第9話 食い意地のはった狐
「あー、無駄に時間使ったな」
『うむ。今度からはさっさと離れるべきだな』
「そうだね」
暗くなりつつある森を奥へと歩く。アルにとっては森にいる方が心安らかなのだ。
『どこで野営するのだ?我は腹が減ったぞ』
「もうちょっと奥かな。この辺だと、ばったり人に出会っちゃいそう」
『夜に森に入るのはそういないと思うがな』
「うーん……あっ」
『なんだ?』
淡いピンクの花が咲き誇る開けた場所に出てきた。この森にこんなところがあるとは知らなかった。凡そ10m四方の草原がピンク色に染まっている。
「これ、植えてるものかな」
『森で栽培をするものがいるものか』
「じゃあ天然のものか」
アルがニヤリと笑う。ブランはそれを見て首を傾げていた。この花がどういうものか知らないらしい。
「これ、糖蜜花っていう植物でね。煮詰めると華やかな香りの水飴になるんだよ」
『なに、水飴とはあののびる甘味か?!早く採取するのだ!』
「分かってるよ」
パシパシ叩いて催促されて、苦笑しながら魔力を駆使して花びらを採取した。魔力を動かすのは攻撃には不向きだが、対象を傷つけないので作業には最適なのだ。
「じゃあ、もう少し進んでから野営にしよう」
『早く行くぞ!』
糖蜜花を採取し終わり改めて歩を進めた。
「今日の晩ご飯は黒猛牛の煮込みにするからちょっと待ってね」
『なに?我は炙り焼きでいいぞ』
「ダメ。違う食べ方もしたいの」
テントをたてて調理を開始すると、周りをチョロチョロとブランが動き回った。よほど腹が減ったらしい。
まず鍋に糖蜜花を入れて水を加える。それを弱火で火にかけた。これはとりあえず放置でいい。
次に違う大きな鍋に厚めに切った黒猛牛をどんどんと入れて水を追加し強火で煮る。大きく切った芋とニンジンも一緒に煮た。沸騰したところで灰汁をとって、アイテムバッグから取り出したデミグラスソースを入れる。蓋をして後は加圧して煮込む。この鍋はアルが作った魔道具で加圧式時短鍋なのだ。加圧することで短時間で味が食材に染みる。
『旨い匂いがするぞ』
「もうちょっとだからね」
待ちきれない様子のブランを撫でつつ、糖蜜花の鍋をかき混ぜた。既に花の固体がなくなり、淡いピンクの透明な液体になっている。これを煮詰めることで糖蜜花の水飴が完成するのだ。
「よし、仕上げに……」
加熱が終わった鍋をあけると、黒猛牛のブラウンシチューが出来上がり。ここに隠し味として糖蜜花の水飴を少し入れると深みのある甘味が加わる。
「いいできだね」
『食うぞ!』
既に皿の前に座ってブンブンと尻尾を振るブランを見て笑ってしまう。気持ちは分かるのでからかうことはせず、皿にたっぷり肉の入ったシチューをいれた。
自分の分には焼いたガーリックバゲットを添える。
『なんだこれは!旨いぞ!』
「美味しいね。さすが黒猛牛、ソースの味に負けない旨味がある」
アルがゆっくりと味わっている間、ブランは口周りを茶色に染めながらガツガツと食べ進める。いつもより勢いがあるので、よほど気に入ったようだ。
『おかわりだ!』
「はいはい」
皿に追加のシチューを入れてやると再びシチューに熱中する。ブランがおかわりを催促する前に鍋をバッグにしまった。残りは明日の昼ご飯にするのだ。
糖蜜花の水飴もたくさんできたのでバッグにしまおうと考えたが、その前にちょっと考えて全粒粉ビスケットを取り出した。
ビスケットにクリームチーズをのせ、その上から水飴をかける。
「……うまぁ」
『なんだそれは!我にも寄越せ!』
1口食べた瞬間に糖蜜花の華やかな香りが口に広がり、その後優しい甘味とクリームチーズの仄かな酸味がやってくる。たいして手間をかけていないのに、極上のスイーツのようだった。
シチューを食べ終えたブランにも分けると、食べた瞬間に目を見張って固まった。衝撃的な旨さだったようだ。すぐに我に返り、味わいながら食べ尽くす。
『旨かった。もっとくれてもいいんだぞ?』
「だーめ。これは限りがあるんだから、大事に食べよう?糖蜜花の種を採取しておいたから、落ち着くところを見つけたら栽培しよう」
『食べ放題だな!』
「いや、そんなには無理だと思うけど」
目を輝かせるブランに苦笑して、頭を撫でた。食べ足りなさそうにするブランに、昼間に採取していたアプルの実を渡す。
『……これも旨いのだが、さっきの衝撃の後だとな』
「……確かに」
アプルの爽やかな甘味は口をスッキリと潤して興奮を鎮めてくれた。
翌日は日が昇る前に出発する。前日が全然進めなかったからだ。急ぐ旅ではないが、追手がかかる可能性を考えるとあまり同じ場所に留まりたくない。せめてこの国を出られたら心情的にゆっくりできるのだが。国境までは急いでもまだ半日はかかる。
『今日は何を食う?』
「また?あまり大きな魔物は解体に時間がかかるから嫌だな」
『何を言うのだ。でかいからこそ食い応えがあるのだぞ!』
「……はぁ。魔物ねぇ」
森の様子を探ってみると、あちらこちらに存在を感じる。だが、アルを避けるように動いているため、魔物に偶然出会うことはなさそうだ。
『魔力の放出を抑えろ。肉が逃げてしまうではないか』
「ブラン、別に魔物を狩らなくても食料は用意してるよ?」
『むぅ。肉はたくさんあるのか』
「……まあ、ブランが馬鹿食いしなければ」
『ならん!ならんぞ!我はしっかり肉を食いたい!』
「えー。僕は早くこの国出たいんだよ?」
『この森を暫く行ったら旨い猪がでるぞ』
「……猪?」
ちょっと興味がある。それを感じ取ったのか、ブランはニヤリと笑った。
『うむ。体は鮮やかな赤でな。火の魔法を使う。肉は適度な脂の甘味と肉肉しい赤身の味わいが絶品なのだ。探しにいかんか』
「……気になる。それって
『魔石には詳しくないが、そうだろうな。毛皮は耐寒耐熱の防具になるらしいぞ』
「……ほしい」
アルが向かっているのは北にある魔の森である。気温が低く冬は零下になることもあるとか。北にある小国は1年の半分は雪に覆われているという。
一応防寒着は用意しているが、少し心もとないと思っていたところだった。
『では探すぞ』
「はーい」
魔力の放出を抑えると、途端に魔物が活発に動き出す気配がする。だが、突然消えた気配に警戒しているのか近づいてくる様子はない。
ブランも火焔猪の生息域はもう少し先だと行っていたので、少し急ぎ目に向かうことにする。
「ブラン、ちゃんと掴まっててね」
『言われんでも分かってる』
ブランの魔力がピタリとアルに寄り添う。ブランは魔力を補助にして、安定的に肩にのっているのだ。
足下に風の魔力を集めて木々の合間を縫うように走る。ビュンッと景色が変わっていくのは見ていて楽しい。一瞬で周囲に視線を向け、走る経路を判断し、脚に力を込める。それを繰り返すと、火の魔力が濃厚に漂う場所を見つけた。
「ここが火焔猪の生息域かな?」
『うむ』
森のなかに忽然と岩場が広がっていた。所々で煙が出ている。
魔物の気配がそこかしこにした。まだアルの存在は気づかれていないようだ。
「火焔猪って群れでいるのか」
『全部狩るか』
「やだよ。解体できないでしょ」
『まるごとそのバッグに入れればよいではないか』
「このバッグ、容量が決まってるんだよ?そんなに入らないから」
『意外と役に立たないな、そのバッグ』
「これでも、作るの苦労してるんだよ?」
ブランの言葉にちょっと傷ついたので、今後もっと容量が入るバッグを作ることを決意した。だが、肉用のバッグを用意する方が簡単かもしれない。
『仕方がない。我が1体連れてきてやろう』
ブランが地面におりてビュンッと消えた。走っただけだろうが、速すぎて消えたように見えたのだ。
「いつもこれぐらいやる気があればいいのに。……いや、魔物狩りばかりさせられても面倒だな」
残されたアルはブランが呼んでくる火焔猪を待ち受けるため、木上に跳び上がった。
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