第532話 はじめまして、から

 アテナリヤの姿が消える。アカツキの願いが受け入れられたのだ。


「……暁」


 背後から掛けられた声に、アカツキがすぐさま反応し、勢いよく振り返った。アルはその声の主を予想していたので、静観することに決める。


「えっと……あなたが、リア、だよな」


 暗闇にぽつりと浮かび上がるように女性の姿があった。焦げ茶色のロングヘア。不安が滲む丸い目。綺麗というより可愛らしい雰囲気だ。


 その姿を観察して、アルは「アテナリヤと容姿は似てるのに、別人って感じがする」と呟いた。

 以前見たリアとも違うように感じるのは、今の彼女がなんの役目も負っていないただの人といえる状態だからなのかもしれない。


「……うん、私が里愛」


 潤む瞳がアカツキを一心に見つめる。

 それを受け止めるアカツキも、じっとリアを見つめ返していた。何事かを言おうと口を動かすも、言葉にならない様子で時間が過ぎていくのみ。


 アルは思わずブランと視線を交わした。ブランは呆れた目でアカツキたちを見ていたようだ。


『これからどうするのだ』

「うーん、挨拶くらいは自分たちでしてほしいんだけど」

『固まってるぞ』

「そうだね。僕、人の仲を取り持つなんてしたことないんだけどなぁ」

『アカツキにレイを紹介したことはあっただろう』

「あ。そんなこともあったね」


 懐かしい思い出を振り返っていたら、ブランに尻尾で叩かれた。さっさとどうにかしろ、と目で催促される。アルも本当に困っているのに、ブランは手助けしてくれる気がないらしい。


 ため息をつきながら、アルは目の前の光景を眺めた。

 リアが姿を見せた時から、二人の距離は一切変わっていない。お互いを見つめ合って、思いあぐねた様子で黙り込んでいるだけだ。アルとブランのやり取りも耳に入っていないに違いない。


「――とりあえず、アカツキさんはリアさんのことを覚えていないんですから、『はじめまして』の挨拶をしたらどうでしょう」

「っ……あ、その、ごめん、覚えてなくて」


 痺れを切らしてアルが促すと、アカツキがハッと息を飲んでから、申し訳なさそうにリアに頭を下げた。


『アルは時々容赦ない』

「え、何かおかしなこと言った?」


 何故かブランがジトッとした目を向けてくる。アルが首を傾げると、『それもアルらしいがな』とため息をつかれた。ブランの方が人間の機微に聡いことがあるように感じられるのが、少し不満だ。


「記憶を奪っているのは、私たちだから、謝らないで」


 切なげに微笑むリアの目が赤い。先ほどまで泣いていたのがはっきりと分かる。

 アカツキはグッと唇を引き結んでから、覚悟を決めた眼差しでリアを見据えた。


「分かった。記憶は、戻してもらえないんだよな?」

「……ごめんなさい」

「大丈夫。あー、その……俺は暁。はじめまして、里愛」

「……はじめまして、暁」


 泣きそうな顔で微笑むリアに、アカツキがゆっくりと歩み寄った。そして、そっと手を伸ばす。


「俺が勝手に決めちゃったけど、これから一緒にいることになったから。えっと、よろしく?」

「……よろしくね」


 二人の指先が触れ合った瞬間に、アカツキの体が震えたように見えた。それに気づいたリアがサッと離れようとしたのを引き止めるように、アカツキがリアの手を握る。まるで縋るような仕草だった。


「っ俺、里愛のこと守るよ。何ができるかとか、まだよく分かんないけど、たぶん、ダンジョンの中にいたら、イービルは近づいてこれないと思うし、大丈夫なはず。あ、でも、里愛も外出たい、よな? あー、どうしよ。それはアルさんに協力してもらうしかないし……いや、ダンジョンの創造能力でなんとかなるか、な? そういえば、俺、魔法の杖使えるんだ。それでいざという時の戦う方法とか用意しておいて、戦闘訓練もしておかないと――」


 先ほどまでの静けさがなんだったのかと思ってしまうくらい、アカツキが矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。手を握られたままのリアは、きょとんと目を丸くして聞いていた。


 アルはこめかみを指でかく。どうやらアカツキは緊張のあまりリアの様子が見えなくなっているらしい。ひたすら自分との問答を繰り返している様に、思わず呆れてしまう。


『アカツキは暴走し始めたらなかなか止まらないタイプだな』

「そうだね。勝手にいろいろしちゃうタイプでもあるし」


 ブランの呆れた目と見つめ合う。この状況をどうしよう、と考えていたら、クスッと微笑む声が聞こえてきた。もはや何を言っているのかも分からなくなってきていたアカツキの声がピタリと止まる。


 リアが繋いだアカツキの手を揺らして口元に笑みを浮かべていた。


「暁は、変わらないね」

「……そうか? いや、この世界の俺、だいぶ元気だと思うけど」

「それはそうかも。あなた、仕事のしすぎでおかしくなってる時あったものね」

「はっ? え、あー、うん、否定できないや……」


 アカツキが気まずそうに目を逸らした。だが、その身に纏っていた緊張感が和らいでいるように見える。


『おかしくなる、とは魔道具研究が成功した後に長々と意味不明なことを語りだすアルのような状態か?』

「違うと思うよ。僕のあれは、好きなものに熱中した成果が出て興奮してるだけで、アカツキさんの場合は死にそうなくらい疲弊してるってことのはず。――というか、僕、意味不明なことなんて言ったことないからね? 魔法理論について話してるんだよ」

『我が理解できないのだから、意味不明で間違ってないだろう』


 アルは「いや、全然違うよ?」と不満を込めて呟いた。ブランはもう聞いていない様子だったが。


 アカツキとリアは外野の声なんて一切耳に入っていないようで、たどたどしい雰囲気ながら言葉を重ねて互いの理解を深めようとしている。


 そんな二人の姿を眺めながら、アルは『二人にとって良い未来があるといいなぁ』と思い微笑んだ。


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