第452話 微妙な距離感

 ヒロフミが眇めた目で一瞬ジェシカを眺めた。すぐに目を逸らしていたが、その様子からあまりジェシカを信用していない雰囲気が伝わってくる。

 すべての情報を鵜呑みにしないでいてくれるのは、アルも助かるしホッとした。


「彼女がここに来た目的はそれだけか?」

「僕はそう伺ってますけど」


 何故かアルを通して話をしようとするのは少し困る。アルだって、ジェシカのすべてを知っているわけではないのだから。


「主な目的はそうですわ。できれば、きちんと道のりが正されたことを確認してから、ここを離れたいと思っておりますけれど」


 ジェシカがふわりと微笑む。邪気が一切ない笑みだ。

 再びジェシカをちらりと見てから、ヒロフミが何事かを考える様子で目を伏せた。


「……それは、ここと外との間に、時の流れの差があることを理解してのことか?」

「ええ、もちろん。そのことはアルに伺っておりますし、家には連絡済みなので、問題はございませんわ」

「家に、ね……。普通、貴族のご令嬢が長期で出掛けるなんて、そうそう許されないもんだと思うがな」


 ヒロフミの言葉に含みがあるように感じられたのは、アルだけではないだろう。


 クインとブランが、ヒロフミを見て首を傾げる。人間の、それも貴族という上流階級の事情をほとんど知らない二人は、ジェシカの言葉に違和を感じることも、ヒロフミの言葉を不思議に思うこともしかたない。


 ジェシカはヒロフミに怪しまれていることを分かっているだろうに、にこりと微笑むだけだ。侍女のリアンナも涼しい顔で「お茶のお代わりはいかがですか?」なんて言い出す。


「……多少はご自身で信頼を得ようとしてほしいものですけど」


 アルはつい苦言をこぼしてしまった。


「あら、その必要がございまして? ヒロフミさんはきちんとわたくしの言葉を受け止めてくださったように見えました。わたくしはそれで十分ですわ」

「でも、事態の推移は見守りたいのでしょう? つまり、ヒロフミさんたちの決断を信用していないということでは?」


 ヒロフミがジェシカの言葉を受け止めた上で、悪魔族を放ってこの世界を立ち去ることを選んだら、ジェシカはどうするつもりなのか。

 ――道が正されることを確認したい、と言っていたからには、無理矢理にでもジェシカが望む正しい道を押し付けられる可能性は無ではない。


「どのような事柄にも、万が一ということがございます。実際、本来はわたくしが動かなくても正しい未来へと進むはずでしたのに、誤差が生じてしまったでしょう? 今回、わたくしがヒロフミさんにお会いして、未来がどう変わるか確認する必要がございますわ」


 その言葉は、確かに間違ってない。

 未来を知っている者が、その未来を変えようと動けば、何らかの変化が生じるものだ。それが良いか、悪いかは、行動してからしか分からない。


「先読みの乙女っていうのは、好きな時に、望むように未来を見れるってわけじゃないのか?」


 ヒロフミがジェシカを見据えて尋ねる。

 ジェシカは頬に片手を添えて、おっとりと小さく首を傾げた。


「そのように万能な存在であれば、これほどまでに長きに渡り活動する必要はなかったでしょうね」

「……なるほど、それは真理だ」


 否定しようのない言葉だった。ヒロフミにあわせてアルも頷く。

 先読みの乙女は未来を知ることができるといっても、未来へ与える影響は限定的なのだろう。

 好きなように未来を変えられるとなったら、世界がめちゃくちゃになりかねないから、それくらいでちょうどいいのかもしれない。


「――お嬢さんの目的が済んだって言うなら、暫く席を外してくれないか」


 不意にヒロフミがジェシカに言う。お願いしているような言葉だったが、声には拒否を許さない響きがあった。

 ジェシカがいないところで秘密の話をしたいらしい。


 アルは少し驚いたが、ヒロフミから来ていた連絡を思い出して、さもありなん、と口を噤む。白い神殿で知った情報を、ジェシカと共有する必要性は今のところない。


「それは構いませんけれど……。わたくしたち、この場所に不案内ですの。どこにいたら良いのかしら」


 ヒロフミの意図を把握しているだろうに、ジェシカは何も気づいていないかのような様子で微笑む。

 アルはヒロフミと目を合わせてから、肩をすくめた。


「……温泉施設なら、休憩所どころか寝る場所もあるし、飯も用意できる。案内にはニイを付けよう」

「では、僕が送り届けますね」


 アカツキが暇のあまりに創造した巨大な施設を思い出し、アルは頷く。あの近くには以前研究に使っていた小屋があって、そこには転移の印を設置している。転移魔法で送り届けるのは簡単なことだ。


 ニイを付ける、とヒロフミが言ったのは、不慣れな場所での手助けというだけでなく、ジェシカたちの監視も兼ねているのだろう。

 ニイは見た目は人間のようだが、実際はヒロフミによって創られた存在で、異次元回廊の管理を代行できるだけの能力と忠誠心があるから。


「ニイという方がどなたか存じ上げませんけれど、問題はなさそうですわね。では、出会ってばかりですが、一度お暇させていただきますわ。また落ち着いた頃にお話させてくださいませ」


 にこりと笑ったジェシカが腰を上げる。リアンナもそれに従った。

 アルは二人を送り届けるため、ヒロフミに目で合図をしてから動き始めた。



◇◆◇



 つつがなく二人の相手をニイに任せて帰って来ると、ヒロフミが真顔でブランにクッキーを差し出している場面に遭遇することになった。

 クッキーはアルが置いていったものだ。


「……何をしてるんですか?」

「癒やされてる」

「は……?」


 戸惑うアルとは対照的に、ヒロフミとブランはマイペースな様子を崩さない。ヒロフミが差し出すクッキーをブランが食べては、またヒロフミが差し出すという行動を繰り返している。


 どこに癒やされる要素があるのか、アルはまったく理解できなかった。


「ヒロフミ曰く『いっぱい食べる君が好き』ということだそうだ」

「ますます意味が分からないんですけど?」


 クインが教えてくれたが、やはり首を傾げるしかない。クインも理解してなさそうだ。


「日常の光景は、非日常で疲れた心に癒やしをくれるってことっすよー」

「あ、アカツキさん」


 階段からアカツキがおりてきた。

 白い神殿に行っていたはずだが、戻ってきてすぐにサクラの様子を見に行っていたのだろうか。


「なんか微妙に違うが、間違ってはない。ただ、大食い映像を見てると得られる快感に通じるものがあるってだけだ。きれいに食い物が消えていく光景って、スカッとしないか?」

「……納得できるような、できないような?」


 ヒロフミに言われて想像してみる。

 食べ過ぎだと苛立つか、美味しく食べてもらえて嬉しいと感じるかは、その時の精神状態で大きく変わりそうだ。

 ヒロフミは今、ブランの食欲に癒やしを感じる心境だったということだろうと、アルは納得しておいた。


『我はまだ食えるぞ!』

「食べなくていいからね」

「たくさん食べろ」


 アルと話して止まっていたヒロフミの手を、ブランがテシテシと叩く。自分で食べられるくせに、与えてもらう楽さを覚えてしまったらしい。これではぐうたら一直線だ。

 咎めるアルとは違い、ヒロフミは積極的に甘やかそうとするから、もうどうしようもないが。


「今は自由にさせてやってくださいよ、アルさん」

「アカツキさんの方がヒロフミさんより大人な感じなのは、珍しいですね」

「……その評価、地味に傷つきます……」


 ヒロフミを庇うアカツキの態度に、考えるより先に感想が漏れてしまった。アカツキが大げさに泣き真似を始める。


 こんなのんびりとした雰囲気が懐かしくて、アルは思わずにこにこと微笑んでしまった。そのせいか、アカツキが「え、俺をいじめて笑ってる……? まさかアルさん、ドS!?」と言いながら引き攣った顔をする。


 ドSという言葉の意味は分からないが、そこはかとなく心外な気がした。


「遊んでないで座れ」

「わん。――って、俺は犬じゃないっす!」

「吾はお主を犬扱いした覚えはないが」


 サッと椅子に座ったアカツキが、何故か勢いよく抗議した。

 クインもだが、正面でその言葉を聞いたアルも首を傾げてしまう。『わん』とは異世界での『はい』という意味合いの言葉なのだろうか。


「ノリツッコミするには、異世界人との感覚の差を踏まえないとスベるだけだという良い例だな」

「冷静に分析しないで……」


 ヒロフミの言葉を聞いて、アカツキがテーブルに突っ伏した。

 アカツキの振る舞いは意味が分からないままだったが、元気そうでなにより、と気にしないことにした。

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