第98話 突如現れる混沌
森には朝から温かな日差しが降り注いでいた。久しぶりの小屋で睡眠をとったアルは、外に出て深呼吸をする。澄んだ空気が体を浄化していくように感じられて気持ちがいいので、アルはこれを日課にしていた。どこかから鳥のさえずりが聞こえるくらいで静かな時間。
『いい天気だな! 飯のために一狩りしてこようか?』
「……肉は十分あるからいらないよ」
のんびりとした時間はブランによってあっさりと壊された。肉を食べるためなら普段と違って積極的に動こうとするブランだが、アルは朝から血の滴る獲物は見たくない。軽く提案を退けて、白く小さな頭を乱雑に撫でる。
『何をする⁉ 我の毛並みが乱れるではないか!』
「ちょうどいいところにブランの頭があったから撫でたくなって」
『撫でるならもっと丁寧に撫でろ!』
ブツブツと文句を言いながら毛並みを整え始めるブランを放って、アルは朝の準備を始めた。暫くしたらきっとご飯の催促をされるので、その前に準備を終えておきたい。
「ブラン、ご飯食べたら僕はドラグーン公国の様子を見てくるから、ここでお留守番お願いね」
『うむ。木がにょきにょき生えてきていないか確認するのだな』
「……うん」
ブランが真面目な顔でにょきにょきと口にしたので、少し面白い。アルは笑いを堪えながら作業を続けた。
転移魔法を使ってドラグーン公国まで行ってみたが、木を抜いた場所には変化がないようだった。設置してある魔道具の状態も一応確認しておいたが、問題なく作動していた。この仮拠点の周囲に冒険者が立ち寄った様子もない。
「さて、今日はアカツキさんのところに行くから早く戻らないとな」
一通り周囲を見て回ったところで、再び転移魔法で戻る。食後のうたた寝をしていたブランが薄目を開けてアルを見て、欠伸をしながら起き上がった。ぶるりと体を振ると、白い毛が舞う。
「……ブラン、また毛が抜ける時期?」
『む? そうだな。そろそろか』
ブランが後ろ足でガシガシと頭をかくと再び毛が抜ける。アルはブランの体を捕まえて、バッグから専用のブラシを取り出した。
「外でブラッシングするよ~」
『おお、頼む』
体を洗われるのを嫌うブランだが、アルにブラッシングされるのは気に入っているようで、尻尾を振って喜んでいた。そのたびに舞い落ちる毛を見て、アルは小屋の掃除を決意する。見ているだけで鼻がムズムズしてくしゃみがでそうだ。
外に置いた椅子に座って、丁寧にブラシをかける。驚くくらい毛が取れていった。
「……いっぱい取れたねぇ」
『うむ、軽いぞ!』
梳かした毛並みは光を浴びて白く輝き、一回り小さくなったように見える体は身軽そうだ。ブランは機嫌良さそうにジャンプしたり尻尾で空間を薙いだりと軽くなった感覚を確かめているようだ。
「おお、狐君は朝から元気だな?」
バッグを持ったレイが木々の合間から歩いてきた。今日は一緒にアカツキのところに行こうと約束していたのだ。レイはダンジョンというものに興味を示していたし、アカツキを紹介するのにちょうどいい機会だと思って。
アカツキもアル以外に知人ができた方が嬉しいだろう。レイはアカツキを無理やり利用しようとするような人間でもないし。知人が増えれば送られてくる手紙の量が減るんじゃないかという希望も無きにしも非ず。
「レイさん、おはようございます。ブランはブラッシングをして軽くなったのが嬉しいみたいですよ」
「確かにスリムになったな。あのまん丸さは毛のせいだったのか。てっきりアルの旨い飯の食い過ぎかと思っていたぞ」
「……ブランは基本的にたくさんご飯を食べたところで太らないんですよね」
「へぇ? 魔物っていうのは不思議な生態をしているんだなぁ」
レイが興味深そうにブランを観察するのを横目に見て苦笑する。まさかブランのこの姿が変化によるものだとは思いもしないだろう。レイのことは信頼しているし、アルとしてはブランが聖魔狐だということを教えてもいいだろうと思っているのだが、ブランにその気がなさそうなので口を噤んでいる。
ブランはアルのことを気に入っていて傍にいるが、元々はあまり人を好まず馴れ合わない性格だ。レイのことは多少気に入っているのだろうが、深く関わるつもりはまだなさそうである。
『ふん、視線がうるさいぞ』
「ブラン、そろそろアカツキさんのところに行くよ」
『分かっておる』
レイをじろりと睨んだブランがヒョイッとアルの肩に跳び乗って、ゆらりと尻尾を巻きつけてきた。頬に毛が触れてくすぐったいが、ほのかな体温が心地いい。微笑まし気に見てくるレイに手を伸ばして手首を掴んだ。
「分かっているとは思いますけど、転移魔法を使いますね」
「……あっさり言うよなぁ。俺としては、歩いて行ってダンジョンの位置を把握したかったんだけどな」
「後で地図を使って大体の場所を教えますよ」
「……まあ、長いことカントの町を空けることはできねぇから、すぐ目的地に着くのはありがたくもある。だが、転移っつうのは珍しいもんだ。権力者たちが目の色変えて捕まえに来てもおかしくない。情報を明かす相手はちゃんと選ぶんだぞ?」
「選んだ結果がレイさんですから大丈夫です」
「……そうかよ」
真面目な顔で忠告をしてくるレイにアルも真面目に頷いて返すと、レイは照れくさそうにしながら視線を逸らした。
『……さりげなく念押ししたな。こいつは人の信頼を裏切れる人間ではあるまい。命を懸けても情報は漏らさん
ブランが愉快そうに呟く。アルにブランが言うような意図がなかったとは言えない。レイのことを信頼しているのは本当だから口にしたのだが、信頼という言葉でレイに制約をかけたのは間違いない。
「……では、いきます」
ブランの言葉には何も返さず、アルは転移の印を目指して魔法を発動させた。瞬く間に目の前には洞窟の入り口が現れる。
「あ、やっぱり、結界の魔道具の魔石がほとんどなくなっている」
『ここにはあまり多くは備え付けていなかったからな。むしろよくもった方ではないか?』
「そうだねぇ。ここのはどうしようかな。ダンジョン内に転移の印は残してあるし、いらないかも?」
『うむ。なくても問題はあるまい』
「じゃあ回収しておこう」
一瞬で変わった視界に唖然として立ち尽くしているレイの手首を離し、アルは魔道具を回収していった。作業が終わったところでレイの前に立ち、パチンと両手を合わせる。なかなかいい音が響いて、レイがハッと身動ぎした。
「……転移ってこんな一瞬なのか」
「そうですね。なかなか便利です」
「便利って言葉で片づけていい魔法じゃねぇんだけどなぁ」
少し呆れたように呟きながら、レイが周囲を見渡す。バッグから地図と魔道具らしきものを取り出して何かを確認していた。
「この周辺には今のところ魔物はいませんけど、……それは何ですか?」
「ん? 位置探知の魔道具だ。どういう仕組みかは知らねぇから聞くなよ?」
「魔法陣が見えないようにされていますね。解体したい……」
「ばっかやろう! これ高いんだぞ⁉ 絶対やめろ!」
アルがじぃっと魔道具を見つめていると、危機感を覚えたのかさっと隠されてしまった。レイの手元の地図には印がついていて、アルが把握しているこの場所の位置と相違はなさそうだ。つまりあの魔道具は一瞬で現在地を割り出せる機能があるということ。どういう仕組みなのか考えてみるも、よく分からない。解体して魔法陣を調べたい。
『魔道具馬鹿め。用が済んだならさっさと行くぞ』
「馬鹿じゃないよ。ただどんな仕組みか分からないと知りたくなるだけ」
『それを魔道具馬鹿というんだ』
「馬鹿っていう方が馬鹿なんだよ」
『どういう理屈だ?』
「狐君が何言っているか分かんねぇけど、すげぇ程度の低いやり取りをしているってことはよく分かる」
レイにまで呆れられてしまって居心地が悪いので、さっさとダンジョン内へと進むことにした。微かに笑っているレイとともに洞窟に入ると、眩い光で視界が白く染まる。
「うおっ、なんだ⁉」
「大丈夫です」
一瞬で光が収まった後には、洞窟の入り口が壁で閉ざされていた。アルにとっては二度目のことなので、慌てているレイを宥めて先に進む。
「気軽に来ちまったけど、これどうやって出るんだよ。まさか最奥部まで行かないと出れねぇとか言わねぇよな?」
「大丈夫です」
「それを言うのは二度目なんだが? 説明しろ?」
周囲への警戒感を強めているレイをのほほんと見守っていたら、強めの笑顔で怒られてしまった。ちょっとダンジョン探索のドキドキ感を楽しませてあげようと思っただけなのに、そんな怒らなくてもいいと思うのだけど。
『アルは思いやりが傍迷惑になるタイプだな。なるほど』
「待って、ブラン、変な理解をしないで」
「説明しろ?」
状況が混沌としてきた。間違った納得をしているブランを両手で掴んで揺さぶりつつ、笑顔で説明を求めてくるレイに何と返そうかと考える。
「アルさぁぁぁん‼ なんで手紙返してくれないの⁉ でも来てくれてありがとうございますぅ! 待ちわびていたんですよ! さあ、向こうに行っておしゃべりしましょう! 今日の昼ご飯は唐揚げがいいですね! 新鮮な鶏肉を用意しておきました! なんか知らない人いますけど、アルさんのお友達かな? それなら大歓迎! さあ行きましょう!」
「誰だ⁉」
洞窟の奥から駆けてきたアカツキがにこにこと笑ってアルの手を引っ張ってくる。
見知らぬ人間を警戒して剣の柄に手を伸ばし、アカツキを睨んでいるレイ。それを見て「ヒェッ、アルさんのお友達なのに超怖いんですけど!」とアルの後ろに隠れようとするアカツキ。『唐揚げか! あれは旨かったな!』と言ってご機嫌そうに尻尾を振るブラン。いつの間にか寄ってきて、アルの足元でぴょんぴょんと跳ねて再会を喜んでいる様子のスライムたち。スライムを見て目を見開いて固まるレイ。唐揚げの歌を歌いだすブラン。
「誰がこの混沌とした状況を回収するの? ……僕しかいないね。みんな一回落ち着かない?」
アルはなんだかとても疲れて、大きなため息が零れてしまった。
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