第9話 ロミオとジュリエット

 文化祭の日がやってきた。

 アリスの影は女装させられた。中世風の白いドレスを着せられ、顔に化粧をされた。すごく嫌だった。女顔がコンプレックスなのに、それをことさら強調され、これからみんなの前で女の演技をしなければならない。心が折れそうだった。

「すげー似合うな。おまえが男なんて、信じられねーよ」とイバラは言った。彼女は男装していたが、特に嫌そうではなかった。

「おれがロミオで、おまえがジュリエット。ふふっ」

 彼女は嬉しそうだった。

 陽炎はねちっこい目でアリスの影を見ていた。その視線は怖かった。今にも彼が襲いかかってくるように思えて、影は怯えた。

 影の力が落ちていくのが、アリスにははっきりと感じられた。ちょっとだけ脚を動かすことができた。影の方がその動きに引っ張られて動いた。

 影の焦りがアリスに伝わってきた。影は踏ん張ろうとがんばっていた。でも心が弱っている。劇から逃げ出したいという気持ちは消すことができない。

 ロミオとジュリエットは学校の講堂で上演されることになっていた。

 初々しい美少女ジュリエットをアリスが女装して演じ、青年ロミオをイバラが男装して演じるとあって話題性は高い。今回の文化祭で最高に期待されている出し物となっていた。当然、講堂は満席。全校生徒のみならず、外から来たお客さんもいっぱいいて、立ち見まで出ていた。

 アリスの影は客席を見て卒倒しそうになった。こんな大勢の人の前でジュリエットを演じるなんて到底ムリ。絶対ムリ。逃げ出したくなった。

 アリスもこれは大変だ、と思った。かつてやった喫茶店のメイドよりずっと難易度が高い。

 もしこれを演じ切ることができたら、アリスの影は強くなるだろうな。元の世界に帰ることはむずかしくなりそうだ。でも失敗したら・・・。

 元の世界に帰れるか帰れないか、これで決まる、と思った。

 幕が上がる直前、影はガタガタ震えていた。

「しっかりしろよ、アリス。気合い入れねーと、キスシーン、本当にしちまうぞ」とイバラがからかった。

 アリスの影は緊張して、何も答えられなかった。力が弱まり、体が重い。逆にアリスはなんだか自由に動けそうな感じになってきていた。

 劇が始まった。キャピュレット家のパーティで恋に落ちるロミオとジュリエット。イバラは難なく演じていたが、アリスの影はセリフ棒読みだった。それでも必死でやっているのだ。舞台に立っていること自体が苦行。倒れそうだった。

 女装して無様に演技している自分が注目されている。穴があったら入りたい。何もかも投げ出して帰りたい。それでもがんばった。ここで倒れたら完全に力を失い、自分はまた影に戻ってしまう、と直感でわかっていた。

 バルコニーに立ち、ジュリエットがロミオへの愛を語る有名なシーン。しどろもどろで、影は自分が何を言っているのかわからなかった。でも何とかやり切った。演劇はその先へと進んでいく。

 キスシーン。イバラが本気で嬉しそうに微笑んで、顔を近づけてくる。アリスの影は怖くなって目をつぶった。

「バーカ、そんなことすると、本当にしそうになるじゃねーか」とイバラが小さくささやいた。唇は寸前で止まり、くっつきはしなかった。可愛いジュリエットと格好いいロミオのラブシーンを見て、観客はうっとりしていた。

 影は一生懸命だった。震える脚でなんとか劇を続けた。秘かなる結婚式のシーンもやり通した。そしてクライマックス。仮死の毒を飲んで倒れるジュリエット。あとを追って服毒自殺するロミオ。仮死状態から甦り、死んだロミオに泣いてすがるアリスの影。そのときのセリフはもう棒読みではなかった。夢中で演技しているうちに、影は恐怖を克服していたのだ。ロミオのあとを追い、短剣を自らの胸に刺すジュリエット。熱演ですらあった。

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