最終回 天使の卒業
あれから月日が流れた。
今日はいよいよ卒業式。俺と霞は最後の制服に袖を通す。
「早くしないと遅刻するわよ」
「わかってるって」
「もう、春から大学に行くのにそんなんで大丈夫なの?」
「高校よりはゆったりだって綴さんが言ってただろ」
「ちゃんと勉強して自分で教室経営したいってのにそんな呑気なことじゃやっていけないわよ」
俺と霞は同じ大学に合格した。
春からは綴さんの後輩になる。
多分俺たちは部活やサークルには入らない。
俺は柳原さんのサッカー教室で働きながら、将来的な独立を目指すと決めた。
霞はというと、コンビニの店長が春から出店予定のカフェでオープニングスタッフを頼まれたので、そこで飲食業について学んで将来は彼女も店を持ちたいという夢を持った。
ちなみに綴さんと店長は付き合うことになったのだけど、綴さんの親に反対されていて困っているとか。
経営者というのは夢がある一方でリスクも大きい仕事だからというのは建前で、実際はアルバイトの大学生に手を出した店長さんを気に入らないんだとかなんとか。
柳原さんと清水先生については、二人とも何も言っては来ない。
でも、時々先生が放課後に慌てて学校を出る姿を目撃したり、柳原さんも以前より携帯を気にする時が増えたように思えるので、なんだかんだ順調なのだろう。
それに先生と霞は、週に一度くらい二人で食事に行っている。
同じ父親を持ち、その父親に同じく悩んだ者同士として、本当の姉妹になろうと歩み寄っているのかもしれない。
先生と出かけたあとの霞はいつも上機嫌。
あんなことやこんなことを話したんだと、得意げに話す姿を見て俺もいつも心が穏やかになる。
前の学校の連中とは、時々駅や店で会うのだけど、みんな晴れやかな表情をしている。
まだ天使様と続いてるのかと、みんなが羨ましそうに聞いてくるのがちょっと嬉しくて、仲の良さをつい自慢してしまったりする。
東一家についての情報は何もないが、東のことだけは時々耳にする。
事件の後遺症で足が動かなくなったそうだが、車いすバスケやテニスなど、障害者スポーツに挑戦し、パラリンピックを目指すんだと、地元紙にインタビューされていたのを偶然発見したのだ。
そして彼のコメントで「取り返しのつかないことはある。でも、そのほとんどが自分自身の行いが招いた結果。だから受け入れて、反省の意味を込めてスポーツで贖罪したい」という内容が。
そんな彼には頑張ってほしいと、心からそう願う。
「あーあ、もう高校生も終わりなんて早かったわね」
学校に向かう途中で、霞が空を見上げる。
「でも、大学の方が楽しいだろ。俺は早く行ってみたいな」
「そうね。お酒も飲めるし」
「二十歳まではダメだよ。あと、煙草ももう吸うなよ」
「わかってるって。うん……遊馬が言うならしない」
「まあでも、二人で酒飲むとかはいいかもな。楽しそう」
「うん。私、barとかいってみたい」
これまでのことを振り返ってばかりの俺たちが、こんなに未来の話をできるようになったなんて、霞と出会った当時の俺からすれば信じられないだろう。
過去は変えられない。でも、未来はどうにだってなる。
でもそれは、俺たちの行い次第では悪くなる可能性だってあるわけで。
だから後悔のないように、毎日を必死で生きていく。彼女と共に。
「あっ、お母さんたちが来てるよ」
霞が指さす先にはうちの両親が。
俺のことなんて気にも留めず、霞の方へ駆け寄った母さんは嬉しそうに涙していた。
「よかったね霞ちゃん。うん、大学でも頑張ってね」
「お、おかあさん……ありがとうございます」
「遊馬、あんたちゃんと働きなさいよ。あと、大学で浮気したら退学させるからね」
「わかってるって……」
ちなみに生活費は全て俺たち二人で稼ぐことにして、学費も奨学金という形で賄うことにした。
もっとも霞は、家族がいないから援助を受けられて当然だったけど、俺も親に頼るのはやめようと決めて、敢えてそういう形をとった。
別に親に甘えるのがかっこ悪いとかは思わない。
頼れるときに頼るのも生きていくうえで大切なことだし、してもらったことをいつか次の世代に返せばいいと思っている。
でも、そういうわけにもいかないのだ。
「遊馬、あんた結婚するんだからちゃんとしなさいよ」
「母さん声が大きいって。学校だぞ」
「いいでしょおめでたい話なんだから。来月は式場見に行くんでしょ」
「まあ、そうだけど」
そう。俺と霞は結婚する。
子供なんてもちろんまだだけど、高校を卒業してからすぐに籍を入れる予定だ。
どうしてそんなに焦るのかと、親にも反対こそされずとも指摘は受けた。
でも俺は、どうしても霞と本当の家族になりたかった。
それに……。
「でも、天使なんて素敵な苗字がありきたりなものになっちゃうわね」
「いえ、私は工藤君と同じ名前になれて幸せですよ」
天使様が、本当の意味で天使ではなくなる。
天使という呼び方も随分したから、なじみ深いものでもあるけれど、あの父親と同じ苗字を名乗らせておくのがおれはずっと嫌だった。
だから同じ工藤の姓を名乗ってほしいと、先日プロポーズをしたところ彼女から「それなら早速入籍しなきゃね」と快く返事をもらったのだ。
学生とはいえ一家の大黒柱になるわけで、そうなればやはり親のすねをかじるようなマネはできない。
しっかり勉強と仕事と、あと家庭も両立させるという覚悟を持って決断したことだから、自分たちの力で頑張っていこうと決めている。
「二人とも、そこの桜の下で写真撮りましょ」
母さんに言われて、俺と霞は正門前の桜の木の下に並ぶ。
「遊馬。もっと笑ってよ」
「苦手なんだよ写真って」
「もう、記念なんだからちゃんとしなさいよ」
「わかったよ」
この時二人で撮った写真を後から見たら、霞の見たこともないような笑顔が満開に咲き誇っていたのに対し、俺は相変わらず不愛想な顔をしていた。
でも、心の中では誰にも負けないくらい笑っていたのを俺は知っている。
幸せな瞬間をおさめたその写真を見ていると、綴さんたちが駆け付けてくれた。
「二人とも、卒業おめでとー」
「ありがとうございます。綴さん、どうしてスーツなんか」
「今日は天使ちゃんの保護者代理だよ。店長は置いてきたけどね」
綴さんはすぐにうちの両親に挨拶をしながら、また霞と話し出す。
この人にも本当に世話になった。だからいつか恩返しをしないと、だな。
「工藤君、卒業おめでとう」
「え、柳原さん?どうして」
「霧江に言われてね。様子を見に来たんだよ」
柳原さんも来てくれた。
彼もまた、うちの親に丁寧にあいさつをしてくれて、母さんはそれはそれは恐縮して頭を下げていた。
「なんかみんな集まっちゃいましたね」
「二人の卒業だから、みんな見守りたいんだよ」
「見守るか……まだ、俺たちは子供なんですかね」
「はは、そうだよ。でも、みんなそうだった。僕たちの時に比べたら二人はずっと大人だけど、でも、必ず壁が来る。それを乗り越えていって本当に大人になるんだ」
「そうですね、頑張ります」
「でも、結婚は先を越されたなあ。僕もさっさとプロポーズを……おっと、この話は霧江には内緒だからね」
はははっと笑う柳原さんは、そんなことよりみんなで写真を撮ろうと言い出した。
近くにいた保護者の人にお願いして、うちの家族に柳原さんと綴さん、それに霞と一緒に写真を撮る。
「行きますよ。はい、チーズ」
この時の俺の顔は、自分でも見たことがないくらい笑っていた。
それを見て霞が「なんで私といたらひきつるのよ」と怒っていたけど、こうしてみんなで写真におさまることが、心底嬉しかったのだろう。
やがて卒業式が始まるからと、体育館へ召集がかかる。
「じゃあ行ってきます」
みんなと別れて、二人で生徒の列に向かう。
「全然悲しくないな」
「うん。みんなも晴れ晴れしてる」
「……これからもよろしくな、霞」
「なによ改まって」
「いいだろ。俺はお前が好きなんだから」
「バカ。私の方が好きです」
「俺の方が好きだよ」
「じゃあ私がもっと好きになる。頑張ろうね、遊馬」
思い描いていた通りに人生は進まない。
生きていて辛いことの方が多いというのは多分本当だろう。
だけど、一瞬の幸せや大切な人とのかけがえのないひと時は、どんな辛さにも勝るものがあると俺は知っている。
隠す気もなく手を繋ぎ、俺は大切な人と前に進む。
これから、新しい日々が始まるけど多分苦難の連続だろう。
大人になろうとする俺たちに大人たちの壁が立ちはだかるだろう。
でも、大丈夫だ。
俺には守るべき人がいて、俺を守ってくれる人がいる。
だから。
俺はこの先ずっと、霞と手を取って生きていく。
隣にいる、俺だけの
おしまい。
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