第103話 安住の地
柔らかな日差しが降り注ぐ森の中。アルはゆっくり深呼吸をした。澄んだ空気が肺を満たし、まだ残っていた眠気が拭い去られていく。
『日差しが心地よいな』
「そうだねぇ。今日はのんびりしたいところだけど……」
『アカツキのあの様子では、さっさと作業に取り組まねば、また会った時に暴走しているかもしれんぞ』
「そうなんだよね……」
アルに会いたいがためにアカツキがやらかしたことを思い出して苦笑する。あそこまで追い込まれた精神状態だったとは思わなかった。
『抜いた木の根の場所はそのままだな』
「いい具合に開けた空間になっているね」
縄張りを確認するように歩くブランの後について行きながら、アルはこれから建てる拠点の構造を確認した。
アカツキの元を辞してドラグーン公国傍の魔の森に帰ってきたのだが、木の根を抜いたまま観察対象としていた場所は、アルの思っていた通り雑草だけが生える状態になっていた。これなら上に建物を建てても問題はないだろう。
『作業と言っても、アカツキが便利道具とやらを寄こしたのだろう?』
「うん。すぐに住居を作れるんだって」
これから居住地となる敷地を一通り見て回ったブランが満足そうに座り、首を傾げながらアルを見上げてくる。その頭を撫でてから、アルは地面に置いたバッグの口に手を突っ込み、目当ての物を掴んで少し離れたところに放るイメージで取り出した。取り出したものが日差しできらりと輝く。
『うーむ、これが柱か。丈夫そうだな』
「そうだね。強度はあるけど作業時には軽い。仕上げに魔力を通すと重くなって安定するんだって」
『不思議なもんだな』
首を傾げるブランを見ながらアルも内心で同意する。アルが取り出したのは一見すると鋼鉄製の棒だ。到底一人で持ち上げられないように見えるのだが、魔力を通さない状態では片手で持てる物質でできているらしい。アルがこれから拠点を建てるのだと言うのを聞いたアカツキが満面の笑みで差し出してきた物だ。当然ダンジョンの不思議能力で作製されたものであり、アルはあまりに常識外れな物を見て絶句してしまった。
定められた順番で棒同士を繋いでいき仕上げに魔力を通すとその状態で強度と重量が増し、非常に安定した骨組みになる。これに外壁を付け内装を整えたら快適な居住空間が出来上がるという、この世界の大工泣かせの代物だ。一日で出来上がる家なんて技術破壊も甚だしい。
外壁用に用意されたのはドラゴンの火炎にさえ負けないと誇らしげに言われた物だ。見た限りでは木の板を何枚も張り付けた一般的な壁に見える。しかし、実際はアルにもよく分からない材質でできているようだ。
内装用に用意された物もそれまでの物に準じるように理解の範疇外の代物だった。未知の物を観察して知識として得ることが好きなアルをしても、よく分からないなと思考を投げ出した。
「これらが普及して戦争とか開拓に使われだしたら、世界中が戦火になるかもねぇ」
アカツキから貰ったものを取り出し終えて、その性能を思い出しながらそう呟いてしまったのも無理はないだろう。戦争や開拓を行う上で大きな問題点となるのは、人の生活拠点を築くことの難しさだ。魔物が蔓延るこの世界で安全な住居を造るというのは非常に労力がいる。アカツキが提供してくれた物はそうした問題を一挙に解決してしまうだろう。
『そういうものか? どうせアカツキにこれを広めるつもりはないだろうから、受け取ったアルが気を付けさえすれば問題なかろう』
「……そうだね」
アルの考えは魔物であるブランにはあまり理解できるものではなかったようだ。楽ができるのだからいいじゃないかと言いたげな口調のブランに苦笑しつつアルは頷いた。
「さて、さっさと建ててアカツキさんが来られるように場所を整えないとね」
『うむ』
大儀そうに頷いたブランが何故か柔らかな草の上に敷物を敷いて寛ごうとするので、その首元を掴んで持ち上げた。きょとんと丸まった目とアルのジト目が見つめ合う。脱力した体を揺さぶりながら、アルは笑顔を作った。
「なんで寝ようとしているの? ブランもするんだよ。ほら、さっさと大きくなって。その体じゃ流石に大きな物を持ち上げられないからね」
『なっ⁉ 我も働くのか⁉』
「そうだよ。むしろ、なんで働かずにいられると思ったの?」
何故か大きな衝撃を受けたように目と口を開いて固まったブランを地面に投げる。くるりと体勢を整えて地面に下り立ったブランが二本足で立ち上がり、積まれた建材をビシッと指さした。
『我にあのような物を運ばせる気か⁉』
「あれくらい、ブランならどうってことないでしょ? ほら、さっさと作業を始めるよ。もし協力しないなら、ブランの過ごす場所は家の外にするからね。……番犬代わりにその方がいいかも?」
『我は! 犬っころなんぞではない!』
遺憾の意! と叫ぶブランの声を背後に聞きながらアルは建材を手にした。非常に軽い。よく分からない物質であるが、大工や作業員を工面できないアルにとってはとても有難いものだ。アカツキと一緒に間取りや設計を考えているので作業もしやすい。今日一日で大体の作業を終えられるかもしれないな、とアルは完成を楽しみにしながら作業に取り掛かった。
「ところで、遺憾の意なんて言葉をよく知っていたね」
『……アカツキが前に叫んでいた』
「それ、どんな状況だったの?」
渋々ながらも大きな姿に変化して建材に近づくブランを見ながら首を傾げる。アルは聞いた覚えがないから、そんな言葉をアカツキが発する状況が全く思い浮かばなかった。
『スライムどもに向かって叫んでいたぞ』
「ますます意味が分からないんだけど?」
頭の上に疑問符を浮かべるアルを横目で見たブランがフンッと鼻で笑う。非常に機嫌が悪い様子だ。
『アカツキに聞けばよかろう』
「えー、今知りたいんだよ」
アルの不満を無視したまま建材をくわえて運んでいく後ろ姿を見て苦笑する。これは機嫌を回復させるのに手間取るかもしれない。
「……今日の夕ご飯は美味しいものを作らないとな」
ちゃんと働いた対価に甘味でも用意すれば多少は機嫌も回復するだろう。そう思いながらアルも本格的に作業を始めたのだが、ふと首を傾げた。
「ブランも作業をするのってやっぱり当然のことじゃない? それでどうして不機嫌になるのさ」
ご機嫌取りをする必要性に疑問を感じてしまった。それでも機嫌が悪いままのブランと過ごすのは気まずいし、どうにかしないといけないだろう。
「……僕が食べたいものを作るだけ。頑張った自分へのご褒美で、ブランの分はついでに用意するだけ。うん、そういうことにしよう」
なんとか心と折り合いをつけて頷く。
『おーい、何をブツブツ呟いているんだ。さっさと持ってこい』
「……やっぱり、理不尽に思わざるを得ない」
偉そうに指示してくるブランにアルは思い切りのしかめっ面で呟いた。
建物の骨格を造り、壁を張る作業は夕暮れまで続いた。空は茜色に染まり、森には闇が忍び寄っている。
「おおー、思っていた以上に上手くできたねぇ」
『そうだな。頑丈そうだし、中も快適そうだ。隙間風がないのがいいな』
初めは不機嫌そうだったブランも、出来上がった物に満足そうだ。尻尾をご機嫌に振りながら、建物の周りを駆けて観察し、玄関口から中を覗いて嬉しそうに頷いている。
アルも一通り確認して、達成感で顔を綻ばせた。作業は思っていたより重労働だったが、出来上がりを見ればその疲労も吹き飛んでしまう。旅続きでテントや宿で暮らしてきたが、自分たちが造り上げたちゃんとした家というのは、思っていた以上に嬉しいものだった。
思い返してみれば、アルは家に自分の居場所を感じたことがなかった。貴族時代の屋敷はアルにとって居心地が悪いだけの場所であったし、ノース国の拠点は落ち着くが長居する場所ではなかった。アカツキの部屋もまた、自分の場所ではなく間借りしていただけに過ぎない。
「……中はまだ殺風景だけど、これからたくさん好きなもので飾っていきたいな」
家に入り部屋を見渡す。
「ここが、僕の家なんだ……」
『我を忘れるなよ』
「そうだね、僕たちの家だ」
不思議な感慨のまま呟けば、ブランが拗ねたように呟く。笑いながら頷けば、しょうがない奴めとため息をつかれてしまった。
肩に跳び乗ってくるブランの頭を撫でながら、アルは初めて地に足のついた心地を味わう。根無し草のように漂うばかりだったこれまでとは違い、アルは漸く安住の地を得ることができたのだ。
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更新遅れがちですみませんm(__)m
書籍版PRの仕方がよく分からない~……
なので!
小話を近況ノートに載せます!
お楽しみいたければ幸いです。
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