第486話 白い世界

 光が弱まるのを感じ、薄目を開けた時、アルは自分がどこにいるのか理解できなかった。


 ひたすら白い光で満ちた空間。ソーリェンと対話した場所と似ているが、絶対的に違うところがある。それは、肌が粟立つようなような冷えた空気だ。もしかしたら、人はこれを神聖さと呼ぶのかもしれない。


 だが、アルにとっては、未知で恐ろしい場所に過ぎなかった。早く元の場所に戻りたい、と思うと同時に、何故自分はこんなところにいるのかと疑問が湧く。


「ここは……?」

『不可思議な場所だな』


 ブランの不快そうな声が響く。

 腕の中にある確かな温もりが、アルに冷静さを思い出させた。


 まずは安全の確認が必要だ。視界にアルとブラン以外の生命体は存在しない。それどころか、白い光以外は何も見えないのが、薄ら寒い気がする。

 ブランの反応を考えると、異様な空気を感じられても、敵対意志は存在していないと考えてもいいだろう。少なくとも、ブランが感知する範囲内においては。


 万が一の場合に、身を守るための魔法は使えるだろうか。

 確認のために、身の内の魔力を探る。その作業に普段より時間がかかったのは、消費した魔力が回復しきれていなかったからだ。神に魔力を注いだ際に、一度枯渇に近い状態になっていたらしい。


 とはいえ、アルの魔力は元々の総量の大きさに相応しく、回復速度も早い。感知を続ける内に、あっという間に半分ほどは戻ってきた。

 その魔力を練り、光魔法で明かりとして発現してみる。


「――使える」

『良かったな。我も問題なさそうだぞ』


 想定通りの強さで灯った光を見て、アルはホッと息をついた。神の元へ進む間は魔力があまり頼りにならず、緊急事態が起きた場合にどうするべきかと内心で悩んでいたのだが、ここでは問題なさそうだ。


 ブランもブワッと火を吹いて、戦闘能力に支障がないことを示す。


「それ、証明方法として分かりやすいかもしれないけど、結構危ないからね? ここが可燃性の空気で満ちてたり、火に反応する魔力があったらどうするの?」


 思わずジトッとブランを睨み、アルはため息をついた。本当に、火に囲まれることがなくて良かった。咄嗟に展開していた魔力結界を解除しながら、周囲を眺める。


『……なるほど、そういう可能性があったのか。すまんな』


 やけに素直に反省を示すブランをまじまじと見下ろした。これは本当にブランだろうか、と疑ってしまったのだ。


 神が眠る場所から、ブランを抱いたままここに辿り着いたので、今まで疑問に思わなかった。だが、突然状況が変わったのと同じように、ブランを誰かが真似ている可能性がないとは言えない。


「偽物じゃないよね?」

『我がか? 失礼だな、アルは。というか、もし偽物だったとして、正直に自白すると思うのか?』


 不満そうにジト目で見上げてくるブランを観察する。

 なんとなく普段より大人な気がするが、こういう振る舞いがこれまでなかったとは断言できない。見た目はブランそのもので、疑う余地はないように思える。


「……そうだよね。自分から偽物だなんて、言うはずないや」


 微かに残る違和感を胸に秘め、アルはとりあえず頷き納得を示しておいた。


『分かれば良いのだ。――それより、これからどうする?』


 やはりいつもより切り替えが早い気がするブランを目を眇めて眺めた後、アルは周囲に視線を戻す。だが、最初に見たときから状況は変わらず、果てのない白が広がるばかりだ。


「まずは状況の整理をしよう」

『整理? 悠長だな』

「ブランがそんなに落ち着いた態度ってことは、緊急性がないと判断してもいいでしょ?」


 アルが小さく笑って告げると、ブランは一瞬言葉を詰まらせる。


『……我をそこまで信頼するとは、感心だな。確かに、状況を整理してから動き始めても、何の問題もあるまい』


 ブランの言葉を残らず記憶し、違和感を覚えながらも、アルは宣言通りこれまでを振り返った。とはいえ、思い出すべき事象はさほど多くない。


「神が統べる箱庭から眠りの繭の場所まで辿り着き、その繭を溶かして眠る神と対面したよね」

『そうだな。そして、我がつついて揺さぶり、起こそうとしたのだ』

「シモリの助言が抜けてるよ」

『あぁ、そうだったな』


 触り、揺さぶり、魔力を流すことは許される、というシモリの言葉に従って、アルはブランの行動の後に魔力を流したのだ。


「僕の魔力が神を満たしたと思った途端、白い光が溢れて僕たちはここに辿り着いた。――これ、転移魔法によるものだと思う?」

『それを我に聞いて答えが分かるとでも思っているのか? 転移魔法については、我よりもアルの方が詳しかろう』


 あっさりと回答を拒まれて、アルは肩をすくめる。確かに転移魔法に用いられる魔力の察知能力は、アルの方が優れているかもしれない。

 となると、アルの答えは一つになる。


「そっか。それなら、これは転移じゃないね」

『そうなのか。――確かにいつもの転移とは違う気がするからな』


 ブランの感覚でそうならば、転移魔法が使われていないという前提で考えを進めても良さそうだ。


「他に一瞬で場所が変わるってどういう理由が考えられるかな?」

『うーむ……我は難しいことを考えるのは苦手なんだが』

「それは知ってる。その上で聞いてるんだよ」

『……アルはもうちょっと我の評価を高くしてもいいんじゃないか?』

「それがなんの役に立つの?」


 アルが首を傾げて問い返すと、ブランが憮然とした様子で黙り込んだ。お気に召さない返事だったらしい。ぷい、と顔を背けられてしまい、アルは苦笑した。


「――僕には、転移以外の方法が思い浮かばないんだけどなぁ」


 少し下手に出てみる。これでブランからアイディアをもらえたら儲けものだ。

 アルがそんなことを考えているとは気づいていない様子で、ブランがアルに視線を戻し、『やれやれ』と大げさなため息をつく。


『仕方ないやつだな。一つ考えることがあるとすれば、何を現実とみなすかだろう』

「現実とみなす?」


 思いがけない返事に、アルは少し戸惑い、言葉を繰り返した。


『そうだ。目に見えるものが事実であると、誰が分かる。どうやって証明できるのだ』

「……珍しく難しいことを言うね」

『そうか? おかしなことを言ったつもりはないが』


 アルを見上げるブランの表情はいつも通りで揺るぎない。ブランが言っているように、おかしなことはないのだが、違和感を覚えてしまうのは何故だろう。

 アルは一度目を伏せ考えてみるも、答えは思い浮かばず、保留にした。今は、この状況の打開を考える方が先決だ。


「目に見えるものが事実か、ね……」


 門をくぐった後に見た暗闇。その後に現れた数多の光球が浮かぶ神が統べる箱庭。シモリの導きにより辿り着いた、神が横たわる眠りの繭。


 それら全てが、アルとブランが見たことであり、それ以外に証明する手段はない。――しいて、一つ証明手段を挙げるなら、鑑定眼による鑑定結果だろう。それはアルたちに、神が統べる箱庭と眠りの繭の存在を示した。


「――でも、鑑定眼自体が神の影響下にある能力なら、神によって偽装することも可能かも」


 シモリに教えられた事実を思い出すと、アルは途方に暮れてしまった。事実の――世界の存在証明なんて、誰がどうやってできるというのだ。


『世界とは虚ろなものだな』


 ブランが静かに呟く。その声がやけに落ち込んでいるように聞こえて、胸にひたひたと不安が滲み寄ってくる気がした。


「とりあえず、ここが現実か否かは分からないってことだよね。僕たちは今この瞬間、眠りの繭のすぐ傍で眠りについていて、ここは夢の中っていう可能性もあるわけだ」


 空気を変えるように、ことさらに明るく言うと、ブランがきょとんと目を丸くした後に、フッと柔らかく微笑んだ。


『そうかもしれないな』


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