第50話 幻想の楽園

 ――洞窟を抜けた先には楽園があった。


 アルの脳裏に浮かんだのはその言葉だった。まるで物語の始まりのような言葉だが、今アルの前に広がる景色に相応しいものだと思う。


 長い階段を下った先には、日差しが差し込む空間があり、人一人分の隙間から外を窺うと、陽光が降り注ぐ中に色鮮やかな花々が咲き誇る花畑が広がっていた。その花々の上では蝶や小鳥が飛び交い、また白く輝くものが浮遊していた。

 まるで絵画の中の楽園のようである。


「なんか、一気に浮世離れした風景だね」

『――あれは、妖精ではないか?』

「妖精? おとぎ話の?」

『おとぎ話だと? 妖精は現実に存在しているぞ。精霊の下位の存在だ』

「……え、本当に?」


 アルは妖精とは物語の中にしかいないものだと思っていた。精霊もしかりである。しかし、ブランの言い方では、どちらもこの世界に存在していると断言されている。そんな存在がいるとは全く思っていなかった。妖精や精霊を見たことがあるなんて話は聞いたことがなかったからだ。


「あ、この剣の精霊銀って、本当に精霊が棲んでいるところの森でとれるの?」

『そうだぞ。なんだ、その剣を見つけた時は、そんなこと気にしていなかっただろう』

「いや、だって、精霊が棲んでそうなくらい綺麗な森でとれる銀なのかな、ってくらいにしか思ってなくて」

『ふむ。確かに綺麗な森だとは聞いたことがあるな』


 ふと思い出したことをブランに聞いてみると、当たり前のように肯定された。ブランにとっては当然の事実であったようだ。


「じゃあ、あれ、本当に妖精なの?」


 花々の上をのんびり漂う白い発光体。こぶし1つ分ほどの大きさが、ブランが鼻先で示した妖精と言われるものであった。


『ここからでは光にしか見えんが、近づけば姿が分かると思うぞ。あれらは昔はどの森にもいたが、この頃はとんと見なくなったな』

「へぇ」


 なんとなく感心しながら、外の様子を観察し続けた。ここから見る限り1面花畑が続き、遠くの方に草花で覆われた岩山らしきものが見える。魔物などの存在は確認できなかった。


「――とりあえず、出てみるか」

『妖精は何かを攻撃する存在じゃない。警戒せんくても大丈夫だろう』

「そうなんだね」


 ブランの言葉に頷いて、花畑へと足を踏み入れた。


『あらぁ~、お客様よ』

『ほんとだわ、どれくらいぶりかしら』

『可愛らしい獣もいるわ』

『こっちにおいでなさいよ』


 途端に四方八方から声が掛けられる。声というより、ブランが使う思念に近いだろうが、結構姦しい感じだ。

 声を掛けてきたのは、遠目では光の玉に見えていた者たちだった。近づくと、蝶のような羽をもつ小人の姿だと分かる。誰もが興味津々にアルに近づいてきて、にっこりおっとり微笑みかけてきた。


「こんにちは、妖精さん」

『あら、ちゃんと私たちの言葉が分かるのね』

『私たちが見えているのね』

『この獣撫でてもいいかしら』

『フワフワしているわよ』


 絶えず声を掛けてくるが、会話にはなっていない気がする。思わず苦笑するアルの肩で、ブランが不機嫌そうに唸った。


『忘れていた。こ奴らはうるさいのだ』

「おしゃべり好きな感じだね」


 アルがブランの頭を撫でて宥めると、ブランは妖精の声を聞かないためか、耳を両手で押さえていた。妖精たちの声は思念だから、耳を押さえたところで防げないと思うのだが、気分の問題なのだろう。


『あら~、あなた私たちに似ているわね』

『本当ねぇ、とても似ているわ』

『魔力かしら、存在かしら』


 突然不思議なことを言われて、アルは首を傾げた。


「僕があなたたちに似ているんですか?」

『ふふ。不思議ねぇ、あなた人間なのに』

『人間よねぇ。どうしてこんなに近く感じるのかしら』

『そうだわ。久しぶりのお客様をちゃんともてなさなくちゃ』

『そうね!』


 アルの疑問が解決しないまま、妖精たちはふわりとどこかへ去っていった。


「何だったんだろう」

『気にするな』

「ブランは何か知っているの?」

『――知らん』


 何か誤魔化された気がした。だが、尋ねたところで答えてくれなさそうなので、ブランの頬をムニムニと揉んでみる。


『やめんか』

「ブランって、頬っぺたも気持ちいいよね」

『知らん。放せ』


 嫌そうにするブランを解放して、のんびり花畑を散策した。綺麗な花々が季節に関係なく咲き誇っている。観賞用の花々が多いが、ところどころに糖蜜花なども見えた。


「さて、あの岩山を目指したらいいんだよね」

『だろうな』


 花畑の向こうに見える岩山へとのんびり進んだ。

 

『あら、どこへ行くの?』

『私たち、おもてなしの準備をしたのよ』

『こっちにいらっしゃいな』


 再び妖精から声を掛けられたのは、花畑を半ばまで進んだ頃だった。妖精が手招きしてアルたちを誘っている。妖精のもてなしってなんだろうと思いながらついて行くと、花畑の中に花びらがこれでもかと散らされた空間があった。直径1mほどの空間だ。


『ここよ』

『綺麗でしょう』

『癒されるのよ』

『回復するのよ』

『お座りなさいな』


 うふふ、と笑い囁くような声に導かれるようにして、アルはその花びらが敷かれた空間の中央に立っていた。妖精たちに言われるがまま、そっと花びらの上に座る。

 ふわっと空間が歪んだように見えた。体が浮き上がるような、不思議な高揚感とともに、体に魔力が満ち溢れる感覚がある。


『あら、魔力を消費していたのね』

『怪我はなかったのね』

『体力は十分だったのね』

『じゃあ、魔力の回復だけね』

『ふふ、あなたとても魔力の保持量が多いわ』

『まるで――』


 歌うような妖精の声に、アルの意識がぼおっと遠のく。


「妖精の、贈り物――」


 昔、誰かにそんなことを聞いたことがある気がした。優しくおっとりとした話し方で。


『アル』

「――え、あ、ブラン、おはよう?」

『寝ていたのか?』


 呆れたようなブランの声でふっと意識が覚醒した感覚がする。まるで白昼夢を見ていたようだった。


『魔力全快よ』

『いっぱいね』

『溢れそうなくらいよ』


 ふふ、という微笑みがアルを取り巻いている。

 妖精たちが言う通り、今のアルにはこれまで以上の魔力が満ちていた。おそらく魔力保持量の上限まで魔力がある気がする。これは抑えるのが大変になりそうだと苦笑したが、妖精たちの好意には素直に感謝した。


「過分なおもてなしをありがとうございます」

『ふふ、いいのよ』

『お客様だもの』

『私たちの役割だもの』


 妖精たちはアルの周りをのんびり漂いながら、楽しそうに微笑んでいた。


「何か、お返しを――」


 何がいいかと考えた時に、ふと頭に浮かんだのは幼い頃に母に読み聞かされた絵本のことだった。母が母国から持ってきたその絵本には、確か妖精が出てきたはずだ。文字も読めない幼い頃、母が読み聞かせてくれた絵本の内容はどんなものだったか。記憶の中の優しくおっとりとした声を探った。


「――ミルクとクッキーはどうですか?」

『あら!嬉しいわ』

『ミルク好きよ』

『蜂蜜を入れるのよ』

『クッキーはミルクに浸すのよ』


 楽し気な妖精たちに微笑みながら、アイテムバッグからミルクと蜂蜜、クッキーと小さめな鍋を取り出した。


「あ、ここでは火をおこせないな」


 花びらの散る上で火をおこすのはあまりにも無粋だろう。


『あら、私が鍋を温めてあげるわ』


 妖精がそう言った途端に、ミルクが入った鍋がじんわりと温められていった。アルは驚きながらもミルクに蜂蜜を入れ、ゆっくりかき混ぜる。


「器はどうしますか?」

『お皿に入れて頂戴』


 妖精の指示に従って、皿にミルクを注いだ。その横に作り置きのクッキーを添える。


『ふふ、ありがとう』

『美味しいわ』

『甘いわね』

『幸せの味よ』


 クッキーを手に取って、ミルクに浸しながら食べる妖精たちをのんびり眺めた。クッキーは妖精たちの体の半分ほどもあるのに、妖精たちはとても器用にクッキーを割って食べていた。


『旨そうだな!』

「ブランはダメ」


 ミルク皿に突撃しようとする食いしん坊の首根っこを掴んで、懐に抱きしめる。拘束したともいえる。

 そんなアルとブランの様子を、妖精たちはあらあらと微笑み眺めながら、クッキーとミルクを味わっていた。

 

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