第105話 思わぬ事態
一晩休んで英気を養ったアルたちは、今日こそは生活環境を整えようと気合いを入れていた。ブランが一つ一つ部屋を見て回っては何をどこへ置こうかと楽しそうに話しているのを聞きながら、一番奥にある小部屋に向かう。
「ちょっと狭いけど、これを置くだけだからね」
ベッドを置いたら足の踏み場もなくなってしまいそうなくらい小さな部屋に簡易の机を設置する。そしてよく見知った箱をその上に置いた。
『久しぶりに見たが、やはり無駄に豪奢だな』
「そうだねぇ。アカツキさんなりのこだわりがあるみたいだけど」
机に跳び乗り呆れた表情で箱をちょんちょんと小突いているブランを見て苦笑する。
この箱はアカツキから預けられたダンジョン産の宝箱だ。アカツキ曰く、ダンジョンでのボーナスアイテムの入手はこのような箱を使うのが様式美らしい。
アルにしてみれば、大して価値のないものがこんな箱に入れられていたら、期待した分落胆が大きくなって迷惑極まりないと思う。だが、ダンジョンの管理を担っているアカツキが楽しそうに語っていたので何も告げないことにした。ダンジョンに来るのはほぼほぼアルだけなので、他の誰かに迷惑を掛けるものでもないだろう。
「これを開けて、この魔道具を作動させればいいんだよね」
『そう言っていたな。……この箱は本当に必要だったのか?』
「アカツキさんがこだわっていたし、そんなに手間がかかるものでもないから気にしないでおこうよ」
箱に入っていたのはアカツキが創った領域支配装置だ。どういう原理なのかいまいち分からないが、これは周囲の魔力を吸収して作動するらしい。既に範囲の設定などは済んでいるので、後はここに置いたまま一日もすれば魔力が充填され、この住居の結界の範囲をアカツキの管理下に置けるはずだ。だが、あまりアカツキを待たせすぎると再び思いもよらないことをしでかしそうなので、アルは強制的に魔力を注ぐことにした。
『おお! ほのかに光りだしたぞ』
「もうちょっとかな?」
白銀の光が柔らかに放たれていくのを見つつ、アルは首を傾げた。どれくらい魔力を注げば良いのかアカツキに聞き忘れてしまった。
「……ま、多くて困ることはないでしょ。入れれば入れるだけ入るみたいだし」
『んん? 危ない光になってきていないか? こういう場面で思考を停止するのは良くないと思うぞ?』
何故かブランがそわそわと動き、机から跳び下りて一目散にドアの方へと駆けて行った。部屋の外からそろりと中を覗いてくるので、さすがに危ないかと魔力の放出を停止する。アルの目には光の変化なんて分からなかったのだが、ブランの危機感を無視するつもりはない。
「……何も起きないね。やっぱりまだ魔力が足りないんじゃない?」
『おいっ、馬鹿! 即座にまた魔力を注ごうとするな! お前はそんなに考えなしだったか⁉』
「考えなしって言い方はひどくない? 僕には危ない様子には見えないんだけどなぁ」
『お前自身の魔力だから気づきにくいんだろうが、それ、溢れそうだぞ?』
「溢れる?」
ブランの呆れた口で放たれた言葉を聞いて改めてじっくり見つめてみるが、やはりよく分からない。暫く観察しながら思案するが、何も変化がないので飽きてしまった。
「……多少魔力が足りなくても放置しておけば自然と魔力は溜まるだろうし、違う作業に取り掛かろうか」
『だから、足りないわけはないと言うておろうに……。水の表面張力って知っているか? ほら、コップに水をギリギリまで注いだら、本来の容量を超えて水が保たれるヤツ。今、あの状態だぞ?』
ブランが何やらブツブツと呟いていたが、アルが小部屋から出てきて扉を閉めると、ため息をつきながら肩に跳び乗ってきた。
「さて、まずは居間から取り掛かって、次は寝室かな? ブラン専用の部屋もいる?」
『いらん。だが、モフモフでふかふかの寝床を所望する』
「ブラン自身がモフモフなのに、寝床にもモフモフが必要なの?」
『我は確かに素晴らしき毛並みを持っているが! 寝床はまた別なのだ! どうせなら良い触り心地の毛皮を狩ってきてもよいな』
「とりあえず今のところは手持ちの物で妥協しよう? 生活環境が整い次第、ここの森も探索するつもりだからさ」
『うむ。よかろう』
ブランと今後の展望を話しつつ歩いていたら、どこかで悲鳴が聞こえた気がした。振り返って確かめてみるも、異常は見当たらない。魔の森で冒険者が襲われている声が聞こえたのだろうか。今までそんな声がここに届いたことはなかったのだが。不思議に思いつつ再び歩き出す。
「なんか声が聞こえたよね」
『……幽霊じゃないか?』
「え、やめてよ。縁起でもない」
『もしかして、お前、幽霊苦手なのか』
「そんなことないよ?」
食い気味に否定すると、ブランが楽しそうにニヤリと笑った。尻尾が耳元で揺れてうるさい。
『ほほ~ん、そうなのか、はは、ふむふむ。可愛いところもあるのだなぁ』
「苦手なんかじゃないって言っているでしょ?」
『うむうむ。そういうことにしておいてやろう』
「全然分かっていないね?」
勝手な理解を示したブランを抱き上げて振り回し抗議するも、揶揄するような笑みは全然消えない。余程、アルに苦手なものがあるというのが面白かったようだ。誰だって一つぐらい生理的に無理なものはあると思うのだが。
「……なんかあの声、聞き覚えがある気がするな」
ふと頭の隅を掠めた考えを振り払う。幽霊なんていない。見えないものは存在しないのと同じだ。
『……そりゃあ、聞き覚えがあるに決まっているだろうさ』
ぶんぶんと首を振っていたアルはブランの言葉を聞き逃してしまった。
居間に柔らかな肌触りの毛皮を敷いたり、机や椅子を置いたりと忙しく動き回る。居間が整ったら寝室へと踵を返し、ベッドのマットレスを新しくして、洋服を掛けるクローゼットも整えて、忘れないうちにブラン専用の寝床も用意する。蔦で編んだ籠に羽毛を敷き詰め、毛足の長い毛皮を敷いた寝床はさぞ寝心地が良いことだろう。
「後は客室とアカツキさんの部屋かな。客室はベッドとかを置くだけでいいし、アカツキさんの部屋は本人のこだわりがあるかもしれないな」
『そろそろ来るんじゃないか?』
「え、誰が?」
『アカツキに決まっておろう』
「ああ、そうか。もう魔力の充填は終わっているかもね」
『……魔力自体は、アルが注いだ時点で十分だっただろうが』
一通り作業が済んだところで、ブランに指摘されるがまま、アルは小部屋の様子を見に行くことにした。呆れた口調の言葉は気にしないことにする。アルには魔力が十分足りていたかどうかなんて分からなかったのだから。
「変わった様子は……あるね」
『あるな』
小部屋の扉を開けて覗くと、ぐったりとした黒いモノが宝箱を覆っていた。生き物のようで、呼吸に合わせて背中と思しき場所が上下している。作業しているうちに日が落ち始め、暗くなってきていた部屋に明かりを灯すと、黒い毛並みが艶やかに光を反射していた。
「魔物、じゃないよね?」
『違うな。魔物だったら、ここに現れた瞬間に気づいてさっさと狩っている』
「だよね。……なんか、覚えのある気配がするんだけど」
『うむ。アルの予想は外れていないと思うぞ?』
一切警戒心を見せないブランによって、アルの考えが正しいことが証明された。この見覚えのない姿と覚えのある気配。つまりは――
「……アカツキさん、一体なぜそんな姿に?」
「っ、元凶は、あなたなんですーっ‼」
問いかけた途端、身を起こしたモノがぽろぽろと涙を零しながら叫んだ。こんな状況でも語尾を荒らげないアカツキは凄いなと現実逃避してしまう。
「人間が獣になるってあるのかな。いや、アカツキさんは人間じゃなかった。それならありなのか」
『その納得の仕方でいいのか? あいつ、お前のせいだと言っているぞ』
「でも、僕にはその心当たりはないし」
『……あれ、じゃないのか?』
「どれ?」
『あれだ、あれ』
ブランが示したのは獣姿のアカツキの下にあった領域支配装置だ。アルが魔力を注いだ時とは様子が変わっていて、今は無機質な質感で光を反射しているだけの置物に見える。
「でも、あれはアカツキさんが創った物だし。僕のせいじゃなくない?」
『だが、あれの許容量を超える魔力を注いだだろう?』
「……許容量、超えていた?」
『最初からそう言っていただろうが』
「いや、溢れそうだとは言っていたけど、こんな異常が現れるものだとは言っていないよね?」
『魔力が溢れそうで爆発しそうになっていたものがどんな異常を齎すのか、我に知りようがないだろう。創ったのはアカツキだし、注いだのはお前だ』
「……やっぱり、僕のせいなの?」
『この現状を見て、言い逃れを続けるのか?』
現状。ブランに指摘されて目を逸らしていた方を見ると、机に俯せに倒れ込んでいるアカツキがワンワンと泣きつつ嘆いていた。「こんなはずでは、なかったのにぃっ‼」と言っているので、創作者のアカツキの思惑を超えた事態なのは明白だった。
「……なんか、ごめんなさい?」
『本当に反省しているのか?』
「ごめん。あまり理解できていないものだから」
今のアカツキの体勢って、猫好き界隈で言うところのごめん寝って奴だろうかと、やはり現実逃避して考えてしまった。
「……獣に変わっちゃった人間の治し方って、レイさん知らないかなぁ」
『そこまで万能な人間じゃないだろう。相談したが最後、頭を抱えられて怒られる未来しか思い浮かばないが?』
「怒られるのは嫌だな。よし、アカツキさんと話して解決法を探そう」
まずはアカツキを落ち着かせる方法を考えなくては。
「……お腹が空いていると悲観的になっちゃうよね。美味しいものを食べてお腹を満たそう」
『我は肉を食いたい』
「ブランはいつもそれだよね」
ぽろぽろと涙を零すアカツキを抱き上げてアルは調理場に向かった。アカツキの獣姿はブランと同じくらいだから抱き上げるのも楽なのだが、これの中身が成人男性だと考えるとちょっと微妙な気分になる。
「うぅ、男に抱き上げられるの、嫌だぁ。せめて、せめて、素晴らしきお胸の美しい女性を」
「せめての要求が高すぎない?」
半眼になったアルは獣をソファに放り投げた。まだその体に慣れていないようでソファから転げ落ちてしまい、床に敷かれた毛皮の上でピクピクと呻いていたが気にしないことにする。冗談を言えたくらいだから、精神的にも持ち直してきているのだろう。後はアカツキ好みの料理で十分回復できるはずだ。
――――――
前話の親子丼、以前作っていましたね……指摘されて気づきました。ありがとうございます。
近いうちに書き直します!
更新の間が空いてしまってすみません。色々考えを練り直していたら時間が……。次は早めの更新を目指します……!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます