第279話 最終確認

 時の魔力の抜き取り用と注入用の魔法陣。性質転換用の魔法陣。

 二パターンの魔法陣の実験を繰り返し、それぞれの特色が分かってきた。


「大きく時の流れを変化させるなら、単純に魔力を抜き取る魔法陣の方が効率いいね……」

『そうだな。だが、微調整は難しい』


 膨大な量の記録を皆で囲む。

 ブランが言う通り、時の魔力の抜き取る魔法陣だと、どうしても調整が大雑把になってしまうのだ。例えば一日を戻そうと思っても、誤差が数時間単位で生じてしまう。数百年を戻そうと思ったら、どれほどの誤差が出ることか。


 一方で、性質転換用の魔法陣は誤差がほとんど生じない。様子を見ながら逐次性質を転換させ、時の流れの調整が容易いからだ。だが、あまり多くの量の魔力を操作できず、時の流れの変化は小さい。一日を戻すのに十数時間かかるのだ。これでは、百年単位で時間を戻すのは実質不可能。


 時の操作による状態の変化については、どちらの魔法陣でもほとんど問題がないようだ。もやしや二十日大根はほぼ正確に過去の状態に戻っているのが記録で分かったから。

 つまり、時の魔力の操作で、クインを過去の状態に戻すことに問題はないということ。戻しすぎて存在が消えてしまうということがないように、時間の調整だけ気をつけなければならない。


「失敗した果実酒も、元の状態に戻っていたし、改めて考えても、時を操作するって凄いよね……」


 テーブルの隅に置いていた瓶を揺する。中にはホワイトリカーと果物、砂糖。それは果実酒の最初の実験に使って時間を戻していたもの。腐っていた果物は元通りで、今は自然熟成を進めている。ある程度熟成が進むと、魔法陣で時を進めて熟成を促進できることも、既に分かっていた。


 過去に戻すよりも、未来へ進める方が難しい。不確定な要素が多いから、クインにそのような操作は行いたくない。

 それならば、過去に戻しすぎて、未来へ進めて調整するなんてことをしないように、誤差の問題は解決させておきたいので――。


「――やっぱり、時の魔力の抜き取り注入で大まかに時を戻して、後は性質転換で調整する感じがいいかな」

『うむ。我もそれが良いと思う』

「そうだね。その方が失敗の可能性は低いだろう」


 アルの結論にマルクトも同意してくれたのでホッとしながら、方針を定めた。つまり、これから最終実験に移り、クインへの魔法行使に進むということ。


「アカツキさん、実験対象の準備はできていますか?」

「もちろんです。ダンジョンで用意済みですよ」


 アカツキが少し緊張した面持ちで頷く。

 アルはアカツキに、実験対象となる生き物の用意を頼んでいたのだ。植物だけでの実験ではまだ心許ないから。できればクインと同じ魔物がいいと思っての依頼だ。


「では、アカツキさんのダンジョンで最終実験をしてみましょう。二パターンの魔法陣を使用します」



 ◇◇◇



 アカツキのダンジョンに場所を移したアルは、早速実験の準備を始めた。

 マルクトはそろそろ満月の日が近づいているということで、精霊の森へ道を開く用意があるらしく、実験には不参加だ。最終実験が上手くいけば、アルたちは次の満月のタイミングで外に出るつもりである。


『ほう……これが実験用の魔物……』


 呟くブランの前で、ぷるぷると魔物が揺れる。アカツキが実験用に用意したという魔物は、スライムだった。アカツキが最も古くからこのダンジョンに置いている個体らしい。


「本当に、そんなに深い関係の魔物を実験対象にしていいんですか?」


 アルは少し戸惑いながらアカツキに尋ねる。長い付き合いのものを実験対象に使うなんてアルには考えられなかったから。アルの場合に当てはめたら、ブランを実験対象にするようなものだ。観察対象には使うが、実際に時の魔力の操作実験の対象にはしたくない。何が起こるか分からないのだから。


「いいんです。こいつも協力したいって言ってますし。やっぱり、クイン同様に長く生きている魔物に対してちゃんと魔法を使えるか見る方が有意義でしょう? それに、こいつの言葉ならダンジョンマスター特権で理解できますから、不都合がないかの判断材料にもできます」


 思いの外、さっぱりとした表情でアカツキが答える。スライムの方もぽよんと跳ねてやる気十分な雰囲気だった。


「……二人がそれで納得しているならいいんですけど」


 ダンジョン能力で生み出した魔物ということで、アカツキはあまり愛着を持っていないのかもしれない。そもそも、ダンジョンで侵入者に倒される可能性がある存在として生み出しているのだから、個体それぞれに感情を傾けていない可能性もある。

 アルは魔物を生み出し指揮する立場になったことはないので、アカツキに共感はできないが、問題はなさそうなので今は気にしないことにした。


 それに、実験が成功すればいいのだ。魔物としての強さは初期状態に近くなるかもしれないが、現状、アカツキのダンジョンで敵と戦う機会なんてほとんどないのだから。


「妖精さんも、時の魔力の観測をよろしくお願いします」

『分かったわ。実際に見るのは初めてだから楽しみよ』


 傍らで興味津々の眼差しを向けてきていた妖精に微笑む。

 この妖精は、クインに魔法を掛ける際にも協力してくれる予定だ。既に異次元回廊に行けることは確認できたとの報告をもらっている。


「では、実験を始めます――」


 まずはスライムの中の時の魔力を感知。スライム自身はアカツキやブランのように、特殊な魔力にはなっておらず、周囲の空間に満ちる時の魔力と同様に少し【未来へ向かう性質】の魔力の勢いが強めだった。

 時の魔力の抜き取り用と注入用の魔法陣に魔力を流し、【過去へ向かう性質】の魔力の勢いを強める。


『あらあら、まあまあ! 凄いわね。本当に時が戻っているわ。いい感じね。もう少し抜いて……そう、そこで止めてみて』


 妖精には事前にこれまでの実験の記録を見せていたから、調整の指示も的確だった。

 もやしなどに掛けた時よりもさらに速いスピードで、スライムの状態が過去へ戻っていく。


「このスライムは少なくとも百年以上は生きているので、わりと大雑把な感じでも大丈夫ですよ」

『そうね。まだまだ戻せるけど、これは実験なんだもの。適度なところで調整できると分かればいいでしょう』

「ええ。……今のところ、スライムに異常はありませんか?」


 アルの目には異常は見当たらないが、念のためにとマスターであるアカツキに問う。現時点で一年ほどは状態が戻っているはずだが、スライムに変化はないように見えた。


「そうですねぇ……。うん、なるほど」


 スライムと話していたらしいアカツキが、納得したように頷く。


「――経験値的な強さが下がっている感じです。意識レベルはそのままなので、やはり肉体というか物質状態だけに変化があるんでしょうね」

「それは魔法の目的として完璧ですね……!」


 思わずアルの声のトーンが上がった。元々、時の操作は意識に影響を与えないと想定していたとはいえ、こうして結果が出れば安心できる。


「――では、そろそろ調整の方を試みます」


 再び時の魔力の抜き取り用と注入用の魔法陣を使用し、元通りの魔力の割合に近づける。これで現実時間軸と同様の時の流れにある程度戻ったはずだ。

 続いて、性質転換用の魔法陣を使い、魔力の調整を行った。


『……良い感じよ。もう少し使って……ストップ! これで現実時間の流れと一致したわ!』


 妖精の指示通りに操作を停止した。スライムに異常はない。


「成功だ……!」

「おお! 成功!」

『凄いではないか!』


 アルたちは実験の成功を喜び合った。

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