第十幕

第30話 別れの門

 中央通りを抜け街の出入り口に着くと、そこは人と荷馬車でごった返していた。アカデメイアの学生らしき姿もあちらこちらに見受けられる。

 まだ春を迎えるには早い時期。遠方からグルノーブルへと来ていた学生は、それぞれの故郷へと帰っていく。それは、グレイスやアンリエルも例外ではなかった。


「それじゃあ、また。新学期に会おうね!」

「ああ、気をつけて帰るんだよ。アンリエルも。……来年も必ず、アカデメイアに来るんだよ? いいね?」

「ベルチェスタこそ。貧困に負けず、無事に新学期を迎えられるよう、パン屋の労働に勤しんでください」

「こ、この娘は~! 最後まで口の減らない……!」

「ああ~ん、もう二人とも! お別れくらい仲良く済ませようよー……」


 アンリエルとベルチェスタが頬肉を掴み合って揉めていると、グレイスの後ろに大きな馬車が一つ、けたたましい音を立てて急停車した。

「アンリエルお嬢様、お迎えにあがりましたぞ!!」

 馬車の中から出てきたのは、屈強な体格をした初老の男性だった。周囲の人間が飛び上がるほど大きな声で、アンリエルのお迎えを宣言する。ベルチェスタはアンリエルと頬肉を掴み合ったまま硬直していた。


「迎えの任を受けたのは、あなたでしたか……シルヴェストル。こんな所まで来るなど館の仕事がよほど退屈だったのですね?」

 固まったままのベルチェスタを押しのけると、アンリエルは不遜な態度でシルヴェストルを睨みつけた。だが、そんなアンリエルの態度もシルヴェストルには喜ばしいことなのか、大仰な身振りでその場に跪いた。


「何を仰いますか、お嬢様。お嬢様のお迎えを、他の者に任せることなどできませぬ。先頃の街道では盗賊も頻繁に姿を現します故、我ら竜骨隊が護衛をせずには、お父上も安心できますまい」

「竜骨隊?」

 聞き慣れない単語を疑問に思ったグレイスが呟くと、その台詞を待っていたかのように馬車から次々と武装した男達が現れた。


「おお! アンリエル様! お元気そうで何よりですぞ!」

「我ら竜骨隊が来たからには心配ご無用。道中、盗賊団を三つばかり壊滅させてきましたから帰りは安全であります」

「ささ! お早く、館へ帰還いたしましょう!」


 武装した男達はいずれもシルヴェストルと同程度か、それ以上の高齢に見えた。鎧とマントには幾つも勲章をつけている。老いたりとはいえ、皆かなりの武勲をあげてきた騎士なのだろう。

 体力も衰えてはいないらしく、重そうな甲冑を身に纏って動きながら、誰一人として疲れた様子を見せている者はいなかった。


「……では、グレイス、ベルチェスタ。しばしのお別れです。新学期に会いましょう」

 あっさりと別れの挨拶を済ませるとアンリエルは馬車に乗り込んだ。老騎士達もアンリエルを取り囲むように馬車へと乗り込み、最後に残ったシルヴェストルがグレイスとベルチェスタに豪快な笑みを向けた。


「ご学友のお二人! この一年間、アンリエルお嬢様にお付き合い頂いたこと、感謝しておりますぞ! どうか、今後も末永くよろしくお願い致しまする!!」

『……シルヴェストル。余計な事をしていると置いていきますよ』

「おお! それは困る! それでは、お二方ふたかた。御免!」

 中からアンリエルの声が聞こえ、シルヴェストルが乗り込むと同時に、馬車はゆっくりと走り出し、長く遠い街道の先へと消えていった。


「はぇー……。なんかすっごいものを見ちゃった気がする……あ。ベルチェスタ、私もそろそろ行かなくちゃ! 乗合い馬車の停留場は向こうだから! またね!」

 グレイスの別れの挨拶に、ベルチェスタは呆然としたまま手を振り続けていた。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 アンリエルが実家から来た迎えの馬車に乗り込み、長く遠い街道の先へと消えた後、ベルチェスタとも別れの挨拶を済ませると、グレイスは馬車の停留所に向かった。途中、一年を過ごしてきた街の姿を目に焼き付けておこうと考え、立ち止まって振り返る。


(……長かったようで、一年なんてあっという間だったな。この街ともお別れかぁ……)


 街の外にある乗合い馬車の停留場には、既に多くの人が順番待ちをしていた。だが、それも次々来る馬車に乗り込んでいけば、すぐに減っていってしまう。一年間を過ごしたグルノーブルの街もこれが見納めである。


(……と、来年も来るんだから……見納めってことはないんだよね)

 当たり前の事実が何だかとても嬉しい。いつの間にかグレイスは、一人で口を押さえながら笑っていた。


「里帰りかね、お嬢さん?」

 乗合い馬車の順番待ちの列とは少し外れた場所から、にやけ顔のグレイスに誰かが声をかけてきた。

 声をかけてきたのは、衣服を何重にも着込み、眼鏡をかけて口元を布でぐるぐる巻きにした、見た目では年齢不詳の怪人物。髪は短く帽子に隠れており、声がしゃがれていなければ老齢だとも判断できない。


 ――その怪人物に、グレイスは見覚えがあった。


「あ、あ――!! 入学式の時のお爺さん!?」

「ほっほぉ、儂のことを覚えていてくれたのかね? 嬉しいのお……」

 このように怪しい格好をした人物のこと、そう簡単に忘れようはずもない。この再会に驚いたグレイスは、懐かしさと共に入学時の記憶が次々と蘇り、途端に胸がいっぱいになっていった。


(……そう……アンリエルと出会ったのが、正門の掲示板前だった……。それから礼拝堂でベルチェスタに会って……エミリエンヌ、シャンポリオン、シュヴァリエとも……)

「……? どうかしたのかね?」

「な、何でもありません! ちょっと入学したばかりの頃を思い出して……」

 不覚にも潤ませてしまった目を拭い、グレイスは元気に笑ってみせた。


「うむうむ……感慨深いことも多かろう……。じゃがこの一年、よう頑張ったわ。グレイス・ド・ベルトレット……」

「――あれ? お爺さん、何で私の名前知ってるの? 入学式の日に教えたっけ?」


「なに? …………、ふぉっ、ふぉっ……なーにを言っておる。はっきりと自分で名乗っていたではないかね? ――それに、君はこの街では有名人だからの……」

 老人は街の入り口に直立不動で立つ、警備隊員の一人に手を振ってみせる。

「…………?」

 警備隊員の若い男は、怪しい人物に手を振られて眉をひそめたが、隣に立つ少女の姿を見ると表情を崩し、真っ直ぐにグレイスの方を見て会釈をする。つられてグレイスも会釈を返し、さて誰だったか、と思う。


「んー……あの人って確か……。そうだ! ネヴィア鉱山の炭坑で、アンリエルを背負って出てきた人だ……!」

 若い隊員は傍に立っていたもう一人、中年の男性隊員に話しかけ、グレイスの方を指差して何やら話をしている。すると、中年の隊員は大きな声で、

「嬢ちゃーん! もう、むちゃな山登りはするんじゃないぞぉ――!」

 グレイスに向かってそんなことを言うのだった。周りの視線が一斉に集まり、グレイスは赤面してしまった。


「あら、あの娘さん。ほら、アカデメイアの――」

「つい最近、ネヴィア鉱山で騒ぎを起こした……」

「その前は学院寮よぉ……! 隣室の男の子を爆弾で吹き飛ばしたとか……」

「まあ、あんなかわいらしい子が爆弾を作るの?」

「やだ、うちの娘と同じくらいの歳じゃない……」


 噂話の好きそうな婦人の集団がお喋りを始めると、近くにいた人にも話が広がって、乗合い馬車の停留所は異様な盛り上がりを見せ始めていた。

「うわ~ん、ひどいよお爺さ……え、あれれ! いない!」

 先程まで近くにいた謎の老人は、グレイスが知らぬ間に姿を消していた。


 ◇◆◇◆◇◆◇


「ほっ、ほっ! 危ない、危ない! 危うく正体がばれるところであった!」

 怪しい格好をした老人が、小走りに街の入り口へと駆けていく。人ごみに紛れて一息つくと、口元の布を取り払い大きく深呼吸した。

「悪趣味ですよー、男爵?」

「むほっ!」

 後ろから唐突に声をかけられて咽る男爵と呼ばれた老人。声をかけたのは、気の抜けるような柔らかな笑顔の少年――。


「何じゃ、見ておったのか? 驚かすでないぞ……フランソワ。ふむ……シュヴァリエとエミリエンヌの見送りは済ませたのかの?」

「ええ、ついさっき。一人で帰ろうとしていたシュヴァリエを、エミリエンヌが自分の馬車に引きずり込んで出発したところです」

「そうか、二人一緒ならば帰路に問題はなかろう。最近は街道沿いも物騒であるからな」


 満足そうに頷いた老人は、眼鏡と帽子を外し、代わりに立派な白銀巻き毛の鬘を被った。地味な色をした上着を脱ぐと、下は鮮やかな赤色のスーツだ。もう、誰が見ても間違えることのない、ジョゼフ・フーリエその人であった。


「では儂は、アカデメイアへ戻るとしよう。フランソワ、お主は本当に実家へ帰らないで良いのだな?」

「もう少し、アカデメイアで調べものをしてからです。終わったらちゃんと帰りますよ」


 老人と少年の二人組は街から出て行く人々を背に、再びグルノーブルの中心地、アカデメイアへと戻っていった。

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