第8話 影の国の文化祭
影の国の高校の文化祭が近づいてきた。
アリスの影のクラスでは、演劇をやることになった。演目は、ロミオとジュリエット。ジュリエットの役を誰がやるか、話し合われた。影は嫌な予感がした。アリスも同じ予感を持った。
嫌な予感は当たるものだ。
「ヒロインはアリスしかいねーだろ」とイバラが言い放った。
「このクラスで一番綺麗な顔してるからな。ジュリエットはアリスで決まりだろ」
「俺もそう思う」と陽炎も言った。
クラスの誰にも異存はなかった。ただひとり、アリスの影を除いては。
「ぼく、演劇なんてできないよ。それに、ジュリエットは女の子がやった方がいいでしょ」
「おまえが女装してやればいいんだよ。演技なんかテキトーでいい。ヒロインは外見が綺麗なやつがやればいいんだ。アリスがいい」
イバラは相変わらず強引だった。
「それとロミオだけど、おれが立候補するわ。男装して、おれがやる」
「中山にロミオはムリだ。俺がやる」と陽炎が言った。
もうアリスの影がジュリエットをやるのは、既定事項のようになっていた。影は胃が痛くなった。話し合いの焦点はロミオ役を誰がやるかに移り、投票でイバラか陽炎かどちらかに決めることになった。僅差で、イバラがやることになった。白票が一枚。アリスの影が投じた票だった。イバラは喜色満面で、陽炎は悔しそうに口を歪めていた。
アリスの影は落ち込んでいた。演劇で女装するなんて、考えただけで嫌だった。影の足取りは重かった。そのときアリスはふと、自分が少しだけ動けることに気づいた。自分の意志で微かに指が動かせた。影が弱っているんだ、とアリスは思った。
劇の練習が始まると、影の力はさらに弱まった。女のセリフをしゃべらされるのが、すごく嫌なようだった。熱烈な愛のセリフに心を込めるとか、とてもじゃないけれどムリ。キスシーンもある。本当に唇をつけることはないけれど、イバラと顔がすごく近づく。人前でこんなこと、死んでもやりたくない、と影は思った。アリスも同じ思いで、影に同情した。
文化祭前日の夜、アリスは夢を見た。元の世界の夢だった。
アリスは行方不明になっていた。いじめられて、自殺したんじゃないかとか言われていた。女装を無理強いしたりとか、クラスでいじめが起きていたと言うクラスメイトがいた。
マリモは深く自分を責めていた。彼女は毎日懸命になってアリスを捜していた。自殺したという証拠はない。死体が見つかったわけじゃない。まだどこかで生きている、とマリモは信じていた。アリスが死んでるわけがない、と彼女は泣きそうになりながら思っていた。
ここにいるよ、とアリスはマリモに語りかけた。影の国に囚われているんだ。帰りたいけど、帰れないんだよ。その声はマリモには届かなかった。彼女は悲しんでいた。その悲しみを消してあげたかったけれど、アリスにはどうすることもできなかった。そういう夢を見た。
この夢は元の世界で本当に起きていることじゃないか、とアリスは信じた。元の世界に帰りたい。影の力が弱まれば帰れるんじゃないか、と彼は思った。実際、影の心が弱っている今、ほんの少しだが動けるようになっている。
アリスの影にもそれはわかっているようだった。影は確かに弱っていたが、なんとか文化祭を乗り切ろうと必死になっていた。ここを乗り切って、もっと自分を強くし、自由に生き続けようと願っていた。
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