第9話 約束
『アサガオ』
白く長い廊下を戻る時に、誰かの声が聞こえた。いや、これは。
『ユリ?!』
『うん、そう』
囁くように、優しく聞こえて来るのはテレパシーだ。
『どの部屋にいるの?!』
『非常階段のところの隠し部屋。ナデシコも一緒や、うちら明日コロニーKに帰してもらえることになったんよ』
私にしか聞こえない声に、心の中で答えながら歩みを緩めた。ボタンにもナツメにもモクレンさんにも追い越されて、足の裏は短くリズムを刻む。
『そっかぁ、折角ジャパン学園に入ったのに……!』
『ええねん、警察に処分されへんかっただけラッキーや。ナデシコも一緒に帰れるし……何より』
『何より?!』
『いや……ええねん。うちらが知っとることは、全部一つ残らず話したし。ほんで……アサガオ、見送り来れへん?』
『いいけど……何で私だけ?!』
『アサガオは、信用できるって、前ナデシコがゆうたから』
やはりそうか。私はユリとはそんなに面識がなかった。そう気づくと、急に同じクラスのナデシコが心配になった。脚が不自由ながらいつも笑顔を絶やさない彼女のおかげで、急な編入生活にもすんなりと馴染むことができたのだ。
『ナデシコは大丈夫。あの子、まだ眠ったままなんや。きっと『コロニーK』に戻れば目ぇを覚ますはずやから……』
『わかった、行くよ。何時にどこへ行けば良いの?』
流石に遅いと怪しんだのか、ボタンが入り口から心配そうにこちらに振り返り、戻って来る。心なしか不安げな表情をするものだから、目を合わせて笑んでやった。
『ボタンが来た。あの子受信能力高いから早く!』
『明日、『コロニーJ』の中央にあるメトロの始発に乗るんや。五時台、来て』
『わかった』
短く心の中で答えて、自分はボタンに向かって歩き出した。
「あーちゃん」
「はい、どーしたの? ボタン!」
「あーちゃんこそどうーうしたのぉ? 暫く戻って来ないんだもん」
迷子になってた子犬のように、わんわんと私の周りを回る。ボタンはどちらかというと年の割に背が高い方だ。それでいて出るところでているし顔も端正で大人っぽい。
「いや……何か頭痛? みたいの? しちゃってて!」
「え、心配。モクレンさんみたいなものかなぁ」
モクレンさんは、集中すると少し先の未来が『視える』。でも無理を強いているのかその際に頭痛がすると言っている。そういえばナデシコも、能力が目覚める前後に頭痛がしていたってナツメが言っていた。
能力者がそれに同調するというのもタケさんから情報が来ている。ボタンもナツメからそのことを聞いていて、私のことを心配してくれているようだった。
「だーいじょうぶだよぉ、私だっていっちょまえに頭痛くらいする時あるんだよ?!」
少しだけ低い位置の癖っ毛をがしゃがしゃと掻き混ぜる。黄緑色の髪が透けるようだ。するとボタンは少しだけ恥じらって目を逸らしてから返事した。
「うん、分かった。あのね! ナツメとかキキョウさんとか、今日家族のところへ様子見に行くんだって。ホラ、私たち休日もずっと一緒でこっちに来てから昨日くらいしか家族と逢ってないでしょ、だから……」
「はいはい、分かりましたよ。私とモクレンさんで留守番していれば良いってわけね」
「ううん、二人だと寂しいでしょ? だからね、私も……」
「おーまーえーは行くんだよ! 家族んトコへ」
急に後ろから現れたキキョウさんが、両手のひらでボタンの顔を挟んで私から引き離した。
「逢いたくない事情は分かんないけど、近場にいるんだったら逢いに行っときなさい!」
「え、だってぇ」
「だってもそってもないの!」
「ボタン?」
私はボタンに目線を合わせて笑んだ。小さい子を嗜めるには笑顔が効く。
「事情はさ、あんたが話したいときに今度聞いてあげる。でも他のみんなにも伝わっているように、ボタンの家族は本気であんたのこと心配して愛している風だったよ。いいじゃん、そういうの、何ていうかさ!」
「あーちゃん……」
ボタンは目元を緩ませて一つ頷くと、「行って来るね」と一言残して、少し離れたところに立っているキキョウさんとナツメの後ろについて行った。ナツメが少しだけ右手を上げて、私に合図している。私も笑顔で右手を上げた。
「おひる……」
「わ、吃驚した!」
いつの間にかそばに立っていたモクレンさんが、呟くように言葉を続ける。
「どうする? 二人だけど~」
そうだ、今私、モクレンさんに避けられてるんだった。
「あー……そっかぁ、もしだったら別行動でもいいよ? 私たちここへ来てから一人行動って少なかったでしょ! モクレンさんの行きたい店にでも……」
「ラーメン~」
「へぇ?!」
腕をぐんと引っ張られた。細くないモクレンさんの力は意外に強い。
「メトロ近くに美味しい店があるの。今から並べば二時間後の十二時には食べられるから~」
「二時間って、え? え? そんな並ぶの?!」
「美味しいらしいのよ、あーちゃんと食べたいの~」
その言葉に、少しだけホッとする。今日は朝からずっと避けられていたし、本当は自分だって五人がギスギスしているのは正直やりにくい。
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