第33話 堕天使の彼氏さん

 ラーメンを食べて、二人でコンビニに寄る頃には辺りは薄暗くなっていた。


「いらっしゃい。あ、二人ともこの前はどーもだね!」


 綴さんのいるコンビニは相変わらず暇そうだ。

 

「いえ、こちらこそ」

「今日も二人でデート?仲良いね!」

「そ、そんなんじゃないですって」


 なぁ天使、と同意を求めたが何故か天使は俺を無視した。


 そして無言でコンビニスイーツを買い漁り、俺に奢れと言ってくる。


「こんなに食えないだろ」

「食べる。早く買って」

「……わかったよ」


 太るぞ、と付け加えてやりたかったがやめた。

 今日くらいは甘やかしてやってもいいじゃないかと、勝手に俺はそう決めていた。


「仲良しさんだねほんと。なんで付き合わないの?」

「やめてください。ほんと近所のよしみですから」

「ふーん。でも、素直にならないとダメだよ恋愛は」

「……悩んだら相談しますよ」


 綴さんは、会計を済ませた俺にだけ聞こえるように「頑張って」と言ってきた。


 頑張る、とは一体何をどうすることなんだ。

 俺が、天使に何かしろというのか?


 ……いや、なぜそもそも俺があいつの為に頑張りたいという前提で話が進んでいるんだ。

 あほらしい。頑張ることなんて、ないって。

 

 そんなことを考えていると


「ねぇ」


 と隣で天使が呼びかけてくる。


「なんだ」

「あの人、綴さんだっけ?……やっぱり好きなの?」

「なんでお前がそんなこと訊くんだ。大学生に影響されたか?」

「別に。向こうはあんたのこと好きそうだから一応」

「綴さんが?」


 年の差、というほど離れてはいないが向こうは大学生でこっちは高校生。

 そんな大人と子供という立場の違いがあってか綴さんを真剣にそんな目で見たこともなかったし見られていると意識したことはもっとなかった。


 しいて言えば憧れのお姉さん。

 まぁ、俺が大学生になって彼女が大学の先輩であれば、もしかしたら好きになったかもしれないが実際今の状況でそこまで思っているつもりはないのだが。


「綴さんから何か言ってきたのか?」

「違う。女の勘よ」

「なんだ、じゃあ信用ならんな」

「私の勘は当たるのよ」

「向こうが告白して来たら認めてやるよ」

 

 まぁそんなことは絶対にないけどな、と言うと天使はまた「ふーん」と口をとがらせていた。


 アパートにつくと今日は天使も大人しく自分の部屋に帰っていった。


 俺もシャワーを浴びてからベッドに寝転がると、今日の天使の泣き顔をなぜかこのタイミングで思い出した。


 強がろうとして、でも悲しくて仕方なくて、でも押しつぶされまいと踏ん張ろうとして。

 結果顔がぐしゃぐしゃだったな。


 それに、今まで声にできなかった叫びを一気に解放したような。そんな声を出して泣いていた。


 辛いよな。

 今まで自分が積み上げてきたものが一瞬でパーになるんだ。

 しかも、もう元通りにはならないと、多分自分だけがその感覚を知っている。


 ……明日もあいつには少し優しくしてやろうか。


 結局この日、天使は部屋に来なかった。

 疲れてそのまま寝たのだろうか。


 俺もやることがなく、早めに灯りを消した。



 翌朝、登校時間になっても天使が一向に気配を見せないので少し不安になって扉を叩いた。すると


「風邪、引いた……」


 とドアの向こうから声が聞こえてきた。

 声がガラガラだ。顔を見なければ誰かもわからないレベルに。


「おい、大丈夫なのか?」

「うん、今日は寝てるから……」


 天使の声はそこで途絶えた。


 俺は心配になりながらも一度学校へ向かう。

 あまり俺と天使が揃って休んだりするのはまたいらぬ憶測を振りまくだけだと思い、一人で教室に入った。


 すると


「お、堕天使ちゃんの彼氏じゃんか」


 と下品な声が俺の方に向けられる。


 見るとそこには筒井。

 サッカー部の新しいエースにして東のいなくなった今は学年のジャイアン的存在でもある。


「……」

「おい、無視かよ。堕天使様の彼氏さん」



 だからなんだよそのニックネームは。

 堕天使とはうまいこといったなと思うがその後が気に入らない。

 彼氏?ああ、本当にそうだった方が楽だよクソが。


「なんの用だよ」

「俺さ、天使様のこと気に入ってたんだよな。だからさ、お前みたいなクズとつるんだせいでああなったのが許せねえんだわ」


 筒井は。そう言って俺ににらみを利かす。

 ただ言いたいことはある。可愛い顔してるから迫力ねえんだよバーカ。


「で、殴れば気が済むのか?」

「いや、そんなことして俺の方が堕天使パンチ喰らったら嫌だしな」


 堕天使パンチとはまたうまいこと言ったもんだ。

 そう、あのパンチのせいであいつは失墜したんだからまさにあれが堕天使パンチといえよう。


 ……って感心している場合じゃないか。


「じゃあ何すればいい?」

「サッカー。勝負しろや」

「サッカー?」


 筒井は得意げに言うと取り巻きも一緒になって笑う。

 

「ああ、お前すごかったんだって?俺さ、推薦組じゃないから春休みも練習行ってないんだよ。だからさ、天才のプレーってやつを現役生のために見せてくれよな」


 と言いながら、こいつの視線は俺の左ひざにある。

 怪我の事はさすがに知っているようだ。


「……メリットがない」

「俺が勝ったらお前と堕天使ちゃんには今後一切何も言わないよ」

「負けたら?」

「その時はあの子、一日俺らに貸せや」


 実に汚い笑みで筒井は言った。

 しかし、そもそも俺にそんな権限はない。


 俺はあいつの何者でもないのだから。


 結局イエスともノーとも言わぬうちにチャイムが鳴った。

 そして今日も何事もなかったかのように、天使の休みになど誰も触れることなく授業が進んでいく。


 昼休み。

 また筒井が俺を探しているのがわかった。

 それと同時に天使が心配になった俺は、早退を決めた。


 心境は様々だ。 

 あまり筒井と話したくないという逃げたい自分もいたし、天使が心配で早く帰りたいと思う弱気な俺もいた。


 真昼間に一人で下校し、水を買ってから天使の部屋に行くと声を枯らした使が出てきた。


「あれ、学校は?」

「早退だ。水、買ってきてやったぞ」

「……あがりなよ。もう、体調落ち着いたから」


 俺は天使の部屋に入ると、今日筒井に言われたことを話した。

 実際、サッカーをあの学校でやるということに抵抗がありながらも、どうしたらいいか迷っていた。


「というわけで、景品はお前なんだって。断るしかないだろ」

「ていうかその堕天使様ってのが気に入らないわ。何それうっざ」

「それはいいだろ。それよりも」

「やりなさいよ」

「へ?」


 少しかすれた声で、しかしその大きな目は俺をしっかりとらえている。


「サッカー。あんたの唯一の特技なんでしょ?ぎゃふんと言わせてやれば?」

「いや、でも今はブランクもあるしそれに負けたら」

「一回だけ」

「は?」

「一回だけ、あんたの事信じてあげる。負けたら負けたであいつらボコボコにすればいいし」

「なんだそれ……どうなっても知らないからな」

「信じてる」


 最後の言葉が重かった。


 信じてる。そんなことを真面目な顔で言われて奮起しなけりゃ男じゃない。


 俺は、筒井との勝負を受けることをこうして決意した。


 そして翌日。

 体調不良から復帰した天使と一緒に登校すると、またしても筒井が寄ってくる。


「お、今日は一緒か。どうだ、考えてくれたか?」

「ああ、やるよ」

「いいねいいね。じゃあ今日の放課後、頼むぜ」


 俺は気が焦っていたのかもしれない。

 勝負の内容も条件も何も聞かずに、ただバカみたいな勝負を受けて立ってしまったのだから。


 ただ、何の心配もなさげに俺の隣で静かに笑っている天使を見て、そんな野暮なことは言えなかった。


 少しだけ。ほんの少しだけ俺もかっこいいところを見せてやりたい。


 そんなことを思っている俺のことなど見透かしてか、天使は


「無理すんなよ」


 と隣でぽそり。


 思わず彼女を見ると目が合って、そしてお互いに笑ってしまった。


 その後の学校は静かで、放課後に控える大勝負を前に誰も何も言っては来なかった。


 そして放課後。


 大勢のギャラリーが既にグラウンドに集まっている中で俺はジャージに着替えてその中に飛び込んでいく。

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