第116話 恋の病

 もう辺りはすっかり暗い。奥日光の路上には、今は俺と叶しかいない。車も全然通らない。


「分かっただろ。チューしなくなったんじゃない。できなくなった。すっげードキドキして、意識が飛びそうになる」


「そんなこと、あるの?」


「今、自分の手で確かめただろ」


 こんなくそダッセーことを叶に知られたくなかった。だけど、あんな悲しそうな顔をされたんじゃ、仕方ない。


 自己分析の結果、これはおそらく、トラウマだ。


 叶に触れられたり見つめられたりすると、天音さんの妊娠を知って、俺の子供かもしれない可能性に気付いた時の衝撃と異常な速さ強さの鼓動がよみがえってしまう。


 天音さんの子供が俺の子供かは分からない。天音さんは違うって言ってた。でも、可能性があるのは確かだ。


 その可能性は、叶に対しても同じくある。


 神様は平等だ。子供がほしい夫婦だから優先して授けたり、育てる力のない高校生だからやめといたり、付き合ってもない男女の間に子供できたら困るよねって忖度したりしない。平たく言やあ、やることやれば子供ができる可能性は誰にだってある。


 そりゃそうだろ、と分かってはいた。いたけど、いざ経験してみるとその衝撃は凄まじかった。


 結果、天音さんは俺のせいで苦しみ、ひとりで全てを背負って突然いなくなった。もう、連絡を取ることすら叶わない。


 叶にまでそんな思いを絶対にさせたくない。産むかおろすかの2択を叶に選択させるような事態を招きたくない。


 俺の前から、絶対いなくならないでほしい。ずっと俺のそばにいてほしい。


 なのに、悲しいことに俺はたびたび理性がぶっ壊れる。


 そこで、おそらく俺は可能性を排除するために無意識に自己防衛本能が働いて、叶に手を出せなくなったんだと思う。


 そのせいで叶に寂しい思いをさせてしまったようだけど、こうして理解を得られれば大丈夫だろう。


「ねえ、もう落ち着いてきた?」


「まあ、だいぶマシにはなった。ちょっと速いかなくらい」


 叶が俺の左胸にピットリと顔を付け、左手を添えて右手を俺の背中にはわせる。


 おい! 俺の話聞いてた?! そんなことしたら――


「ほんとだ! みるみる信じられないくらいに速くなっていく!」


「人の体で遊ぶな! 恋の病が悪化したらどうしてくれる!」


「え、でも……どうやったら治るの?」


「俺にも分かんない」


「え……じゃあ、もしかしたらもう一生……」


「縁起でもねーこと言わないでくれる?! 俺だって叶にチューしたくない訳じゃねーんだよ!」


「だけど、どうしたらいいのか分からないんじゃあ……」


 お手上げだよね。


「どうして話してくれなかったの?」


「男のくせにドキドキしてどうにもならないなんて情けないこと、女に言える訳ないだろうが。俺は統基の名の下に優しく男らしい男になるという使命を負っている!」


「お母さんが願いを込めた男らしさって、そういうことかしら。女にだって相談したって良くない?」


「内容によるよね。俺基本叶ファーストだしね」


 また道路を歩き出す。そういや、もう肝試し終わってるのかな。一応、寺見てからホテルに戻るか。


 寺へと続く階段の前まで来たら、


「ぎゃああああああ」


 と複数の声で絶叫が聞こえた。


「え? 何?」


「俺見てくるから、叶はここにいて!」


「待って! ひとりで待ってるのも怖い!」


「そっか、そうだな。ひとまず急いでホテルに戻ろう」


 話し合ってる間に、仲野と友姫がものすごい形相で階段を駆け下りてくる。


「おわ! びっくりしたー、何かあったのか?」


「出た! 出た! マジで出た! オバケ!」


「は? いよいよ脳みそ死んだか」


「マジだよ!」


 仲野だけでなく、友姫も顔面蒼白だ。え、マジで?


「やだ、怖い!」


「他のヤツらは?」


「実来と佐伯がまだ上に!」


「分かった! 俺見てくるから、友姫、叶を頼む」


「俺は?!」


「お前は叶に近付くな!」


 一段が高い大きな石でできた階段を上りきった途端、


「入谷!」


 と実来が飛びついて来た。


「はうっ! 大丈夫か? 佐伯は?」


「佐伯なんてどうでもいい! 下りて、入谷! 私もうひざがガクガクしててひとりで下りられない!」


 たしかに足を震わせながら俺の腰にしがみついている。こりゃあ、マジっぽいな。


 悪いが佐伯の安全確認は後回しにして、実来の体を支えながら大きな石段を慎重に下す。


 10段ほどの石段を無事に下りると、


「おおげさだなあ、実来ー」


 と笑いながら佐伯が石段を身軽に下りてくる。コイツだけリアクションが違うな。逆に何があったんだ。


「もうやだ! 佐伯なんて大っ嫌い!」


「えー、ひでー! もう、しゃあねーから種明かしすると、あれは充里たちが――」


「おー、どしたー? 何か大声出してなかった?」


 と、充里と曽羽が手をつないでやって来る。お前たちは任務を忘れてどこに行ってたんだ。まあ人のことは全く言えない訳だが。


「あれ? じゃあ、津田たちが――」


「あ、もしかしてこの階段の上が寺なの? 気付かなくってだいぶ行きすぎちゃってたよー」


 と、笑いながら津田、向中島、行村、吉永が連れ立ってやって来る。


「あれ? 全員いる? え、じゃあ、あの脅かし役の人は?」


「だから、オバケだって言ってんだろーが!」


「え?! マジなヤツ?!」


 全員ぎゃああああと叫びながらホテルを目指して一目散に走る。建物内に入ると、なんか安心感がある。


「あー、怖かった……」


「火事場のバカ力だな。走るの速かったじゃん、叶」


 無理そうだったら担ごうかと思いきや、必死にみんなに食らいついて走っていた。


「統基……」


 叶が俺の胸に顔をくっ付けてくる。よっぽど怖かったんだな、かわいそうに。


「うん、これくらいなら走ったから速くなってるだけね、きっと」


「は? お前まさか、実来が抱きついてたからって心拍数速くなってねえか確認した?」


「え? ううン、ソンナことはしてないわヨ?」


「ウソつけてねえんだよ」


 全く、まだ俺のこと疑ってやがるのか、コイツは。でも、ヤキモチ焼かれてるみたいでちょっとうれしかったりもする。


 疑われて気分悪いフリをする俺に、叶はごめんなさい、つい、と上目遣いに手を合わせている。あー、かわいい! そんないらん心配しなくても、俺の気持ちはずっとお前にしか向いていない。





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