第518話 意外な接触

 知識の塔に戻り、机に向かう。アテナリヤから得られた知識を紙に書き起こして、考えをまとめようと思ったのだ。


 作業を始めるアルをよそに、ブランはアカツキを壁際に引っ張り、なにやらヒソヒソと会話をしているようだ。

 アルに聞かせるつもりはないのか、ブランの思念は一切聞こえてこない。代わりに、アカツキが「え」「あー」「うん、いいっすね!」と相槌を打つ声が時々響く。


 今度はいったい何をやらかそうというのか。

 ブランとアカツキが揃って暇になると、アルが想像さえできないような事態が発生しかねない。ただそれはおもしろい場合もあるから、止めるか悩む。


 そんなことを思考の端で考えながら、アルはペンを止めた。


「――よし。とりあえずこんなものかな」

『終わったのか? 早いな』


 アルの様子に気づいたブランが、意外そうに声を掛けてくる。アルは頷きながら立ち上がった。


「情報をまとめただけだからね。後は実際に試してみるだけ」

『よくわからんが……我らは少し出てくるぞ』


 おや、と思いながらブランを見下ろす。


「僕も外に出るつもりだけど、ブランたちはどこへ?」


 我らと言うくらいなのだから、アカツキと共に出掛けるつもりなのだろう。肉を求めて魔物を狩りに行くなら好きにすればいいが、一応行動は把握しておきたい。


『温泉施設の方だ』

「ブランが温泉に入るの?」


 水嫌いなのに珍しいことだ。アルが首を傾げると、ブランはふふんと得意げに胸を張った。


『アカツキと遊んでやるのだ』

「へぇ……アカツキさん、大丈夫ですか? ちゃんと面倒を見れます?」

『なぜ我がこやつに面倒を見てもらわねばならんのだ!』


 アカツキが何か言うより先に、ブランがキャンキャンと喚いて抗議してくる。アルは耳を手で塞ぎながら、軽く肩をすくめた。


「ブランとアカツキさんを比べたら、ブランの方が問題児だから」


 正直、五十歩百歩だが――という本心は隠して答えると、ブランが一層不満そうな表情で、尻尾を床に打ち付けた。


『問題児とはなんだっ。アカツキはともかく、我はそんなものではないぞ!』

「待って、俺はともかく、ってなんで? 俺だって……いや、まぁ、多少は自覚してるけど。ブランの方こそ、いっつも飯だ肉だってうるさいじゃん。アルさんに迷惑かけてるじゃん」


 アカツキがブランを捕まえて、ぶんぶんと振り回す。


『うるさい、放せ! とにかく、我らは行くぞ! アル、昼時にはここに帰ってくるからな』

「分かったよ、いってらっしゃい」


 これ以上聞いたところで、口を割らないだろうなと悟ったので、送り出すことにした。さすがに異次元回廊を壊すようなことはしでかさないだろうし、きっと大丈夫のはずだ。


 それに、なんとなくワクワクというか、ソワソワというか、楽しそうな気配がブランから伝わってきて、何が起きるのかアルも見てみたくなったのだ。


「いってきまーす」


 ブランに文句を言われながらも抱えた状態でアカツキが立ち去る。サクラたちと別れた寂しさも騒がしさで和らいでいるようだから、良かったと微笑んで見送った。


「……さて、僕は実際に試してみようかな」


 情報を書き起こした紙を見下ろし、ふっと息をつく。

 知識の塔を出れば、一人と一匹の姿はもうどこにもなく、穏やかな春のような日差しが降り注いでいた。


「まずは、異世界を感知する――」


 異世界を感知するには、媒体が必要だ。媒体になり得るのは、感知したい異世界と深く繋がりがあるものだ。

 イービルが異世界を覗き見る際に、アカツキに触れていたのはそのためだった。


 アルもアカツキを媒体に異世界を感知できればいいのだが、それにはアカツキの自我が邪魔になる。無我の物質が、最も媒体に相応しいのだ。媒体の思考によって、異世界との繋がりが乱れてしまうから。


 イービルのように、アカツキから自我を奪って媒体にしようなんて思わない。いずれ返すことができるとしても、記録で見たようなアカツキの姿を自分が生み出すなんて考えたくもないから。


 まるで人形のようだったアカツキを思い出して、無意識に寄った眉間のシワを指先で撫でてほぐす。


「ふぅ……今は集中」


 ブランとアカツキが出掛けてくれて良かったかもしれない。慣れているとはいえ、騒がしいとどうしても集中力が切れてしまいやすくなるから。


 そんなことを思いつつ、アルはあぐらをかいて座り、地面に手の平を押し当てた。


 アルが異世界を感知するための媒体にしようと考えているのは、この世界そのものだ。

 異世界での『ゲーム』を基盤に作られたこの世界は、異世界出身の『神』の力で満ちている。意識して探れば、異世界に繋がる糸が存在しているのだと、アルはアテナリヤから与えられた知識で理解していた。


 この世界は異世界の付属のようなものらしい。大本はこの世界ではなく、異世界なのだ。創世神が異世界出身なのだから、それも当然か。

 異世界との繋がりは、この世界が生まれてからずっと途切れていない。


 そして、この世界の中でも、異世界と繋がりやすい場所の一つが、異次元回廊だった。

 アルはその繋がりを辿る術を、アテナリヤから与えられている。


「……へぇ」


 地面から感じる力を探る中で、一つ覚えのある気配が引っかかった。

 霧の森の中で感じた、地下に生きる者たちと同様のものだ。


『――ほう、定められた地以外から干渉を受けたのは初めてだ』


 ふと脳裏に響くように聞こえた声に、アルはぱちりと目を瞬かせた。

 地下に生きる者たちの存在を感じ取れはしても、こうして言葉を交わせるとは予想していなかったのだ。


「突然お邪魔してすみません」


 とりあえず謝罪すると、相手が愉快げに笑う気配がする。アルの反応も、相手にとっては予想外だったようだ。


『謝罪は必要ない。禁じられてはおらぬゆえ。――もしやそなた、以前に我が同胞と意思を交わした者か?』

「ああ、ええ。お話をお伺いしたことはあります」


 地下に生きる者たちの間で、アルに関してなんらかの情報が出回っているらしい。悪い話ではないといいのだが。

 そんなアルの僅かな憂いを払うように、相手は嬉しげに歓迎の意を示す。


『そうか。息災でなにより。して、此度はなにゆえ我らに干渉したのだ?』

「なにゆえ、と言いますか……意図したことではなかったのですが」

『ほう? ……なるほど。もしや、そなたは外なる世界への繋がりを求めたか』


 尋ねているようでいて、ほぼ確信している言い方だった。アルが頷いたのは見えていないだろうに、相手が「そうかそうか」と言葉を続ける。


『――我らもある意味【外なる世界】にて暮らす者であるからには、繋がりができても不思議ではない。どうやらそなたは統べる者からの助力も得ているようだからなおさらだ』


 アルたちが暮らす世界と表裏一体として存在する地下の世界。普段は隔絶した空間として別個に存在しているのだから、確かに外の世界――異世界と言ってもいいかもしれない。


 とはいえ、アルが接触したかった異世界ではないので、早めに話を終えたい。今の状況をブランに見られたら、とんでもない勢いで怒られそうだ。ブランは地下に生きる者を生理的に嫌っているのだから。


「こちらから接触していて申し訳ないのですが、本来の目的を早く果たしたくて――」

『そうだろうな。だが、こちらに干渉してきたからには、我はそなたに何かを与えてやらねばならぬ。何を与えようか?』

「え?」


 言葉を遮られた上に、思いがけない申し出を受けて、アルは目を丸くして固まった。


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