第275話 実験と考察

 翌日。朝食後に早速、植物を使った時の魔力操作を試みることにした。

 魔力自体を変化させる魔法陣はまだ作れていないので、後日実験したい。マルクトが「基礎となる魔法陣は研究しておくよ」と言ってくれたので、少し期待している。もちろん、アル自身でもこの後研究するつもりだが、たくさんのアイディアがあった方がより良いものになるはずなので。


「――時の魔力を変化させる魔法を考えるなら、やっぱり、ブランの観察が大切だと思うんだよね」

『うっ……分かってる! 甘味増量で承諾したからな!』


 アルが協力依頼の念を押すと、ブランは嫌そうな表情をしながらも頷いた。

 昨夜の夕食時から報酬を前払いしているようなものなのだから、反故にされては困る。ブランが分かっていてくれて何よりだ。


「アルさ~ん、もやしと記録の準備完了です!」


 アカツキがワクワクとした表情で報告してくれた。どうやら、ようやく時の魔力操作ができるようになりそうだということに、興奮しているらしい。

 魔族の望みのためには役に立たないかもしれないが、目的のために前進していると分かった方がやる気が増すのは、アルも理解できる。


「では、始めますね。まずは【未来へ向かう性質】の魔力の抜き出しを試みます」


 アカツキたちは、豆を一粒ずつ容器に入れてもやしを育てていた。全部で百ほどあるから、何度でも実験できる。


『こちらもいつでも観測可能です』

「よろしくお願いします」


 ピシッと硬めの報告をしてくれたのは、マルクトの妖精だ。今回の実験の協力をしてくれることになっている。妖精の中で最も、魔力変化観測と記憶の能力に優れているらしい。

 フォリオの妖精とは全く違う雰囲気にまだ慣れなくて、アルは苦笑しつつ頭を下げた。


「【未来へ向かう性質】の魔力を抜き出すと……つまりは理論上では物質の時間が戻るってことですよね?」

「そうですね。上手くいけばもやしは少しずつ小さくなり、豆の状態になります」


 アルが答えると、アカツキは「んー……?」と唸りつつ首を傾げていた。アルはそれほど難しいことは言っていないと思うが、アカツキは何かが気に掛かっているようだ。


「――もし、豆の状態より過去に戻ったら、物質はどうなるんでしょう? ダンジョン能力で魔力から創った豆だから、魔力になる……?」

「あ……なるほど、その可能性はありますね」


 アカツキの疑問はもっともで、アルは思わず頷いた。改めて考えてみると不思議で、答えが気になる。


「――では、その状態を調べるためにも、一度は魔力を抜き取って放置してみましょう」

『調べるパターンが増えたな……』


 ブランが面倒くさそうに言いながら尻尾を揺らす。植物栽培担当として頑張ったから、実験自体は見学するつもりのようだが、細かい部分には興味がないらしい。そんなところもブランらしいし、邪魔しないなら別に問題はない。


「魔法陣を用意して――」


 今回は魔軽銀プレートに刻んだ魔法陣を使うことにした。実験の再現性を高めるため、使い捨ての魔法陣は使わない。


「――実験スタート」


 魔法陣に魔力を流すと、ゆっくりともやしが小さくなり始めた。

 時の魔力を感知してみると、確かに【未来へ向かう性質】の魔力が、【過去に向かう性質】の魔力の勢いを下回っている。その差はぐんぐんと開いていっている気がした。


「……おお!」


 アカツキの感嘆の声を聞き流し、アルは状態の確認に集中する。初めは、このまま魔力を抜き取り続けて観察する予定だった。

 だが――。


「っ……物質消失……魔力の霧散……?」


 突然、もやしが消えた。直前まで、ちゃんと見えていたし、豆の状態まで戻ってもいなかったのに、跡形もなく消えたのだ。

 予想と違う結果に、思わず呆然とする。魔法陣は作用する対象を失って、自動停止していた。


『……どういうことだ?』


 あまり興味がなかったはずのブランでさえ、身を乗り出してもやしがあったところを見ている。アカツキは珍しく眉を寄せて沈黙していた。


「僕の感知した限りだと、【未来へ向かう性質】の魔力が、最初の半分くらいの勢いになったところで、【過去へ向かう性質】と一緒に、一気に空気中に放出されたように見えたけど……。その際に、他の魔力も放出されて、物質が存在できなくなったのかも? どうしてそうなったのかは分からないね……」


 ブランに答えつつ、ノートに実験結果を記す。


『ほーん……、難しいな。だが、魔力の操作を誤ると、対象となる物質が消失する危険性が高いと分かっただけいいか』

「うん。有意義な結果だね。……生き物で試していたらと思うと、ゾッとするけど」


 もしこれがクインの身に起こったら取り返しがつかない。

 アルだけでなく、ブランもそのことに気づいていて、少し険しい表情だった。


「――妖精さんの観測はどうでしたか?」


 アルが視線を向けると、精霊文字で宙に何かを記していた妖精が口を開く。


『魔力を注ぎ始めて三秒後に、時の魔力操作の魔法陣が発動。効果は徐々に増大し、一秒後には最大に達しました。魔法陣発動十秒後に、時の魔力は【未来へ向かう性質】が【過去へ向かう性質】を下回り、その後も減少を続けた結果、一分後、初期値の半分を下回った段階で、物質の消滅が観測されました』


 そこで一呼吸おいた妖精が、アルを見つめる。


『魔力の減少に対して、空気中から自然に補充されるはずの魔力が足りていなかったようです。物質消失時に、残っていた魔力は全て空気中への放出が確認されています。現段階で時の魔力を操作しても、物質の再構築は不可能です』


 つらつらと語られた報告に、アルは思わず目を見開いた。予想していたよりも、細かい観測結果だったからだ。妖精の観測能力の凄さが窺い知れた。

 ブランとアカツキは、ボカンと口を開いて、妖精を凝視している。思考を放棄しているように見えた。


「……ありがとうございます」


 聞き取った結果もノートに記し、今回の記録から仮説を立てる。

 現状では魔法陣を発動させてから、一定の効果になるまでのラグを消すのは難しい。一秒ほどなので、誤差の範囲として気にしないでおく。


 問題は、物質の消失が何によるかだ。

 妖精の報告を考えると、アルが作った魔法陣が時の魔力を抜き取るのが速すぎて、空気中からの魔力の供給が追いつかず、物質の維持が困難になった可能性が高い。


「……抜いたら抜いた分だけ、即時でどちらかの性質の時の魔力が補充されると考えていたけど、ダメだったのか。この場合、抜き取る速度を緩めるか、意図的に魔力を注入するか対策をとらないといけないね」

『すぐに調整できるのか?』


 アルのノートを覗き込んできたブランが首を傾げる。アルは「う~ん……」と唸りつつ、小さく頷いた。


「抜き取る速度を緩めるには、魔法陣の調整をしないといけないね。今すぐできるのは、時の魔力の注入用の魔法陣を、同時発動することだけ」

『おお、ではやってみよう』


 ブランがホッとしたように提案するので、アルもすぐに準備を始めた。

 皆が息を飲んで見守る中、今度は【未来へ向かう性質】の魔力の抜き取りと、【過去へ向かう性質】の魔力の注入を同時にしてみる。


「じゃあ、いくよ――」


 先ほどの失敗のせいで少し緊張しながら、アルは魔法陣を作動させる。


 結果はすぐに目に見えて分かった。

 急速にもやしが小さくなっていったかと思うと、豆の状態が見えた瞬間に消失したからだ。映像を確認するまでもないほど一目瞭然の変化。

 思わず、アルはブランたちと顔を見合わせる。


「――戻すのが速すぎたね。時の魔力の二つの性質の差が大きくなりすぎたからだ。途中で止める隙もないとは……。でも、意図的に魔力を注入して総量を保てば、途中段階で物質が消滅することはないし、豆より過去は無いっていうのも分かって良かったね」

「豆が魔力から創ったものだから無になりましたけど、自然発生の豆だったら、花粉とかになる可能性も……?」


 出した結論に、アカツキが更に突っ込んだ仮説を言うので、アルは思わず目を瞑った。

 考えるべきことが多すぎる。物質を消すことを目的にした実験ではないから、アカツキの仮説はとりあえず無視してもいいだろうか。

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