第22話

 

 

 

 一人で歩くのは、正直怖くて堪らなかった。

 でも、あの狭い自室では、居ても立ってもいられなかったんだ。


 ルイーゼが婚約者を探している。

 今夜、夜会へ行くらしい。

 そう聞くと、身体がウズウズしてしまう。

 トレーニングすれば無心になれると教わっていたので試したけれど、エミールの体力では腹筋が十回も続かない。

 部屋の外を覗くと、ちょうど見張りの交代時間だったようで、都合良く誰もいなかった。けれども、エミールは意を決して部屋の外に足を踏み出した。


 自分が歩く先の床が安全かどうか、おっかなびっくり確認しながら、慎重に。うっかりと妖精の大群に遭遇しないか心配だったが、大丈夫だった。

 何度かルイーゼと外を歩いていて気づいたが、少なくとも、王宮では妖精や牛の大群に出くわすことはなさそうだ。勿論、首狩り騎士の影も形も見えない。

 夕陽に染まる空が眩しくて、用意していた目隠しを装備してみた。

 けれども、今度は周りがなにも見えなくなってしまい、転倒。身体のあちこちに打ち身の傷を作ってしまうことになった。

 鎖も試そうかと思ったけれど、引いてくれる人がいないと、目隠しの二の舞だと気づく。


「ふ、ぇ……ルイーゼぇ……」


 やっぱり、一人じゃ外なんて歩けないよ。

 結婚なんてしないでよ。ずっと、そばにいてよ。ルイーゼが一緒にいてくれないと、全然ダメだよ。

 窓を開けることさえ、怖い。外も一人では歩けない。誰かと話すことも満足に出来ない。

 こんな自分が王子だと言うのだから、きっと、みんな呆れているだろう。引き籠り姫と仇名されて、誰も王子だなんて呼んでもくれない。


 本当は、こんな自分でいいわけがない。


 父のように立派に国を治めたいし、母のように強い人になりたい。きっと、誰だってエミールにそう在ることを望んでいるはずだ。

 泣きそうになるのを必死に我慢して、エミールは立ち上がる。生まれたての小鹿のように震えているが、とにかく壁伝いに歩いた。


「あら、ヤダ。殿下、どうしちゃったの!?」


 カゾーランの部屋の近くに辿りつくと、息子のユーグに発見される。

 何度か部屋の前に立ってくれていたのを見ていたので、面識がないわけではない。それでも、エミールは怯えて竦み上がってしまった。


「父上、父上! 殿下が物凄く可愛らしいご様子で転がっていらっしゃるのですが、もうコレ食べちゃって大丈夫ですか!? 餌かなにかですか!? ヤダ、もう理性を保っていられません!」

「ぬっ、殿下が? こら、ユーグ。頼むから殿下に妙なことを教えるな!」

「無理です。剥いちゃいますよ!」

「やめぬか、ならぬ!」


 ユーグは慌てた様子でカゾーランの執務室に入っていく。餌とか理性とか、なんだか意味のわからないことを言っているけれど、必死すぎるエミールには考える余裕もなかった。


 その後、カゾーランに無事保護される。しかし、ここからもう一冒険。

 エミールの頼みで、カゾーランが夜会へ連れて行ってくれることになる。

 残っていた仕事を全て押し付けられたユーグが「可愛い殿下のためなら、仕方ないから頑張っちゃうケド、早く帰ってきてくださいね!」と言っていたのが、少し申し訳なかった。


 それから、カゾーランが苦肉の策で考えてくれたのが、この方法。

 人前に出たくないエミールをロングローブの中に隠すと言うのだが……。


「殿下、前に進みますぞ」

「う、うん……ひゃっ」


 カゾーランの足先がエミールに当たる。

 エミールは薄暗いローブの中で、必死にカゾーランの動きに合わせた。ずっと屈んでいるため、足が限界だが、これも「筋トレ」だと思えば耐えられる。きっと、ルイーゼだって褒めてくれると思った。


 ときどき、ローブを捲って外を見ると、華やかな景色に眩暈がする。

 優雅な音楽は耳心地良いものの、大勢の声がして落ち着かない。貴婦人たちが甲高く笑う声なんて、今夜の夢に出て来そうなほど怖い。

 こんな風に、みんな上品に立ち振舞っているが、実はみんな陰で鍛えているのだと思うと、ゾッとする。

 ルイーゼ曰く、彼女など「さいじゃくのしてんのう」程度らしい。「だいにだいさんの、わたくしがいましてよ」とも言っていた。よくわからないけれど、物凄く怖いことだけはわかった。

 気を抜くとすぐに蹴られるし、ちょっと汗臭いのも……そんな文句を言ったら、カゾーランに悪いから、絶対に口にはしないけど!

 エミールは少々小柄に育っているとは言え、充分な空間を確保しようと、空気椅子のようなガニ股で頑張ってくれているのだから。


 ルイーゼに会えたときは、なんだかホッとした。力が抜けて座り込むと、ルイーゼはいつものように呆れながらも、優しそうに笑ってくれた。

 だから、


「エミール様……そんなことを言いに、ここまで?」


 少し困った。

 そんなこと。

 そっか、ルイーゼにとっては、僕の冒険は「そんなこと」なのか。褒めて欲しかったわけではないけれど、なんだか、少し寂しかった。

 怖くもないのに涙がこぼれそうになる。


「婚約者を探していらっしゃるとか」

「え、ええ……まあ。父が勝手にしたことですわ。わたくしのような不束者、誰も貰ってはくれませんでしょう」

「ご謙遜を。僭越ながら、僕も立候補させて頂きたく存じます」


 聞きたくもない会話が聞こえてきて、エミールは、ダメだと思いながらも、外を少しだけ覗き見た。


 ルイーゼの手をとっていたのは、とても堂々と歩く少年だった。エミールよりも幾らか年下の彼は、スッと背筋を伸ばし、ルイーゼをいざなっている。

 ルイーゼに手を引かれて、ビクビクと歩くエミールとは違う。

 二人がなにを話しているのか、聞こえない。ただ、優しい少年の笑顔に、ルイーゼが目を見開いている。なにか真剣な話をしているようにも見えた。もしかすると、さっきの結婚話かもしれない。


「殿下、大丈夫ですかな?」


 エミールの変化に気づいて、カゾーランが身を屈める。それで、初めて自分が泣いていることに気づいた。


 怖くもないし、光が眩しいわけでもない。

 寂しい。ううん、ちょっと違う。

 どうして泣いているのか、自分でもわからないんだよ。


「カゾーラン伯爵……」

「なんですかな?」


 ああ、もう、いやだ。部屋に籠ることが、どんなに楽なことか。

 誰とも接しないことが、どんなに楽なことか。

 寂しくってもいい。少し我慢すればいいんだもん。


「……帰りたい……」


 安全で安心出来る唯一の殻に、逃げ帰ることだけを考えていた。




 † † † † † † †




 暗闇こそが、奴の住処。

 そうとでも言いたいたくなるほど、この屋敷は常に闇で溢れていた。

 長い螺旋階段を登りきり、男――王弟フランクは息をつく。

 まだ四十にも届かないと言うのに、薄くなってしまった頭皮から汗が流れる。国王であるアンリと比べて、周囲は「老け顔だ」「影が薄い」「存在を忘れていた」などと言っているが、今に見ていろ。

 いつかきっと、花開いてみせる。影が薄いだけの能無しなどと言われる覚えはない。

 必ず、兄を排斥して王位についてみせる。引き籠りの甥など、敵ではない。


「身の丈に合わん野心だな」


 扉を開ける前に、声がする。若々しく、覇気がある。だが、地獄の底から歌っているような、妖しい響きもはらんでいた。


「邪魔が入った。何者なのだ、あの令嬢は……あと一歩のところで、カゾーランにやられたぞ」

「令嬢?」

「エミールの新しい教育係だ! シャリエ公爵の娘らしいが、刺客どもと互角に渡り合ったらしい……」


 ようやく、人の気配が姿を現す。だが、それが自らのすぐ後ろにいると気づき、フランクは悪寒が走った。今まで、少しも気がつかなかった。


「刺客と渡り合える令嬢……なるほど、シャリエ公爵と言ったな?」

「そうだ。まったくもって、おかしな令嬢だ! 鞭を振り回して、妙な構えをしていたらしい。まるで、首狩り騎士・・・・・のようだと言っておった」

「首狩り騎士? 首狩り騎士だと? ……なるほどな。そこにいたのか」


 なにを納得したのか、フランクにはわからなかった。

 だが、相手は「気にするな」とでも言いたげに、令嬢についてそれ以上触れなかった。


「まあ、問題ないだろう? カゾーランの奴が王子につき、国王から離れることが多くなっている。そうではないのか?」

「え、あ、ああ。まあ……そう、だな」


 フランクの首筋に長い指が触れる。冷たいわけではない。

 しかし、研ぎ澄まされた冷気のようなものを感じ、身体が硬直する。まるで、氷で設えた刃を向けられているようだ。


 視線で振り返ると、ほのかに蒼い光が見えた。螺旋階段の壁に映る光は、まるで海が波打つように揺らめき、妖しげに踊っている。


「機を待て。見誤るなよ」


 闇へと消えるように、「彼」は気配を消した。

 解き放たれたような感覚がし、フランクは背後を振り返る。

 だが、そこには既に誰もいなかった。

 

 

 

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