第288話 一時の別れ

 ヒロフミの作業を眺めながら待つこと暫し。

 少しずつ【呪術】が【まじない】に変わっていき、アルでも理解できるものになる。理解はできても、魔族の血を引いていないアルは使えないが。

 これをさらに魔法陣に書き換えることができたら、アルも穢れの浄化をできるようになるだろう。


「――アカツキさんがいるから、そこまでする必要はないか」

「ほへ? 俺が、何っすか?」

「この【まじない】を使える人がいるから、手間をかけて僕が使えるようにする必要はないって話です」

「ああ……ってか、俺ちゃんと使えるのか……?」


 アカツキが自信なさそうに呟く。

 そういえば、アカツキは【まじない】を使う時、魔法の杖を使っていたはずだ。魔法の杖は汎用性のあるものなのだろうか。


「これでよし、と」

「宏ー、俺、それ使えんかもしれん」

「なんでだよ……?」


 ヒロフミが胡乱そうな目でアカツキを見据える。せっかくできあがったのに、使用不可だったなら徒労に終わることになるのだから、それも当然だ。


「俺、【まじない】する時、これ使ってんだよね」


 アカツキがバッグから大きな黒いローブを取り出し羽織った後に、魔法の杖を構える。何故か得意げな顔をしていた。


「……は? お前、異世界でもオタクやってんのかよ……」


 ヒロフミの目に浮かぶ感情が、胡乱を通り越して呆れに変わった。だが、アカツキの変なこだわりをすぐに理解したらしい。さすが同郷である。アルは全く理解できない。


「オタクちゃうし! ただ魔法使いと言えばの憧れだよっ!」

「寒い奴だな……」

「寒い言うな! 人生を楽しむって大切だよ!?」

「……まぁ、それは否定しないけど。それ貸してみろ」


 長い生に飽きて死を選んだ者を知るからか、ヒロフミがアカツキの言葉に理解を示す。その後、受け取った魔法の杖の分析を始めた。


「アカツキさんって、魔法の杖を媒体にしないと【まじない】の使用は完全に不可能なんですか?」

「正直試したことないっす。なんとなく、感覚で無理な気がしますね」

「なるほど……。それはアカツキさんだけが魔王として封じられていたことと関係があるのかな……?」

『ふん。ただ馬鹿なだけだろう』


 ブランが鼻で笑う。アカツキの拗ねた視線が鬱陶しいのか、尻尾で叩き始めた。今日のアカツキはいつも以上によく叩かれる。


「痛い、痛い! もう、なんで俺、こんなに叩かれんの!?」

「バカツキだからだろ」

「いってぇよ!」


 とどめとばかりに、ヒロフミに魔法の杖で頭を叩かれて、アカツキは涙目で肩を落とした。それでも渡された魔法の杖をしっかり受け取るのだから、愛着が強いらしい。


「それを介しても、【まじない】を使えるはずだ。まず、この巻物に書いてあるのが【まじない】の呪文な。覚えろ」

「……マジかよ。俺の記憶力が試される……」


 ヒロフミが【まじない】の形式に変えた巻物には、数多の文字が並んでいた。魔法陣と違って、呪文がそのまま書き連ねられているようだ。


「杖なしで【まじない】を使えんなら、覚えなくても良かったんだけどなぁ」

「……がんばるから、馬鹿にする目をしないで」


 アカツキが落ち込みながら、ぶつぶつと呟いて呪文を暗記し始める。


「覚えたら、【浄化】ってキーワード一つで発動できるはずだから」

「なるほど。アカツキさんが知識として【まじない】を取り込むことで、魔法の杖が自動的にそれに対応してくれるということですか」

「さすがアル。察しがいいな」


 褒められて少し嬉しい。

 ダンジョン機能で創られた魔法の杖には、【まじない】をキーワード一つで発動するという機能があった。おそらくダンジョン能力で把握されていた【まじない】を使用していたのだろう。

 今回の【浄化】の【まじない】は、完全オリジナルだから、まずはアカツキを通してその呪文をダンジョンに記憶させないといけないということだ。


「……【まじない】か。一からそんな技術を作り出すなんて、よくやるよ」


 トラルースが呟く。興味深そうに巻物を覗き込んでいた。

 トラルースは魔力が少なくとも、魔法を使う才能自体は優れているようなので、【まじない】という魔法とは異なる技術体系に興味があっても不思議ではない。


 その様子がどこかマルクトに似ているように思えて、アルは微笑んだ。

 トラルースがマルクトとそれなりに交流がある感じなのは、二人とも研究者気質を持っているからなのかもしれない。


「褒めてくれていいんだぞ? 正直、イービルの目を盗んでこの技術をものにできたのは奇跡に近い」

「だろうな。……そろそろ時間がヤバいんじゃねぇか?」

「おっと……! このままここにいて、迎えが来たら悲惨なことになるな」


 ヒロフミが慌てた様子で立ち上がった。

 アルは【まじない】についてもっと話を聞きたかったが、その余裕はなさそうだ。


「ここは許可したもんしか入れねぇから、出くわすなんてありえねぇよ」

「それはそれで、お前どこ行ってたんだってなるんだよ」


 トラルースとヒロフミが、アカツキをちらりと見てから話す。

 悪魔族側から迎えが来たとして、アカツキのことが知られるのはよくないということだろう。アカツキだからなのか、悪魔族に与しない魔族だからなのかは、アルは分からなかったが。


「アル。もう少ししたら、あいつらを探るのを一旦切り上げる予定だ。会いに行くから、【まじない】でも魔法理論でも、その時にたくさん話そう」

「……はい。楽しみです」


 微笑ましげな目で見られて少し恥ずかしい。アルが【まじない】についてヒロフミと詳しく話せず残念がっていることに、完全に気づかれている。


『アルも研究馬鹿だからな……』

「暴食の獣に言われたくない」

『なっ!? アルまでその名で呼ぶな!』


 アルが意趣返しに呟くと、ブランの尻尾が襲ってきた。よほど精霊の王につけられた名が気に入らないようだ。名は体を表すというくらい、ブランにピッタリだと思うが。


「ふっ、暴食の獣……」

「暴食の獣かぁ。一瞬カッコよさそうに思えて、実はすっげぇダサい」

『お前らまで言うな!』


 ブランのあだ名は、思いがけずトラルースの笑いを誘った。ヒロフミも生温かい目でブランを見下ろしている。


 怒ったブランが攻撃を加えようとするのを避けるように、ヒロフミが外へと駆けた。どうやら本気で時間が差し迫っているらしい。


「アル! 暁と桜のことよろしくな。それと今度会ったら、俺たちのために手を貸してくれよ! ――アルは、俺たちの希望だから」


 真摯な眼差しと声音。ヒロフミが魔族への救いを求める気持ちがまざまざと感じられた。


「アルもトラルースも、元気でな!」


 何やら紙を宙に放ったかと思うと、カッと光が溢れて、ヒロフミは一瞬で姿を消す。

 魔族の【転移】の【まじない】だろう。初めて見たが、どういう風に発動したのか全く分からなかった。


「……がんばります。だから、ヒロフミさんも無事に帰ってきてください」


 聞こえないだろう返事をして、アルは部屋の中に視線を戻す。


 アカツキが巻物から顔を上げて、ヒロフミが消えたところをじっと見つめていた。別れの言葉もなく去ったことに、少し不満と寂しさを感じているようだ。


 ヒロフミがアカツキに声を掛けなかったのは、未練を振り切るためだったのだろうか。

 アカツキと共にいたくても、状況がそれを許さない。だから、別れの言葉を交わす寂しさを味わいたくなかったのかもしれない。


「すぐにまた会えますよ。魔族のために動いているのは、ヒロフミさんも一緒です。僕たちはまた会う時までに、魔族の望みを叶える方法を探しておきましょう」

「……そうっすね。あいつも頑張ってるんだし……俺も頑張ります!」


 少し無理した雰囲気はあったが、アカツキがニコッと笑って拳を握る。気合いが入ったようでなにより。それなら頑張ってもらおう。


「呪文、覚えました?」

「……まだです……」


 成果を尋ねると、一瞬にして、アカツキが泣きそうな顔になった。

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