第34話 私の理想を叶える世界
「なんか、完成してないっぽいな」
ゲーム感覚で洞窟の中を歩いているタナカは、まったく一定の間隔で掘られていない洞窟を歩いてそんなことを呟いた。それはそのはずで、この洞窟を掘ったのがゴブリンたちだからである。少し柔らかい土の壁だったところを最初は素手で掘って簡易的な巣を作っていたのが、だんだんゴブリンの数が増え、奥に伸び、横に枝分かれし、そのうちに黒き山の内部の空洞にたどり着いただけなのだ。内部の空洞は鍾乳洞だったので、そこに住み着いていた魔物たちとゴブリンは当然争い、それなりに住みわけができていた。ときおり水場で争いがおきたり狩りがなされたりしたようだが、それさえもごく自然の行いなのである。
「雑魚しかいないな」
「低い階層ですし、魔王も生まれたばかりですから」
そんな言い訳をミリアはしてみたが、緑色した肌のゴブリンが時折視界に出てくるので、悲鳴を押し殺すのに必死だった。さすがに野生の本能なのか、タナカの姿を見て素早く逃げていく。
「壁を登るのか?」
「まさか、わたくしには無理ですわ」
タナカが上を目指していることに驚いたミリアは、何とかしてそれを阻止しようと考える。とにかくタナカに何か魔物を倒させなくてはならない。
「今何か動きましたわ」
おそらくゴブリンだろうけれど、ミリアはわざとらしく岩場を指さした。
「ゴブリンじゃないのか?」
そう言いつつもタナカは剣を構えてミリアの指さした方に進んでいく。ゴブリンじゃなくても、こんなところにいる生き物が友好的なわけはなく、大きなトカゲのような生き物が襲い掛かってきた。とっさにタナカは剣で薙ぎ払ったものの、爪がタナカの皮膚に傷をつけ、わずかながら血が飛び散った。
「キャッ」
血なんて見慣れていないミリアは女性らしく悲鳴を上げたが、その飛び散った血がおかしな動きをしてミリアにまっすぐ向かってきたことに驚いただけだった。そのあまりにも不思議すぎる現象に、ミリアは思わず言葉を失った。
「大丈夫か?こいつは魔物じゃなさそうだけど。すごい牙だな」
切り倒した大きなトカゲを見ながらタナカがミリアを心配そうに見てきた。その頬にはうっすらと血がにじんでいる。
「わたくしは大丈夫です。タナカ様の頬に傷が」
右手を差し出し、タナカの傷を癒そうとしたミリアの指に、タナカの頬の傷から血が向かってきた。そして吸い込まれるようにミリアの指輪に消えていったのだ。
(え?なに?)
近すぎて、タナカには見えなかったのだろう。傷が消えて痛みがなくなったタナカがミリアに礼を言う。それを笑顔で答えながら、ミリアは今見た現象を必死で考えた。
(この指輪は教皇様から借りた指輪で、人々の祈りが魔力になって届くって言ってたのよね?)
タナカが進める道を探しているので、ミリアは光魔法であたりを照らす。慣れない明かりに恐怖したのか、ゴブリンたちはすっかり姿を隠してしまったらしい。進めそうな道、特に登れそうな箇所がないかタナカは探しているようだ。
(さっきタナカの血が指輪に吸い込まれて、すごい魔力を得たわ)
ミリアは指輪にそっと触れてみる。複雑な形は祈りを捧げる指の形だという。
(教皇様は普段この指輪をはめている)
ミリアはゆっくりと考えた。見た目は完全に老人の教皇だが、走ることもあるし、活舌もずいぶんと良い。考えも早く、思考能力もずいぶんと速い。この指輪から魔力が体に流れ込んできているのは紛れもない事実である。そのおかげで召喚の魔方陣を描くだけの魔力をミリアは得たのだから。
「何してるんだ?」
先ほどタナカが倒した大きなトカゲの横で膝をつくミリアに、タナカが不思議そうに声をかけた。
「アンデット化しないように祈りを捧げたのです」
ミリアはそう返事をしたが、たった今仮説が仮説ではなくなったところだった。間違いなく教皇から借りた指輪は魔力を、いやエネルギーを集める指輪だった。オオトカゲを倒した切り口に指輪を近づけると、その血が見る間に指輪に吸い取られたのだ。そして、ミリアの体に魔力が取り込まれたのだ。
(原理はわからないけれど。この指輪は魔力回復装置。この世界は魔力がないと生きていけない。つまり教皇は信仰心を魔力にして自分の体に取り込んでいたんだわ。だからよぼよぼのおじいちゃんなのにあんなに元気なのね)
魔物ではないオオトカゲだったので、その血から取り込めた魔力は大したことではなかったが、確証を得てミリアは決断を下した。
「タナカさま。本当に魔王を倒したら元の世界にお帰りになるのですか?」
ミリアははかなげな顔をしてタナカに尋ねた。
「ああ、だって俺、あっちに彼女いるし、大学行ってやりたい仕事があるんだよね」
それは何回もタナカが言ってきたことだった。彼女がいる。大学に行きたい。あっちに帰る。前世でおひとり様だったと記憶しているミリアからしたら、それだけでリア充爆発しろだった。
「わたくしを置いていかないでください」
ミリアはタナカに駆け寄り、後ろからしがみついた。
「え?なんだよ」
こんなところで突然の告白なんてことをされて、タナカは焦った。
「わたくしには、魅力がありませんか?」
抱き着いたままミリアに聞かれ、背中に形の良い胸のふくらみを押し付けられれば、気持ちが揺らぐものだと思ったのだが、タナカはミリアの意図をきれいさっぱり無視をした。
「俺の好みじゃないんだよね。露出狂みたいな服装センスマジで無理」
ここまできっぱりとお断わりをされて、ミリアの中で何かがぷっつりと切れた。
「攻略はできなかった。ってことね。じゃあもういいわ。わたくしの糧になりなさい」
その途端、タナカの胸に激痛が走った。
「がぁあ」
ミリアの手のひらが、タナカの胸に押し当てられているだけなのだが、タナカの体から瞬く間に力が抜けて行く。
「すごいわ。なんて魔力」
ミリアは歓喜した。
信者たちの祈りとは比べ物にならないほどの魔力がミリアの体に流れ込んできたのだ。聖女になるべく修行をしてきたミリアは、他者とは比べ物にならないほどの魔力の器を持っていた。
「すごい。魔力が全身に満ち溢れているのがわかるわ。なんて素晴らしいのかしら」
全身にかつてないほどの魔力を感じ取ったミリアは、タナカから手を放し、内向きにしていた指輪を直した。
「あら?異世界人でも魔力がなくなると死んでしまうものなのね」
ミリアは足元で動かなくなったタナカを何の感情も抱かずただ見つめた。召喚した時は攻略対象として申し分のない男だと思っていたが、どんなに手を尽くしても自分になびかないタナカを今は憎らしく感じていた。だから、最後の賭けに出てみたのだが、結果は惨敗。タナカはミリアのことなどこれっぽちも興味がなく、それどころか元の世界で彼女が待っている。とまで言い出したのだ。だから、タナカの魔力を奪い、自分の美貌の糧にしたのだが、結果としてタナカは死んでしまったようだ。動かなくなったタナカを見ても、ミリアは何の感情も起きなかった。言うなれば、攻略対象と結ばれず、バッドエンドを迎えてしまった。そんな気分だ。
「初めてだから仕方がないわよね」
そう言い残してミリアはタナカを残して歩き出した。そして、鍾乳洞の水場で自分の姿を確認する。
「すごい。なんて美しさなの」
それからミリアは自分の服に汚れを付けて、一人で馬車へと戻った。
「魔王を倒したあと、勇者タナカ様は元の世界におかえりになりました」
教皇に蒼報告をし、タナカから奪い取った剣を何食わぬ顔で返却をした。
「教皇様、この指輪のおかげで無事魔王を倒すことができましたわ」
「うむ。すさまじい光が見えた。アレが魔王を討伐した証拠なのだな」
「はい。勇者タナカ様がこの剣を魔王に突き立てましたら、魔王の体から光があふれだし消滅いたしました次第です。その後勇者タナカ様はご自身の魔力で元の世界にご帰還されました」
すらすらと帰りの馬車の中で考えた筋書きを語るミリア。誰も疑うものなどいない。指輪が手元に帰ってきた教皇は満足そうな笑みを浮かべていた。
それから数か月後、最後の時を迎えた教皇は、聖女ミリアの胸に同じ指輪があることを見たのだった。
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