第13話 雲の向こうは
そう言って、彼女はタケさんの腕の中からするりとすり抜ける。その刹那すら目には見えなかった。もしかしたら記憶を取り戻して、本来の彼女に戻りつつあるのかも知れない。
『星』のことを思い出したキンモクセイさんは、タケさんにまるで母親のように微笑むと、ジャスミンさんだけを真っ直ぐ見つめて前へと歩いて行く。タケさんは顔を歪めて、しゃがみ込むと、彼女が落とした指輪を拾いあげた。
「……『コロニーS』で、これをこっそりあげた時も君に言ったじゃないか。地球の、大地の復活など……望むものか。『僕』にはここに、君さえいれば」
「タケ……」
「ずっと手に入れたかったんだ、君を……きみだけを」
「キンモクセイさん!! 逃げてぇ!」
私は片腕でジャスミンさんを抱き寄せる。彼女や私たちが無事なんて保証、どこにもなかった。でもキキョウさんがあたしの手に手を重ねた。だから、「大丈夫」って思った。根拠もなく……だって、そうおもったのだ。
『There is always light behind the clouds.(雲の向こうは、いつも青空)』
世界が一瞬で白くなる。突然カメラのフラッシュを眼前でたかれたみたいに辺りが白く飛んで、次に轟音が聞こえた。先ほどの光の柱とは比べ物にならないほどのエネルギーが私の内側から
あたし自身、風で吹き飛んで、体が宙に浮くのを感じた。ジャスミンさんの身体も、キキョウさんの手も、その間も離さないでいた。
タケさんだけが、その場に留まることを選んだ気配がした。彼はその場に踞って、諦めたようにもう、動かなかった。
* * *
「ぅ……」
カラカラと砂の上を何かが転がる、乾いた音がする……。気がつくと薄い黄土色の地面に突っ伏している。頬に当たるこれは。砂だ、これは外の砂だ。
目を開けて、強い風にまた瞑る。身を起こす時、少し目眩がした。傍らにはキキョウさんがうつ伏せに倒れているが、深刻なほどの大怪我はしていないことが、繋いだままだった手のひらから感じ取れる。
赤い光が。暖かい光が斜め上から差し込んで来る。ここはきっと『外』だ。放射能に汚染されているというドームの『外』だ。地平線の先がどこまでも見えなくて、どんなに広く感じても、今までコロニーの中にいたことが思い知らされる。
いつの間にか、タケさんが作った亜空間からも脱出しているようだった。荒廃した茶色い世界の中で、一点。まるで泉のように緑が溢れ出しているところが見える。それを見て、「ああきっと、この辺りの放射能は浄化されている」って根拠もなく、あたしはそう思った。
その緑の泉の中央に向かって、あたしの左側からふらりと歩き出した人影があった。それはジャスミンさんだった。制服も、ししゃもみたいな足もガラスや衝撃で切り傷だらけだが、溢れ出る緑色の泉に向かってしっかりと歩いていく。
「ジャスミン……」
彼女に気づいて、名前を呼んで。緑の真ん中に立っていたキンモクセイさんは、コロニーの外を昇ってゆく『ホンモノ』の太陽の光に、何だか透けている。いつの間にか隣に立ち上がって、それを見つめているキキョウさんが、それを見て急に嗚咽した。
緑の中、不安定にゆらめく彼女は、まるでホログラムみたいだった。その場に立ち尽くして、動けないようであった。あたしたちではなく、ジャスミンさんだけを見つめている。自分の元へ歩いてくるのを待っている。
ジャスミンさんは、爆風のせいかあたしたちと同様に煤けて見えた。でも、その金色の瞳だけが潤って、らんらんとキンモクセイさんを見返している。
「お前」
「ごめんね、思い出しちゃった」
「そうだな」
「ジャスミンは……」
言いかけて、キンモクセイさんが一度、緊張したように瞳を閉じる。その間も彼女を中心に草が広がり伸びてゆく。
「もう無理しなくていいよ、私のこと気にしなくていい」
「……わかった」
ジャスミンさんのその答えに、キンモクセイさんが一呼吸置いて微笑む。すると、ジャスミンさんはキンモクセイさんのそばまでそのまま歩いて行った。
ボロボロの彼女はゆっくりと手を差し上げて、キンモクセイさんは耐え切れないように涙を零しながら手を降ろした。彼女の身体は粒子になって、消えかけている。
二人のどうしようもない距離に、あたしは『繋いで』と心の底から念じた。すると、後ろでキキョウさんも「とどけ」と声に出して呟いた。そうして二人は、ようやく、あたしたちの見守る中で、手を取り合ったのだ。
「じゃあ、無理はしない。一緒に行く」
「え……」
「どこへだって一緒に行ってやるよ、だって」
ああ、神様。
「『ずっと一緒にいる』って、あの時約束したもんなぁ……」
そう言ってジャスミンさんがキンモクセイさんを笑いながら抱きしめると、あたしとキキョウさんの身体からすぅっと光が抜けていって彼女たちの方へと飛んで行った。
後ろからもそこら中からも、どんどんと光が集まって来る。振り向くと、壊れたコロニーの方からぞろぞろと少女たちが歩いて来ている。
「きっとみんなの能力はなくなる。全部、私が持っていくから」
「キンモクセイさん」
キキョウさんが、まるで母親に縋る子どものような声を出した。すると、ジャスミンさんの肩越しに、頬を赤らめたキンモクセイさんが笑いながらこう言った。
「本当はねキキョウ、あなたのこと、心のどこかで覚えていたよ」
「……!」
「懐かしい感じがしたから」
『それじゃあね』ってあたしたちに笑って、二人の身体はゆっくりと飛んで、空に吸い込まれるように浮上した。まるで魂のような光の流れを引き連れてゆく。
抱き合ったキンモクセイさんとジャスミンさんは、光が弾けるように目の前で空に溶けていった。灰色の重たい空に次々と割れ目ができて、そこから光が差し込んでくる。昔、ミントと拾った本で見た、天使が降りてくる絵画みたいだった。
「……は」
声が、漏れる。上を向いた視界が明るくふやけていった。たっぷりとたまった涙が次からつぎへと頰を伝うのに、拭う気になんて到底なれない。みんなが消えていった空を見上げるしかない。
ふと、すぐ脇に立つキキョウさんの手の甲があたしのに当たった。それだけでは、もう彼女が何を考えているのか分からない。本当に力が消失したのだ。
そう思って一度涙をたっぷり流してから、キキョウさんの指にゆびを絡めた。
あたしたちも死んだらその惑星に行くのだ。そこでまた、きっとみんなと逢える気がした。それまでは、どうか二人で。
「ボタン」
あたしの名前を呼んで、キキョウさんが唸るように泣き始めた。ボタボタ落ちる涙を受け止めるように、彼女を抱きしめて。あたしたちはいつまでもその場に二人で立ち続けた。
気づくと、空には一片の雲もなく、どこまでも青空が広がっていた。
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