第276話 実験成果
最初の実験ですぐに問題点が浮かび上がったので、実験の継続よりもその解決を優先することにした。
必要なのは魔法陣の調整。今のものよりも少量ずつ魔力を抜き取るように設定しなければならない。
「う~ん……この量の設定が難しいんだけどなぁ」
アルの能力では、時の魔力の変化を定量的に観測できない。それはそのままアルが作る魔法陣にも反映され、どの程度を設定すればいいのか考えるのが困難なのだ。
「最初に作ったのを基準にして、その半分とか、三分の一とかにするのはできないんですか?」
アカツキがぐったりとテーブルに身を預けながら尋ねてくる。最初の実験が成功とは言い難かったから、気合いが空回りして疲れてしまったらしい。
「簡単に言いますね……。まあ、測量できない以上、そうするしかないんですけど」
アルの方こそ少し疲れを感じてため息をつく。
とはいえ、魔法陣の調整には集中力が必要だから、頬を叩いて気合いを入れ直し、作業に取り掛かった。できれば今日中に実験を再開したい。
『大変だなぁ』
『そうですね。私が魔法陣に組み込む測量値を提供できればいいのですが、そもそも魔力の量を数値で表すのが難しいので。アルさんの魔法陣に役立てられるとは思えませんね……』
『それは仕方あるまい。能力には限界があるものだ』
申し訳なさそうにする妖精をブランが慰めていた。珍しいこともあるものだ。その意見には同意だが。アルも、妖精に責任を負ってもらうつもりはない。
周囲の会話を聞き流しながら、魔法陣の調整を行う。先ほどの失敗から、抜き取り用と注入用の魔法陣を、それぞれ二十パターンほど準備することにした。これだけ作れば、どこかで成功する可能性が高いだろう。少しやけっぱちなのは事実。
全ての作業を終えた頃には、既に昼に近くなっていた。
『腹減った……』
情けない声と共に、ぐぅーと間の抜けた音が聞こえる。ブランが腹を擦りつつ、テーブルで横たわっていた。妖精はもやしを興味津々で観察しているようだが、何がそんなに面白いのだろう。
「あ、作業終わりました?」
「ええ。午後はこれを使って実験してみましょう。昼ご飯は作り置きのものでいいですか?」
「もちろんです」
『……いいぞー』
アルが疲れていることは分かったのか、ブランからも文句は出なかった。
テーブルを片づけてそれぞれにおにぎりとミソスープ、カラアゲ、サラダを配る。
おにぎりはコメをどこでも食べやすくする料理としてアカツキに教えてもらったのだ。色々な具材で味変できて楽しくていい。今回は鶏を入れた炊き込みご飯のおにぎりだ。
「――おや、ちょうど休憩中だったね」
「マルクトさん、今日は早いお帰りですね?」
アルたちが昼食をとっていると、マルクトが部屋を覗いた。いつも夕食頃に研究を切り上げてくるマルクトにしては珍しい。
驚くアルに、マルクトが少し得意げな表情で宙に精霊文字による記録を浮かべる。
「時の魔力を変化させる方法について考えてね。基礎としてはこういう感じでいいと思うんだけど」
「え、早い……」
まさか、マルクトがもうそこまでできているとは思わなかった。あらかた食べ終えていたので、アルはそのまま記録に目を通す。
マルクトが考えた理論としては、時の魔力のそれぞれの性質を温度と関連付けて、冷ましたり温めたりする感じだった。
もう一つ、色に関連付けて調整する方法も考えてみたようだが、赤と青の間の色調変化が難しいとして、要研究という結論になっていた。
「たぶん、このままでは効果がでないけど。ブランの中の、時の魔力の変化を研究して、調整してみるといいと思う」
「分かりました。やってみます……!」
午前中の実験が思うようにいかなかった分、マルクトのおかげで新たな道が開けたことが希望に感じて、アルの疲労が少し回復した気がする。
微笑んで礼を伝えると、マルクトは穏やかな表情で頷いた。
「妖精から報告を受けたけど、この後は魔法陣を調整して実験をするんだろう? 俺も見ていていいかな」
「……はい。上手くいくかは分かりませんけど」
アルは自信がなくて苦笑気味に答える。
「実験に失敗はつきものさ。より良いものを生み出すには、試行錯誤あるのみだよ」
「そうですね。実験のデータを取ることが、今回の目的でもありますし」
肩をすくめたマルクトの言葉に慰められて、アルはやる気を取り戻した。
この勢いで実験を再開しようと、植物栽培用の部屋に移動する。
「え、待って、待って! 俺も見ますからー!」
アカツキが残り少なくなっていた食事を口に詰め込み、慌てた様子で追ってきた。ブランは当たり前のようにおにぎりを抱えたまま移動してきている。別にいいが、そこまで実験に興味があったのかと、少し驚いた。
もやしに記録用の魔道具をセットし、魔法陣も用意していく。抜き取り用と注入用の魔法陣を、それぞれもっとも効果が小さいものから実験を開始することにした。
これでも豆化まで速すぎたら、更に効果が小さいものを作らないといけない。この状態で、魔法陣で調整できる限界に近いと思っているので、そうならないことを祈るが。
見守る面々に視線を巡らせ、記録用の魔道具が動いていることを確認してから、妖精に視線を向ける。
『観測の準備は完了しています』
「では、始めます」
抜き取り用と注入用の魔法陣それぞれに魔力を流した。
もやしに目に見える変化はない気がするが、時の魔力を感知すると、少しずつ【未来へ向かう性質】の魔力の勢いが弱まっているような……。
『……これ、効果が小さすぎではないか?』
「もやしさんでこの速度の変化だと、クインさんには使うのは大変そうですねぇ」
ブランとアカツキが言っていることにアルも納得する。ただ、結果を確認したいので、そのまま魔力を注ぎ続けた。およそ十分後、もやしの変化が目に見えて分かったところで、魔力を注ぐのをやめて魔法陣を停止する。
「……魔法陣を停止しても一定速度で時間が戻り続けているね」
『すごく小さな変化だがな。やはり、もう少し効率よくやりたいもんだ』
「そうだね。妖精さんはどう見ますか?」
ブランと話してから妖精に視線を向ける。
『【未来へ向かう性質】の魔力が【過去へ向かう性質】の量を下回り、維持されています。空気中との魔力交換はありません。このまま放置することで、およそ一日で豆状態になると思われます』
「え、どうして予測までできるんですか……?」
意外なことを言われて驚くと、妖精が少し誇らしげに胸を張った気がした。
『皆様の休憩中に、もやし生育記録の確認をしていました。その生育速度と、戻る速度を比較したことで、予測が可能になっています』
「すごい……」
アルは思わず目を輝かせて妖精を見つめた。
実際に予測通りになるかは分からないが、ここまで記録の分析ができるとは、妖精の能力には驚きである。
妖精の主人であるマルクトが、少し誇らしげに胸を張った。
「この子は一番分析や観測が得意だからね。頼りにするといいよ」
「はい、ありがとうございます。……では、これはしばらく記録用の魔道具に観測を任せて、他の魔法陣も試してみましょう」
結果が出るまで一日かかるとなると、ずっと観察しているのは時間の無駄。サクサク実験を続ける。
先ほどよりも効果が大きい魔法陣をセットして、魔力を注いでいく。
いくつか試したところで、豆化までが早くなりすぎたので実験を終えた。
「――最初に使った魔法陣の、十分の一の効果のものが、一番扱いやすいかな」
『【未来へ向かう性質】が【過去へ向かう性質】の三分の二ほどの勢いを維持することで、およそ一時間で一日戻るペースかと思われます』
「なるほど……」
妖精の報告も合わせて、ノートに記録する。
最初はどうなることかと思ったが、きちんと時の魔力の操作は可能だと分かったし、十分実用的だと結果も出た。成果としては満足と言ってもいいのではないだろうか。
『……つまり、実験は成功か?』
「成功だね」
「……ひゃっほー! さすがアルさんですね!」
アカツキの歓喜の声に、アルもホッとした気分で微笑んだ。
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