第50話
ミーディアは息を殺す。
慣れっこだ。隣の部屋の様子をうかがおうと、壁にコップを当てて聞き耳を立てた。簡易盗聴術……いや、これもアンリ見守りの一環だ。
隣の部屋には、アンリがいる。一緒にいるのは、アルヴィオスから来たギルバート王子だ。
内密の話があると言うことで、人払いをされてしまった。仕方がないので、隣室から会話に聞き耳を立てている。
「それは――か」
「ご名答。正確には、――」
断片的に聞き取れるが、よくわからない。やはり、窓の外に張り付いた方がよかっただろうか。いや、今は昼間だ。窓に張り付くのは見つかってしまう。
あらかじめ、わかっていたら、アンリ様のお部屋に壺として紛れこんで準備していたのに! 壺なら、きっと見つからないはずです! いっそのこと、今からでも壺として入室してみますか。壺目線で観察するアンリ様も、素敵ですから!
「ミーディアよ……おぬし、まだ陛下をストーカーしておったのか」
「ひゃっ、ひひぃんっ!?」
急に背後から声をかけられて、ミーディアはビクリと肩を震わせる。
振り返ると、カゾーランが嘆かわしそうに溜息をついていた。ミーディアは冷や汗を垂らしながら、「あはは」と苦笑いする。
こんなことなら、壺に入っておけば良かった。
「陛下がわざわざ人払いしておるのだ。大人しくしておれ」
「そうなんですけどぉ……」
ミーディアは大量の文字を書き殴ったメモを身体の後ろに隠しながら、もじもじと俯く。
もはや、アンリの観察はミーディアの日常だ。いや、生き甲斐である。側仕えの地位を得たからと言って、辞められるものでもない。
それに、気になることもある。
――そなたが宝珠を盗んだのは、誰のためだったのだ?
セシリア王妃が宝珠を盗んだかもしれないと聞いてから、ミーディアはどうすればいいのかわからなかった。
ルイーゼは、なにもするなと言う。だが、ミーディアは元主人であるクロード・オーバンの潔白を証明できるなら、そうしたいと思っている。いや、そうするべきなのではないか。
あの不可解な事件を、このまま有耶無耶にしてもいいのだろうか。
「言いたいことがありそうだな」
ミーディアの表情を見て察したのか、カゾーランが声を潜めた。
「実は……」
ミーディアはたっぷり悩んだあと、カゾーランに事情を話すことにした。ルイーゼには口止めされたが、やはり、この件で一番頼りになるのはカゾーランだ。
カゾーランはミーディアの話を聞いて、深刻そうに腕を組む。わけのわからない熱意に駆られて暴走でもするんじゃないかと思ったが、そのようなことはなさそうだ。むしろ、思ったよりも冷静すぎる。
アンリの発言はクロード・オーバンの無実を証明するかもしれない。だが、セシリア王妃が盗んだというのが引っ掛かるのだ。
なにが起こっているのか、理解出来ない。正直な感想は、そんなところだろう。カゾーランも難しい顔をしたまま考え込んでいる。
「ミーディアよ。この件は、カゾーランに預けよ」
「え、ええ……そうですね。わたしも陛下の観察は続けますけど……」
「うむ。報告を頼む」
サラリと観察続行を容認されて、ミーディアはやや肩透かしを食らう。
王族の守護騎士から、直々に国王の観察行為が認められてしまった。それでいいのかと思いながらも、それほど、カゾーランが本気なのではないかと思った。
最早、当事である二人が亡くなっている以上、追究は困難だ。アンリがなにか知っているのなら、そこから探らなければならない。
使えるものは使うということか。
「この話をルイーゼ嬢にしておるのか?」
「しました……カゾーラン伯爵には言ってはいけないと言われましたけど……」
「そうであるか。ならば、カゾーランに話したことは、ルイーゼ嬢には言ってはならぬ」
念押しするように言うと、カゾーランはミーディアに鋭い視線を向ける。
ミーディアも最初から、ルイーゼに話すつもりはなかったが、視線の圧力が重い。有無を言わさない眼だ。なにもしていないのに、じっとりと汗が滲む。
ミーディアは黙って頷くよりほかなかった。
† † † † † † †
ギルバートに謁見を申し込まれ、アンリは応接の間に通した。
広い謁見の間ではなく、密談に使う小部屋だ。既に人払いを済ませ、誰も寄せ付けないようにしてある。
特に相手方から要請はないが、アンリの判断だ。
向かい合うように座ったギルバートは、調度品を眺めて余裕を見せている。
彼の後ろには眼帯をつけた従者が控えていた。口髭をたくわえているが、若い男のように見える。
「下がらせた方がよろしいですか?」
ギルバートが薄く笑い、片手をあげて従者に合図する。すると、従者の男は言葉を発することなく、素直に退室した。
「それで、話とは」
ようやく、アンリが口を開いた。
相手を威圧するように、やや身体を前傾させる姿勢をとる。対して、ギルバートは寛いだ様子でソファの背もたれに身体を預けていた。
「いえいえ、先日までの建国祭。楽しませて頂きましたよ。流石はフランセールの国祭ですね」
「本題を聞いておる」
爽やかな表情でサラリと賛辞を述べるギルバートに、アンリは牽制の一言を放つ。
この段になって、ギルバートが特別に謁見を希望するのには、理由があるはずだ。むしろ、それが今回のフランセール訪問の目的だろう。ただ祭に賛辞を述べるためだけに、王子を使者として寄越すことはしないはずだ。
ギルバートは唇の端を吊り上げて笑う。
紅玉の色を宿す右眼が炎のように揺らめいたように見えた。その瞬間を、アンリは見逃さなかった。
「それは、……
「ご名答。正確には、その一部を譲渡されただけです。期限が来れば役に立たなくなる」
畏まるのも面倒くさい。そう言いたげに足を組み、ギルバートは強気の表情を浮かべる。まるで、国王であるアンリと立場が対等であると示しているようだ。
「簡単な真偽程度なら、『色』として見ることが出来ます。嘘をついても無駄だから、正直に答えて欲しい」
ギルバートはスラスラと言葉を述べながら、アンリの眼を正面から見据えた。一介の王子とは思えない圧力を感じる。流石に、使者としてアルヴィオスが寄越すだけのことはあると思った。
「ここに
「なにを馬鹿な……」
「悪い。正確には、中身がないんだろう?」
ギルバートは敢えて言い直して、こちらの様子をうかがう。妙な色香があり、気味悪くも感じる表情だ。あまり目を合わせたくない。
見透かされているような気がしてくる。
いや、見透かされているのだ。
アンリもよく知っている。それこそが、「宝珠」なのだから。
人魚の宝珠と火竜の宝珠。美しい輝きを放つ二つの宝珠には、
実際には、迷信ではない。
二つの宝珠は魔性の石だ。
それぞれの宝珠には固有の能力が備わっている。その力はフランセールとアルヴィオスの王家で秘匿され、代々受け継がれてきた。
フランセールでは、王家の人間だけが知り得る秘密として守られてきた。いずれは、エミールも受け継ぐことになるだろうが、まだ早い。
「宝珠を使うには、ちょっとした『素質』が必要です。フランセール王家には、その才がまるでないと聞いているが」
「……そのようだな。私が使っても、言葉の真偽を感じ取る程度にしか役立たなかった」
アンリはアッサリ白状して自嘲の笑みを浮かべた。
時の国王ジョアン一世が大軍を投じて手に入れた宝珠。
だが、フランセール王家には、それを使いこなすだけの資質がなかった。条件はわからないが、伝承のような強大な力を得ることは叶わなかったのだ。
そのため、ほとんど使われずに、宝物の間に封印されるように放置されていた。
人魚の宝珠が有する力。
それは、永遠を得る力であるとも言われている。魂そのものを作り変えて、永遠を得ることが出来るのだと伝承されていた。
アンリには扱えない以上、どのような力なのか具体的に見当がつかない。だが、軽々しく使っていいものではないと認識している。故に、王家は宝珠の封印役として機能すべきだとも思っていた。
だが、宝珠は盗まれた。
石の器を残して、その力だけが抜き取られたのだ。そして、今も行方がわからない。
器が残っているので、周囲を騙すことは出来ているが、中身がなくては機能しない。今、王家が保管している宝珠は、ただの石にすぎなかった。
「俺は父から宝珠の一部譲渡されました。この力を使って、フランセールにある宝珠が機能しているか否かを確かめるように、と」
「アルヴィオス王家は宝珠がそこまで扱えるのか」
「たぶん、宝珠の扱いには血筋も関係しているのでしょう。それに、こちらの事情はフランセールとは全く違います」
ギルバートは意味深に笑う。彼が自らの右眼に触れると、彼の紅い瞳からスゥッと色が抜けていった。
左眼と同じ海のような藍色を宿す右眼へと変じていく。これが、彼本来の瞳の色なのだろう。
代わりに、ギルバートの掌には小さな炎のようなものが揺らめいていた。蝋燭の炎そのもののようにも見え、不思議な光景だ。
「こちらに宝珠がないとして、アルヴィオスはどうする気だ?」
アンリは声を低くしてギルバートを睨む。
ギルバートは炎が揺らめく掌をサッと握りしめる。すると、彼の右眼に再び紅い光が宿った。
「アルヴィオスの国王――俺の父は、フランセールの王位簒奪を狙っている」
包み隠さず、ギルバートは淀みない声で告げる。
「フランセールの王子。アレが国を継ぐのは、無理なんでしょう? 引き籠り姫とか言ったか」
「……それは……ただの噂だろう。先日見た通り、エミールは普通だ。少々身体が弱いから人前に姿を現さないだけで――」
「父は宝珠こそがフランセールの脅威だと思っています。アレがないとわかっていたら、あなたを王位から降ろすのは容易だと。また継承戦争でも起こせば、どうなると思う? あの可愛い王子様は耐えられるのですか?」
息を呑んだ。
恐らく、王弟フランクを唆して謀叛を起こさせたのも、その一環だろう。内情を漏らしたのは、フランクで間違いない。実弟の裏切りを早々に見抜けなかったことが悔やまれた。
「……いや、待て。まさか、先の戦争も……?」
「俺は生まれていなかったから詳しくは知らないが、恐らく」
アンリが十七歳で即位したとき、国王が若いという理由で、フランセールは周辺諸国から不当に侵略行為を受けた。あのとき、各国の動きは妙に迅速で、結束しているように見えたのが、ずっと引っ掛かっていた。
アルヴィオスはフランセールにとって唯一の同盟国だったが――あれも裏で仕組まれていたというのか?
「あの王子様が戦争やら陰謀やらを乗り切るのは、難しいんじゃあないか? 見たところ、祭事にもほとんど顔を出していませんでした。政治など、させたこともないのでしょう?」
挑発する言い草だ。夜会でエミールの対人恐怖症は誤魔化せたのかもしれないが、こればかりは隠しようがない。この状況では、エミールの性格を隠すことに意味はないだろう。
しかし、疑問も湧いた。
何故、ギルバートはこの話をアンリにしているのだ。これは、決してフランセールに漏らすべき情報ではない。秘密裏に進めるべき計画のはずだ。
なんの意味があると言うのか。
「私を排するのが容易だと? ――そう易々と、王位を降りてやるつもりはないよ」
アンリはギルバートの表情を観察した。余裕を装っているが、微かに瞳孔が定まっていない。
焦りか。それとも、なにかを危惧しているのか。何れにせよ、他に目的があるように思われた。
「それで、そなたがなにを考えているのか、うかがいたいのだが?」
相手の目的を探って、アンリは涼しげに笑った。表情一つでつけ込まれる気はない。虚勢であっても、だ。
向こうには宝珠の力があるかもしれないが、アンリには長年玉座に君臨してきた経験がある。こんな若造に翻弄されるわけにはいかぬ。
「流石に察しが良くて安心した」
ギルバートは艶やかに笑うと、顔の前で手を組み合わせた。
「ここから、提案だ……俺に、人魚の宝珠を探させてくれませんか」
「……宝珠を?」
突然の提案に、アンリは眉を寄せた。
「俺には、あの宝珠の力が必要だ。我が王家を支配する『亡霊』を退けるために、な」
意味深な言い方だ。きっと、言葉通りの意味ではないのだろう。
「俺は父を王位から降ろす。アルヴィオスの未来のために」
ギルバートは堂々と宣言する。その姿は一国を背負う者に相応しく、勇ましい孤高の獅子を思わせた。少しも揺るがない屈強な精神を持っていると感る。
この王子が、いずれ玉座に登る姿を見てみたいという、素直な好奇心が湧いた。
「聞かせてもらおうか」
アンリはそれに応えるよう、ギルバートを見据えて口を開いた。
† † † † † † †
とある邸宅の一室。
人目を憚るように集まった者たちが会合を開いていた。
「調子に乗っておりますわね」
「そうですわね。最近の言動には、目に余るものがございます」
「この辺りで、少し痛めつける必要がありますわ」
「忌々しい娘……!」
一人がケーキの真ん中にフォークをズブリと突き刺し、苦々しく言い放った。
「見ていなさい……! ルイーゼ・ジャンヌ・ド・シャリエ!」
芳醇な紅茶と、宝石のようなお菓子を囲みながら、彼女たちは強かに笑うのだった。
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