第153話 できると信じて始めてみよう
9時45分をまわり、有田さんが
「おはようございまーす!」
と入ってきた。
「おはようございまーす」
とみんな返す。おー、今日もかわいいカッコしてんな、有田さん。淡いピンクのロングスカートが有田さんっぽい。いつも女の子らしい、フワフワした印象の服を着てる。
「入谷くん、まかない食べて上がっていいよー」
「はーい」
カウンター奥の端の席で、店長特製丼をかき込む。今日も美味い! たまに今日みたいなイヤな客もいるし最近は忙しくて大変だけど、このメシ食うためにがんばれるわ。
ほっこりしながらガッツく俺を店長がほほえましげに見てる。ほんと、人が食ってるの見るの好きだな、店長。
「最近忙しいから、厨房ひとりで大変じゃないっすか、店長」
「そうなんだよねえ。作り置きで対応できるメニュー増やしたりはしてるけど、最近は待たせちゃうことも増えてきてるよね」
晩メシ時の7時台から9時台が特に忙しい。料理が美味いもんだから居酒屋なのに酒飲まないで食べるだけの客も増えて来た。これくらいの時間からは食うより飲むメインの客が増えるからまだマシだ。
「厨房もバイト雇わないんすか」
「それが悩みどころなんだよ。厨房バイトで募集かけると料理に自信のある人が応募してくることが多いと思うんだよね。無意識に料理のクセが出るだろうから、僕の出したい味じゃなくなっちゃいそうで」
「未経験歓迎! とか書いてもそうなるんかな」
「未経験でも、応募するからには多少なりとも料理に興味あるだろうからねえ。センスがいい人ほど自分好みにやりたくなるだろうから、やっぱり僕の味じゃなくなっちゃうよね」
「料理のセンスのない人がいいんすね。難しい募集っすね」
センスねー。叶は間違いなくないな。叶が料理したらなぜか顔までギットギトだったぞ。
「店長、やっぱり料理センスない人間に厨房バイトは無謀っすよ」
「心当たりがあるの? 入谷くん」
「戦力になり得ないほどにセンスのない人間なら」
「言われたことは素直にできる子?」
「素直にしようとはするだろうけどできるかどうかは別のお話って感じの子です」
「顔は?」
やっぱり顔気になるんかい。
「信じらんねーくらい美人っす」
「ああ、テスト勉強しに来てた子? バイト探してないかなあ」
「そうっす。ここでバイトしたいって言ってました」
「え?!」
店長が珍しくびっくりしている。
「あの子うちでバイトしたいって?!」
「言ってたけど、マジで戦力になりませんよ」
彼氏の俺が言うのも何だけど、これマジだから。
「いや、本当にうちでいいなら連れて来てよ。でも、あの子センスないの? 何でもできちゃいそうだよね、あの子」
「本人ができるって信じてますからね。何もできねーのに」
困ったもんだよ、まったく。
「へえ、いい子じゃない。できるって信じなきゃできることもできないよ」
そう言われると……叶の長所と言っていいのかな?
「店長! 入谷くん! 天音ちゃん、赤ちゃん生まれたって! 元気な女の子だって!」
と階段を駆け下りながら有田さんが言う。
「え?! 今日?!」
「今日! ついさっきメッセージが届いたの!」
有田さんがスマホを店長に向け、俺に向ける。その中には、なんかケースに入れられて眠る赤ちゃんの画像があった。
心臓が大きくドクッとした。この子の父親は日野さんだけど、生物的には俺の子供かもしれない……。
でも、この画像じゃ分かんないな。顔は赤いし帽子かぶってて髪見えねえし目ぇつぶってるし大きい浴衣みたいに前を合わせた白い服ですっぽり包まれてて肌の色も分からない。情報が少なすぎる。
だけど……とても俺に似てるようには見えない。てか、天音さんにも全然似てない。本当に天音さんが産んだ子供なのか。
「無事に生まれて良かったよ。母子共に健康そうだね」
店長が安堵の笑顔をもらす。普通無事に生まれるもんなんじゃなかろーか。
本当に、あの天音さんが母親になったのか……信じられねえな。おめでとう、天音さん……。
家に帰ると、リビングで廉と亮河が並んでテレビを観ていた。
「ただいまー」
と声をかけるとふたりして「おかえりー」と返してくれる。
お、赤ちゃんだ! かわいいー。テレビには生まれたばかりらしき赤ちゃんが映っている。天音さんの赤ちゃんもあんな風に泣くんかな……。
「何観てんの?」
「乳児院のドキュメンタリーだよ」
「乳児院?」
ああ、廉が赤ちゃんの時にいたって花恋ママが嘘ついてた乳児院か。
乳児院には、様々な事情で親と暮らせない乳児が保育士や医師、看護師たちの看護を受けながら生活している。
中でも保育士は、保護者に代わって養育を行う……乳児院のドキュメンタリーってか、乳児院で働く保育士のドキュメンタリーだな。
へえ……こんな仕事もあるんだ。子供が親もとに戻れるよう、保護者のケアまでするんか。大変な仕事だな。
思わず最後まで観てしまった。もう11時なんだけど。いつまで起きてんだ、廉。
「廉、早く寝ろよ。ふたりとも、おやすみー」
「おやすみー」
廉は亮河に任せ、風呂に向かう。
ささっと風呂入って部屋に行き叶にバイトの件をメッセージ送って伝える。起きてんのかな。叶がひろしにかー。あいつにバイトなんかできんのかね。
「やりたい!」
即答だな。
「厨房だぞ、厨房。できるんか?」
「なにふさ?」
ふさじゃねえ。厨房も読めないのに即答したのか、いいかげんなヤツめ。
「ちゅうぼう」
「料理作るの?」
「そう。できねーよな」
改めて叶を思い浮かべながらいざやり取りしてみると、できる訳ねーわ。
「私にできないことなんてないわよね。料理もやればできると思うわ」
だから、できねーことだらけだろっての。どんな記憶の改ざんを施されてんだ、コイツの頭は。
でも、まあ……できると信じなきゃできないか。
「うん、お前ならできる! よし、さっそく明日一緒に行こう!」
「うん! 楽しみ!」
叶の頭で大学は考えられない、専門的に学びたいことも特にない。叶はたぶん卒業したら就職だろうから、あの優しい店長の元で働いてみるのはいいことかもしれない。社会の厳しさを肌で感じてひと回り大きくなるのじゃ、叶!
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