アカデメイア短編

カジミールの手紙

第32話 カジミールの手紙(1)


“父さん、母さん、お元気ですか? 新しくモンペリエに開いた喫茶店の方は順調でしょうか? 僕の方は……ここアカデメイアへやってきてからというもの、毎日が波乱に満ちています。とても個性的な同級生達に囲まれて、少し気後れしてしまうこともあるけれど、どうにかこうにかやっています”



 煉瓦造りの質素な部屋で、窓から差し込む朝の日差しを受けながら、一人の少年が手紙を書き綴っていた。

 彼は、ここ王立学士院アカデメイアに入学して一年目の学生、貧しい普通市民の出自で名をカジミールという。親元から離れて単身、学院寮に住んでいる。


「う~ん、これで出そうかな。いや、でも、もうちょっと何か書こうかな。それから出そう、うん。手紙を送る代金もこれで一回分、節約できるぞ」

 紙とインク代の節約もして、小さく薄い文字をびっしりと一枚の紙に書き込んでいる。思いのほか下のほうに余白が残ってしまった為、折角だから学院生活の話でも詳しく書こうと、カジミールは入学してから一年の経緯を思い返した。



 緊張の入学式。

 周りは貴族や上流階級の出身者ばかりで、上等な生地を使って仕立てられた衣装を身に纏っている。カジミールはと言えば、きちんとした正装の衣服を買う余裕などなく、継ぎ接ぎだらけの粗末な格好だ。

 陰では彼の場違いな格好を見て笑っている者もおり、一人だけ浮いているカジミールから自然と周囲の人間は距離を取っていた。


(はー……。恥ずかしいなあ。でも、仕方ないじゃないか。年に一回着る程度の正装なんて、高くて勿体無いし、とても手が出せないよ……)

 カジミールは周囲の視線を避けるようにしながら、式場となっている講堂の隅に移動した。


 途中、講堂の真ん中辺りの席に、カジミールと同じような普段着で踏ん反り返っている少女を見かけた。

(……僕と同じような平民出身の人もいるんだ……。少し、安心かな……)

 無論、言うまでもなくその平民の少女も周囲から避けられている様子だった。彼女も貴族や上流階級の人間とは関わりにくいのだろう。


(……機会があったら話しかけてみよう。友達は一人でもいた方がいいし。でも、女の子に声をかけるのはちょっと恥ずかしいなあ。気も強そうな感じだし……)

「おい、君!」

 カジミールが悶々と考え込んでいたところ、不意に後ろから何者かに肩を叩かれて飛び上がる。恐る恐る後ろを振り返ると、頬肉の薄い、やや尖った印象を受ける少年が不敵な笑みを浮かべて立っていた。


「君、なんだいその格好は? いくら平民でも、こういう場所に出るなら少しは気を使えよ。この僕でさえ、正装用の服を着てきたというのに」

 目の前の少年は整髪油で髪を撫で付け、色褪せた紺の礼服に身を固めていた。随分と使い古されている礼服なので、父親のお下がりと言ったところか。それでも、まだカジミールのみすぼらしい格好に比べたら、場に馴染んでいる。


「うん……僕もできれば正装で出たかったんだけど、そこまでの余裕がなくてね」

「貧しくても、こういう場所では見栄を張るもんだろ。そんなだと、貴族連中に舐められるぞ」

「向こうの彼女だって正装じゃないよ?」

「ふはっ! パストゥールの事か? あの女は別だ! あいつがドレス着たって似合うわけないんだから、そこまで僕も求めちゃいないさ!」

 酷い言いようだった。


「それはそうと彼女の名前、知っているんだ? 友達?」

「ああん? ああ、ベルチェスタ・パストゥール、ね。よしてくれ、ただの知り合いだよ。そういう馴れ合いは好きじゃないんだ」

「馴れ合いって……。一応、同期の学友になるわけだし。あ、紹介が遅れたね、ぼ、僕はカジミール。広くは動植物の研究、主に昆虫の研究を専門にしているんだ」


「虫の研究? ふーん、それだと僕らが関わることはあまりないかもな。僕はガロワ、専門も何も数学一本で行くつもりだからね。おっ……と、そろそろ式が始まるな、じゃ!」

「あ、僕も数学や物理には興味が……」

 何も昆虫の研究だけしているわけではない、と言いたかったのだが、ガロワは一人で人ごみを掻き分けて行ってしまった。随分と忙しない性格である。


(気後れするなあ。アカデメイアの学生が皆、あんなふうに気が強かったらどうしよう?)

 式の始まりを告げる挨拶が壇上から行われ、ぼけっと突っ立ていたカジミールも慌てて近くの長椅子に着席する。壇上に上がったアカデメイアの学院長が演説を始めていたが、カジミールの頭は果たしてここで上手くやっていけるのか、そのことだけで一杯だった。

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