シーン5-1 能力

 北栄が保健室を訪れてから三日後の夜のこと。


「……」


 優希はまた自宅の部屋の中で変身してしまっていた。

 いつものように変身してしまった両手両足を確認しつつ、優希は首を傾げる。

 今日はいつもよりも苦しまずに変身が進んだような気がするのだ。

 体が変身するようになって以来、優希は体が変わっていくのを自分の意志で止められた覚えはない。勿論、その逆も然りである。いつだって、体は勝手に変わっていき勝手に解けていく。そしてどちらにせよ体が変わっていく感覚には苦痛が伴い、優希を苛んできたのだ。

 ところが今日の変身に優希は苦痛をあまり感じなかった。体が変わっていくことへの違和感こそ無くならないが、苦しさや痛みはほとんど感じられない。それどころか、体が完全に変身し終えた時には開放感を覚えたほどだ。


(……レジステアのせいかな……? いずみ先生はいつもとは出所が違うから注意してくれ、って言っていたけど……)


 変身後に声を発することが出来ない優希は心の中でそう思う。レジステアは優希がこうなってしまった際に体の変異を食い止めてくれた貴重な存在だった。いずみの話によるとまだ一般には出回っておらず、手に入りにくい薬らしい。

 実際、いずみもレジステアの入手には手を焼いているようで、今回もそれまで一週間分用意できていたものが五日分しか用意できなかったという。詳しい事情は分からないが、それまでと入手元も違うらしい。


「……一応、これはお前に渡すが気を付けろ。飲んでみて少しでも違和感があるようならば必ず私に言うんだぞ」


 レジステアを受け取る際、いずみはいつにも増して真剣な表情で優希に伝え、優希も事情は分からなかったが素直に了解した。

 優希はいずみの言葉をもう一度頭の中で反芻する。もしかして、いずみは優希がこうなることを予期していたのであろうか、と。

 だが、優希は静かに首を振る。今更いずみを疑ったところでどうにもならないと思ったのだ。


(とにかく、明日はいずみ先生としっかり話をしてみよう……)


 ぐちゃぐちゃになりかけた考えを一つにまとめた優希は、いつものようにベランダから地面へと静かに飛び降り、外へと繰り出した。


 変身した優希の体は常に溢れるばかりの活力がみなぎっていて、家の中にとどまることを許さず外に出ることを要求した。

 当初は懸命にその欲求に抵抗していた優希だったが、いずみから「下手に我慢しているからエネルギーが過充電して変身が解けないのでは」という推測を聞かされて、仕方なく外に出るようになったのである。

 だが、当初はそれでも変身した姿で出歩くことにはためらいがあった。もし誰に見られでもしたらどうなるのかと考えたのだ。

 しかし、その心配は杞憂だった。変身した後の優希は感覚が鋭敏になっているようで、遠く離れた場所にいる人間の気配を感じ取ることができるのである。それも相手が男か女か、大人か子供か、何人でいるかに至るまで正確に。

 その感覚を生かして、人が来なさそうな道ばかりを選び優希は歩くようになった。仮に人が来たら即座にいない方へと駆け出し、四方から来そうな場合はマンホールでもこじ開けて身を隠すつもりでいた。

 幸い、夜になると八束市はほとんど人通りが無くなる。優希の住んでいる場所は住宅地で車通りも多くはない。きちんと歩く道を選べば目撃される危険性はほとんどなかった。

 だから、この夜も優希は異形の姿で堂々と夜の街を歩いている。


 初夏を過ぎて本格的な夏を迎えようかという時期を迎え、どことなく熱気を帯びた風が夜の街を駆け抜けていく。

 優希は歩きながら徐々にリラックスしていく自分を感じていた。体にたぎっている活力はまだまだ行動を要求しているが、それももうしばらくしたら収まりそうである。


(そろそろ戻った方がいいかな……変身が解けはじめたら面倒だし)


 優希が変身後に得る能力は原則として変身前の姿に戻ると使えない。また、自然経過で変身が解け始めるとそれに応じて能力は鈍っていく。

 変身後の夜の外出は基本的に能力頼みなので、それが使えなくなってしまうと帰宅が困難になる。まだ変身の限界が見極められない頃、体の衝動に任せてうっかり遠出をしてしまい、帰宅する遥か前に変身が解けて大変な目に遭ったこともある。

 それ以来、優希は常に変身後の自分の体に気を配るようになり、少しでも感覚が鈍ったり活力が落ちたと思ったら、すぐに帰宅するように注意していた。

 この日はまだまだ動けそうではあったが、優希は帰宅することを選ぶ。今いる場所は自宅からそれなりに離れており、仮に途中で変身が解けだすと帰宅するうえで少々困ったことになる。

 だが、そんな優希の考えを吹き飛ばすかのように、突然女性の悲鳴が聞こえてきた。


「いやぁ、助けてえ!」

「!」


 優希はその声に思わず周囲を見回した後、立ち止まって感覚を研ぎ澄ます。


(どこから……? ここから二つ先の曲がり角を右にいったあたり……この感覚は……まずい!)


 悲鳴の出どころだと思われる辺りから感じられる異様な気配に、優希はリラックスしていた全身の神経を一気に引き締め、黄色い目を一瞬強く光らせると、勢いよく駆けだした。

 道を駆け、邪魔な車や塀を飛び越えてすぐに悲鳴がした場所へと辿り着く。

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