイーゼにとったら、可愛いものだが、穏やかではない。


「なんて、最低の性悪女! 殿方の地位だけが目当てだと言うのね!」


 どうして、そうなった。ルイーゼが突っ込みを入れる前に、ヴァネッサが叫ぶ。


「あなただけ、抜け駆けなど許せなくてよ!」


 呆れ返るルイーゼの前に、ヴァネッサが詰め寄る。他の令嬢たちも、その様子を見て鼻息を荒げていた。


 確かに、今あがった男性の名は全て王族か名家の子息だ。

 いわゆる、乙女ゲームの攻略対象のようなスペックを持ち合わせたラインナップなのだと今更気づいた。なにも知らない第三者から見れば、ルイーゼの立ち位置は美味しいのかもしれない。


 実際は、マトモな殿方が誰ひとりとしていませんけれど!


 これが女の嫉妬か。見苦しい。

 異世界に転生してから、男の人生ばかりを送っていたせいか、少し懐かしい気もした。そういえば、女の人間関係はこんなにドロドロしていた気がする。一時期、大奥にハマッてドラマを見漁ったのを思い出す。そう。こんな感じでしたわ!


「それで? わたくしに嫌がらせをしようと?」


 ルイーゼはヴァネッサの視線を押し返す勢いで声を低くした。

 視線には氷の刃のような殺気を乗せてやる。周囲の温度が数度下がったと感じたのか、周囲の令嬢たちが身震いした。背後からゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴと低い擬音が聞こえて来そうな雰囲気に、ヴァネッサも冷や汗をかく。


「宣戦布告です!」


 だが、ヴァネッサは表情を揺らしながらも、気丈にルイーゼを睨む。


「ふふ、少しは骨があるようですわね」


 ラスボス風味のセリフを言いながら、ルイーゼは唇の端を吊り上げてゲス顔を作った。たいていの婦女子は、ルイーゼに殺気を向けられると委縮して黙ってしまうのだ。

 ヴァネッサは額に汗をかきながらも、奥歯をギリギリ噛んでルイーゼの威圧に耐えていた。まるで、魔王に挑む勇者のような顔だ。


 だいたい、嫌がらせするなら、こんな風に宣戦布告する必要はない。

 ルイーゼがイジメっ子だった頃は、じわじわと包囲網を狭めるように陰湿に嫌がらせするよう心がけていた。ヴァネッサは案外、正直な性格なのかもしれない。


「ごめ~ん、姐さん。待たせちゃっ――お待たせしました」


 ルイーゼとヴァネッサの睨み合いを崩したのは、聞き覚えのある男声だった。

 振り返ると、ユーグが咳払いしながら立っていた。最初はいつものように話しかけようとしたみたいだが、他にも令嬢がいると気づいて、口調を改めたようだ。


「きゃっ、ユーグ様よ!」


 令嬢たちが電撃を落とされたように顔色を変える。

 嫌がらせで生卵を投げつけるなど、意中の男性には知られたくない蛮行だろう。急いで視線を逸らしたり、走り去ってしまった。ヴァネッサも、ルイーゼに対して笑顔を取り繕う。


「では、またね。今日はお話してくださって、ありがとうございます」


 あくまでも、雑談をしていたという体裁を取るらしい。


 ルイーゼはふと思案する。

 ここでもし、「え~ん、ユーグ様ぁ。この方たちが、わたくしに生卵を投げつけてくるのですわぁ。ひど~い。ルイーゼ泣いちゃう。キャピッ☆」と泣きついたとしよう。

 令嬢たちとしては、面白くないだろう。しかも、己の蛮行をイケメン貴公子(ただし、オネェ)に知られてしまうことになり、非常によろしくない。程よく「ザマァ見ろ」な展開になるのではないか。たぶん、そうすればユーグは怒ってくれるはずだ。もしかしたら、キレるかもしれない。

 実際、それを恐れてか、ヴァネッサは落ち着かない様子でルイーゼをチラチラ見ていた。非常にわかりやすい。

 だが、ルイーゼはニヤリと悪魔のように笑った。


 わたくしに宣戦布告したことを、後悔させてやりますわ。


 そう。宣戦布告されたからには、完膚なきまでに叩き潰さなくてはならない。この程度の「ザマァ見ろ」では足りない。もっともっと、爽快で華々しい勝ちを求めるべきだろう。


「では、参りましょうか。ユーグ様」


 ルイーゼはいつものように笑みを作って、エミールの部屋の方へと歩いていく。ユーグも「そうね」と言って先導してくれた。


「なんで姐さんの執事、生卵被ってるの?」


 エントランスを出た辺りで、ユーグがいつもの口調で問う。ルイーゼは涼しい顔で、「さあ? 勝手に被ったのですわ」と、サラリと言っておいた。


「そういえば、今日はユーグ様がお出迎えですの? 事務仕事はよろしくて?」

「う……その話はしないでほしいわ……私、人事異動になっちゃった! 父上ったら、酷いの。聞いてよ、姐さん!」


 いっそのこと、この調子で人前でも喋り続けてくれたらいいのに。そうしたら、婦女子たちのフラグも勝手にボキボキ折れるだろう。

 黙っていたら、非常に爽やかで、笑顔の甘いイケメンなのが悪い。


「私、今日付けでエミール殿下の専属騎士よ。酷いわよ。事務方なのに!」


 ユーグはブツブツと父親に対する恨み事を言いながら、新しくついた襟章を指差した。王族の専属騎士など、大変名誉な役職のはずだが、彼は不満らしい。


「良いではありませんか。最近、エミール様の警護が増えていたのですし」

「それは、そうだけどぉ!」


 最近のエミールは部屋に引き籠らず、外に出る機会も増えたので、急遽専属で護衛をつけることにしたのだろう。エミールが懐いている近衛騎士と言えば、妥当な人事だ。


「あ、でもでも。殿下の可愛い顔がいつでも見られるのは、魅力的よね!」

「……まあ、そうですわね。ポジティブに考えましょう」

「姐さんにも会えるしね!」

「ところで、つかぬことをお聞きしますが……ユーグ様は、わたくしに恋愛感情はありませんわよね?」

「なぁに言ってるのよぉ、姐さん! あるわけないでしょ。他の雌豚ちゃんと比べて、私は姐さんのおとこらしさを認めているのよ!」

「ですわよね。忘れてくださいませ」


 やはり、羨ましいと思われる要素はなに一つないのだと、ルイーゼは確信するのだった。

 

 

 

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