第6話 事故

 ……遅かった。私たちは渡り廊下を支えている柱に激突して転げ落ちた。


「イテテテ……だから前見ろって言ったのに……大丈夫?」


 擦り傷だらけで起き上がると、ナデシコは緑色の芝生の上で、車椅子から投げ出されたまま頭を抱えて震えていた。私は急いで彼女の元へ駆け寄った。


「! どーしたの?! 頭打ったの?」


 急いで抱き起こすと、ナデシコは呻くように呟いた。目を硬く瞑っている。


「いや今怪我したんとちゃうくて……最近頭の奥が急にえらいいとおなって……」


 その瞬間私の頭の奥にも、電気信号のようなピリッとした刺激が走った。何だか暗闇の中で光の柱がほとばしるような、私の身体が粉々に溶けて消えていくような、そんなビジョンが見えた気がした。


「え?」


「ナデシコっ!」


 遠くから誰かが彼女の名前を叫んだ。色白のショートカットの少女が、血相を変えてこちらに駆けて来るのが見える。長い脚も真っ白で、血に染まったように真っ赤な唇をしていた。


「頭痛のこと、あの子に言わんといて……」


 その少女の姿に気づくと、ナデシコは急いで私に耳打ちした。


「心配かけたないねん。ね、お願い」


 青い顔をして言うので、私もつい頷いてしまう。それくらい有無を言わさぬ気迫があったのだ。


「大丈夫? ナコちゃん」


 少女は走って来て、私たちのそばへしゃがみこんだ。ナデシコの身体に傷がないのを確認すると、こちらにぐるりと顔を向けた。


「そっちの転校生も大丈夫? ま〜たお前学校でエンジンふかしたんやろ、もー今日と言うきょうは取り外すで」

「ええ! 嘘ぉ!? 堪忍して! ユリ」


 ああそーだ、この娘。キキョウさんのクラスのユリさんだ。ジャパン学園は学年ごとにシンボルカラーが決まっていて、ブラウスの裾のラインにその色が使われていた。私たち一年生は赤、ナデシコやあーちゃんたち二年生は紫、キキョウさんたち三年生は青だ、モクレンさんたち四年生は深緑。ユリさんのブラウスのラインの色は青だった。


「ごめんな、うちのが迷惑かけて、食堂は次曲がったとこに非常口あるから」

「古女房みたいに言うな!」

「何言うとんねん、ウチの方が女房やし」


 ユリの返答に、ナデシコはますます憤慨している。ユリは真横に倒れた電動車椅子を片手で立て直すと、ナデシコを軽々姫抱きにしてそこに座らせる。そうしてからこちらに振り返った。


「私たち今日は寮で食べるから、一人で行けるか?」


 私は黙って頷くと、立ち上がってスカートの砂埃を叩き落とす。車椅子に乗ったナデシコが唇を尖らせる。もうすっかり元気になったようだ。


「ええ、何でー、食堂で食おう思っとったのに、今日の定食ハンバーグやで? 和風ハンバーグやで?!」

「エンジン使った罰。昨日の夕飯の残り始末せんと腐るやん」

「えーってことはカレー?」

「飯炊いてないからカレーうどんやね」


 漫才みたいにやりとりするナデシコとユリに別れを告げて、私は食堂の方に急いだ。最後に振り返るとユリも私を見ていた。気のせいか、睨まれた気がした……。


「ナツメ、おーい」


 食堂に非常口から入ると、モクレンさんとキキョウさん(とついでにボタン)がこっちに手を振っていた。なんだか無性に安心して、私はついテーブルまで走ってしまった。



* * *



「で、何。その時お前も頭痛がしたって?」


 ナデシコの話をモクレンさんに連絡してもらうと、今度は私だけタケさんに呼び出された。ドキドキはしてない、流石にしてない……。今日はいつものビルの社長室のような部屋に通されて、一人で革張り椅子に座るタケさんの前で立たされている。どんな罰ゲームだ。私は黙って頷く。


「うーん、その子は歩けないんだろ?」

「はい、生まれつきだと言っていました」


 タケさんは足を組んで呻く。初めて逢った時より前髪が伸びた気がする。そこをじっと見ていたら、その黒く細かい毛の隙間から白目がぎょろりとこちらを捉えた。


「ここだけの話なんだけどねー」


 そう言うときょろきょろ辺りを見渡した。心配しなくても誰もいませんよ……。


「そういう特徴がある子の方が、内在するパワーが強いんだ。多分そこにゆくべきエネルギーが体内に溜まるみたいなもんでさー」


 その原理は分かる気がするな。蓄積されたアレルギーが急に吹き出物や発疹になって噴き出すようなイメージだろう。


「力が目覚めそうな子は激しい頭痛に見舞われる例が多い、能力者がそれに調する例もな」

「じゃあ私が頭痛くなったのは……」

「ああ、ナデシコって子は近日中に超能力が目覚めるかもしれないね」

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