第295話 神を辿る

 一通り食事が済んだところで、ふと妖精の存在がないことに気づいた。


「アカツキさん、妖精さんはどこにへ行きましたか?」


 周囲を見渡しながらアルは尋ねる。アカツキは酒を飲んでいた手を止めて、ぼんやりと宙を見つめた。


「あー……? なんか、観光に戻るわ、的なことを言っていたような……?」

「ちょっと、ちゃんと覚えておきなさいよ」


 首を傾げながら曖昧に答えるアカツキを、サクラが呆れの色を滲ませた目で睨む。


 どうやら、アカツキに告げてすぐ、妖精は立ち去ったらしい。お願いした用件は済んだとはいえ、アルはもう少しきちんとお礼を言いたかったなと思う。

 だが、妖精がいないことで好都合な部分もあった。


「そうですか。後でお礼を言いに行きましょう。……それよりも、クインさんにお伺いしたいことがあるのですが」

『うん? なんだ?』


 食事を終えたクインは、大きな体を伏せて寛いでいた。この後少ししたら、クインは外に出るつもりだと言っていたが、アルはその前に聞きたいことがある。


「クインはアテナリヤと直接話したことがあるんですよね? どういう方でしたか?」

『……あぁ、そのことか……』


 ぱちりと瞬きをしたクインが、徐に体を起こして姿勢を正す。

 上から見下ろされる体勢はあまり慣れない。本来なら同じくらい大きな体を持つブランは、変化により抱えられるくらいの小さな姿であることが多いからだ。


「妖精さんの前で、あまり詳しく聞くのもどうかと思っていたんですが、今はいないようなので」

「あ、それで俺に聞いたんですねー。妖精さんたち、あんま気にしない感じもしますけど」

「でも、用心は必要よね」


 楽観的なアカツキとは対照的に、サクラは真剣な表情でアルの考えに同意した。


『直接会ったと言ってもなぁ……。吾はこの異次元回廊を駆け、倒れた時に、神に声を掛けられただけだ。そこで存在を感じ、言葉を受けたとはいえ、はっきり見たわけではないのだ』

「え、そうなんですか?」


 クインの答えはアルにとって意外なものだった。

 異次元回廊は神により試練が与えられる場所。その試練を乗り越えると、神に望みを叶えてもらえる。

 クインはその話を聞いてここに来て、神と対面したのだとアルは思っていた。


『うむ……。その感じだと、アルは試練を乗り越えた後、神に会いには行かなかったのだな』

「ええ。神に叶えてもらいたい望みがあるわけでもないですし」

『それが正しい選択であろう。……安易に神の力に縋るべきではない』


 クインが付け足した言葉には苦々しさが滲んでいるように感じられた。ブランが同意するように頷き、苛立たしげに尻尾でテーブルを叩いている。


『あれは見下ろす者だ。望みを叶えてくれるなんて、そもそも嘘に違いない』

『あまり批判的なことを言うんじゃない……』


 ブランの言葉に、クインが苦笑しながら言う。だが、否定しないということは、クインもそのように感じているのだろう。

 望みが叶えられる気配がなく、その望みさえ忘れてしまうような状況に置かれていたクインが神に好意的なわけがないのだから仕方ない。

 妖精の話では、クインのことは、神にとっても想定外だった可能性もあるようだが。


「ブランは前からそう言っていたよね」


 アルは頭の中で神についての情報を整理した。というのも、これから魔族の問題に本格的に関わるつもりなので、魔族と深い関わりがあるだろう神の存在を、そろそろ真剣に考えるべきだと思ったのだ。


『そうだ。我がドラゴンを食い、役割を継ぐことを求められたとき、なんと理不尽な存在かと思った』

「でも、永遠の命は、ドラゴンの核を食べてしまったせいで生じる害を防ぐためでもあったんだよね」

『うぐっ……』


 精霊の森で得た情報を元に答えると、ブランは気まずそうに口籠もった。『なんだと?』と尋ねてくるクインにアルは説明を加える。


「ドラゴンの核を食べたことで得た力は、普通の魔物では耐えられないもののようです。それを防ぐため、神により魔物という枠から外れた存在にされたのだろうと、精霊から聞きました」

『なんと……そんなことが……』


 クインは目を丸くして驚いていた。

 アルも精霊の魔力核を持つために、生まれる前に神から調整を受けているらしい。それがどんなものかは分からないが、ブランと違って人間の枠からはみ出るほどのものではないはずだ。


 ブランは食い意地が張っていて、ドラゴンの核まで食べてしまったせいで不具合が出た。神はそれを解決してくれただけと考えることができる。つまりは、ブランが聖魔狐という存在から外れてしまったのは、自業自得であるということだ。


 クインはそのことに気づいたのか、ほとほと呆れたと言いたげな雰囲気で大きく息を吐いた。


『……昔から思っていたが、やはりお前の愚かさのせいか』

『わ、我は命を残さず食べただけだ!』

『それは命を頂くことへの感謝の念ではなく、ただ食い意地が張っているだけだろう』

『うぐっ……』


 クインの冷たい視線を受けて、ブランが再び呻いて口を閉ざした。この件について何を言っても言い訳にしかならないことは自覚しているようだ。

 アルもブランのこの行為については一切擁護できない。だが、ブランが永遠の命を得なければアルと会うこともなかったはずなので、複雑な心境になる。ブランと会えたことは嬉しいが、ブランに苦しんでもらいたいわけではないから。


「……ねぇ、ちょっと話を整理してもいい? というか、アテナリヤに関することを、時系列で確認したいんだけど」


 不意にサクラが口を挟む。その真剣な表情を見て、アルは頷いて紙を取り出した。アルもそう提案しようと思っていたところだった。


「そうしましょう。……創世神アテナリヤと最も古い付き合いなのは、精霊ですね。特に精霊王」


 紙の一番上に【創世――精霊王】と書く。アテナリヤが世界を誕生させ、どれくらい経ってから精霊を創り出したかは分からないが、アルたちが気にするべきことではないだろう。


「ドラゴンも同じくらいなんじゃないっすか?」

「そうですね。……世界の管理者ということで括っておきましょう」


 アカツキに頷き、アルは【創世――世界の管理者(精霊、ドラゴン)】と書き換えた。


「世界が誕生してから、命を生み出す際に、あの森が誕生したんですよね」

『我が棲み処にしていた森だな』


 ブランが頷く。精霊から聞いた話だから、間違いはないだろう。あの森は命を育むためにアテナリヤが用意したものだ。


「ここから人間が誕生して、世界に散らばっていき……ブランがアテナリヤと会ったのはいつ?」

『我は人間の時の数えは知らぬ』

『吾も分からんな。ただでさえ記憶を失っていた上に、ここは外の世界とは隔離されているようなものだからなぁ』


 ブランとクインの言葉に、アルは困ってしまった。普通の魔物だったブランたちが、人間のように歴史を書き残しているわけがない。何年経ったかなんて、覚えているわけがないのだ。


「う~ん……。ねぇ、ブランは魔族とか悪魔族って呼ばれる存在は知っていたの?」

『うむ?』


 不意に問いかけたサクラに、ブランがきょとんと目を瞬かせた。


「あぁ、前に何と言っていたっけ……。悪魔族という存在がいるなら、って仮定の感じで話していた気がするから、会ったことはなかったんだよね?」

『ないぞ。そもそも魔物は歴史を継ぐという概念が気薄だから、アルが言っていたような創世記の中の悪魔族の話も知らなかった』


 ブランがあっさりと答える。クインを見ると、同じように頷いていた。


「じゃあ、私たちが悪魔族と呼ばれて活発に動いていた時期よりも後に、ブランたちは生まれたのね」

『……我らは人間の世のことに関心を持っていなかったから、必ずしもそうとは言い切れんが』

「でも、私たちがイービルに洗脳されて活動していた時、世界中に被害があったはずよ。魔物だからって、一切知らないなんてことあるかしら?」


 サクラが地図を取り出す。それはアルの記憶にあるものとは違っていた。かろうじて分かるのは、【生きた森】と呼ばれる場所が、今と変わらず記されていることだけだ。


「ここ、ブランたちが棲み処にしていたところでしょう? 私たち、洗脳されていた時にこの森に行ったことがあるのよ。色々やらかして、当時そこにいたドラゴンに追い払われたんだけど」


 あまりにもあっさりと放たれた言葉を、アルは一瞬理解しそこなった。

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