第5話 車椅子

 日曜日はゆっくりみんなで体を休めることができた。今日からまた学校だ。


「見てみて、ナツメ、あっこからそこまでだよ、あたし飛んだのぉ」


 ガラス張りの廊下を、ボタンが私を追って駆けて来る。相も変わらず部屋を出るのは一番最後だ。ガラスの外の景色を無邪気に指差している。そこは土曜日、私たちがトラブルに遭遇した場所であり、ボタンにとっては百メートル瞬間移動できた記念の場所なのだった。


 私はこいつとクラスも一緒なので、他の三人よりゆっくり歩いて待っていてやったわけなのだけれど。


「はいはい、凄かったすごかった」


 その景色を見ないようにして答えた。あーちゃんが怪我した瞬間を思い出しそうだったからだ。あーちゃんは月曜になった今も、薄く包帯を巻いていた。


 自分で治せない代わりに治癒能力は高いと言うのは本当のようで、もう傷からの出血は止まり瘡蓋かさぶたがはり、完治に向かっている。


「ナツメはまだテレパシーできないの?」


 会話に困ったのか、ボタンは不意にこんなことを聞いてくる。悪気はないんだろうけど……。私は女の子たちがそれぞれ使えるテレパシー能力が欠如している。


 タケさんが言うにはまだ開花していないだけらしいが。モクレンさんはもちろん。キキョウさん、あーちゃん、ボタンでも若干のテレパシーが使えた。ボタンですら可能なことが私にはできないことに、少しだけ腹が立つ思いだ。


わかるぅ?」


 ボタンが私の首にピタリと手を触れてくる。肌に触れた方がより伝わるものらしいのだが、私には有り難いことに何も伝わらなかった。


「無理だって、前、何回かあーちゃんと試したんだから。てか気安い、友だちでも首なんかに気安く触れるもんじゃないよ」


 『お前ごときのテレパシーが、伝わるわけないじゃん』という思いを込めて、首に置かれたボタンの手を上からぎゅっと捻った。ボタンは、ぎゃっと痛がって手を離す。捻りがいのある、赤ちゃんみたいな手をしている(サイズは大きいけど)。


「ちな、何て伝えようとしたの?」


 私はちょっと小走りになりながら振り返った。もうすぐ長い渡り廊下も渡りきる。


「うぇっへへ〜、愛の告白?」


 キモ、実に気持ちが悪い奴だなぁ。顔はまつ毛がバシバシでお人形さんみたいだというのに。私はわざとらしくため息をついてボタンに背を向けて教室棟に入った。


「あー待ってよぉ、ナツメ」


と、ボタンがボテボテと後ろから重そうについて来る。揺れる部位を想像してしまう。……くそ! 同い年なのに出るとこ出過ぎなんだよ……っ!



* * *



「お前は、キキョウさん誘ってくれば? 私はあーちゃんの様子見て来るから」


 昼休みになった。ボタンを上手く言いくるめて、二階の第二学年の教室に向かう。お昼は大抵学園の学食ですます。私たちは編入したてで友人も少ないので、五人で学食に行くことが多かった。


「あーちゃん……」


 教室を覗き込んだ瞬間に、腰に鈍い衝撃を感じた。


「いやースマンすまん、前見てへんかったわ」


 下を見ると明るそうな少女が車椅子に座っていた。束ねた二つの髪房が首もとから垂れている。子猫柄の毛布が脚にかかっていた。


撫子ナデシコ、大丈夫?」


 あーちゃんが慌てて教室から出てきた。私の心配もして欲しいものだ。


「え……っとナデシコさん? 大丈夫?」

「いややわ『ナデシコさん』って、それ面白いねぇ」


 ケタケタと声をあげて笑う。元気な女の子だ。


「私、ナデシコ! よろしゅうね!」


 がっちり手を握られてしまった。しかも両方の手で。


「ナツメ、これから私先生のとこ行ってこなきゃいけないの。先食堂行っててくれる?!」

「あっうん……」


 あーちゃんはそう言うと、教科書の束を担いで教室を出て行った。私は呆然と彼女を見送った。正直がっかりだ。


「なあなあ、食堂行かはんの?」


 ぐいっとスカートを引っ張られて下を向くと、ナデシコがにーっと笑っていた。と正直思った。


「私近道知ってるし、こっちおいで。ツインテール同士、仲良くしよや」


 確かにナデシコも私と同じで二つ結びだけど……低いその位置はテールじゃなくね?


「ついてき」


 そう言うとナデシコは電動車椅子のボタンを操作して走り始めた。全自動で動く車椅子は速い。私は慌てて小走りに追いかける。二年生の教室から食堂は遠い。まずはエレベーターで一階に降りる。


 エレベーターは普段使ったことがないので、乗り込む時何だかドキドキした。たった一階の移動なので、すぐドキドキは終わってしまったのだけれど。


 寮近くに食堂と四年生(一階)から六年生(三階)までの学習棟が建っていて、その隣に一年生(一階)から三年生(三階)までの棟が並んでいる。食堂に行くには高学年の棟を通らなければならないはずなのだが……。


「あっ、そっちは……」


 一階の行き止まりのはずの廊下の端へ、ナデシコは加速した。しかし廊下を曲がったところは非常口になっていて、外の世界中庭が広がっていたのだ。


「回り道せんでも、こっから真っ直ぐで食堂の非常口んとこ行った方が近いえ」


 そう言って、ナデシコは私に車椅子の後ろに乗るように指示した。車椅子の後ろには、ちょうど人が一人立てるような足場が付いている。そこに立つとまるで二人ブランコのような状態になった。


「はよなるし、きばって掴まってや」


 ナデシコは短く言うと手元のスイッチを操作した。途端に私の後ろでガソリンエンジンをふかす騒音が聞こえる。電気だけじゃないのかよ! この車椅子。そう思った瞬間にはもう走り始めていた。はや! いん、ですけど?


「え、え、え、ナデシコさん、ちょっと速すぎるよ!」


 私は、正面から吹く風に揉まれながらやっと声を出した。


「だから『ナデシコさん』って水臭いわあ、ナデシコでええよ、ナデシコで」


 水臭いって……今日逢ったばっかじゃん。校舎に沿って車椅子は滑るように走っていく。っていうか……。


、それより前見ろってお前!」

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