第八幕
第26話 命運尽き果てて
真っ暗で狭い通路を奥へ奥へと進んでいた。何度も行き来した道。地図や明かりがなくとも、手探りする必要すらなく、闇の中を歩くことができる。ランプの灯りも最小限に抑え、足元を照らす程度にのみ使っていた。
調査は順調だった。あと少しで、論文としてまとめられるだけの情報が集まる。ここまで来るのにどれだけ手間をかけたことか。取りこぼしなく文献を調査し、あらゆる事態を想定して綿密な計画を立てた。
(……今度こそ、研究発表会で星を取れるだろう……いや、取らなければならない!)
前回は事故の為に十分な準備ができないまま研究発表となった。題材としては面白く高い評価も得られたが、実地調査が不足していた為にせっかくの仮説も立証するまでには至らなかった。星に届かなかったのはそれが理由だろう。
(だが今回は違う。最後の詰めさえ誤らなければ、誰も否定できない物証を得られる)
やはり理論や情報、予想や仮説だけでなく、実験の確たる結果、詰まるところ成果物が形としてあると説得力は飛躍的に強まる。
その成果物はもうすぐ、彼の手に入るはずだった。邪魔者さえ現れなければ。
◇◆◇◆◇◆◇
闇の奥から人の声と足音が反響してくる。
……もうやだー! ……追って来ないでよぉ~……。
初めは空耳かと思った。この場所に自分以外の人間がいるとは思わなかったのだ。だから不意に現れたランプの灯りに戸惑い、咄嗟に避けることができなかった。
「きゃあっ!!」「うおぉっ!?」
走りこんできた何か黒い影と交錯し、もつれ合って地面に倒れ込む。ランプが地面を転がり、自分を押し倒して組み敷いたものの正体を照らし出す。
「――あ、え!? ……な、なんで!! どうして『シュヴァリエ』がここにいるの!?」
「……お前こそ何故ここにいる……。……俺は、今期の研究テーマに関する調査で――」
脈絡もなく現れたことには驚いたが、シュヴァリエは至って冷静にグレイスの疑問に答える。だが、当の質問をしたグレイスは悠長に話をするつもりはない様子だった。
「――そうだ! 今はそんな事よりもアレが!!」
シュヴァリエの上から跳ね退いて、グレイスは自分が走ってきた方向を振り向く。
「そんな事とは失礼な。前回の地質調査で面白いことがわかったから追加の調査を……と、アレ? ……おい、アレとは何のことだ?」
グレイスの「アレ」という表現に、シュヴァリエはそこはかとなく不吉な予感を覚えた。
身体を起こしてグレイスと同じ方向、暗闇の先に目を凝らした。
闇の奥で何かが一瞬、輝いた。
「……いや待て、もうわかった。はっきり見えたぞ。アレ、か。くそ、また予定外な――」
シュヴァリエは自分の不運を呪った。またしても邪魔が入るというのか。
行く手を阻む、あらゆる障害を想定して、ここまで綿密に準備を進めてきたと言うのに。実際に起きたことは全く予期せぬ事態であった。
(……しかし、今回ばかりは諦めるわけにはいかない……。如何なる困難でも乗り越えてみせる!)
いきなりの展開にも、シュヴァリエの反応は早かった。僅かの躊躇もなく、グレイスより先に全速力でオオトカゲから逃げだした。
「ああ!! ちょっと待って! 置いてかないでよぉ!」
「ベルトレ!! お前と言う奴は毎度毎度! どうしてこう厄介事を起こす!?」
「うわ~ん! 私の所為じゃないよぉ!」
「お前は、アレの生態を知っているのか!? 一度、獲物として見られたら……」
「どこまでも追ってくるんでしょ~!!」
「――その通りだ! なら、後はやるか、やられるかだ!」
オオトカゲから十分に距離を取ったシュヴァリエはその場に立ち止まり、背中に背負っていた筒を構え振り返る。それはまさに、こんな時の為に用意しておいたものであった。
「
「え? わきゃあぁー!」
シュヴァリエの怒号が発せられた瞬間、弾かれるようにグレイスは横っ飛びに跳んだ。ふわりと舞ったグレイスの後ろ髪を、銀色の光が掠めて飛んでいく。
同時、苦悶と怒りに満ちた獣の咆哮が上がった。
――――――!!
坑道全体を揺るがす咆哮が、鼓膜を通して骨まで伝わってくる。
オオトカゲの尻尾の付け根には、一本の大きな矢が深々と突き立っていた。シュヴァリエが背負っていた筒は、折り畳み式のボウガンだ。並みの獣ならば数発ほど矢を撃ちこんでやれば動きを鈍らせることができる。
しかし、この攻撃でいきりたったオオトカゲは俄然、牙をむいて躍りかかってきた。
「わ――!? ちょ、ちょっと、シュヴァリエ! ボウガンなんか使って! かえって怒らせただけじゃない!!」
「いいから伏せていろ! 当たるぞ!」
立て続けに矢を放つシュヴァリエ。再び、一条の煌きが闇を裂いて飛来する。
……ぼっ!
金色の髪が一房、きらきらと輝きながら地面に舞い落ちた。堪らずグレイスは抗議の声をあげる。
「ひゃああぁ!! ……わざと……!? 今のわざとでしょっ……!? シュヴァリエ!!」
「誤差範囲内だ! 動かずに黙って這いつくばっていろ!」
シュヴァリエは抗議の声を無視して、矢を放ち続ける。その内の一本がオオトカゲの前足に突き刺さる。
再び、獣の咆哮――。この一撃は、かなり効いたらしい。オオトカゲの動きは途端に鈍くなる。グレイスはこの隙に慌てて立ち上がると、近くの横道へと逃げ込んた。
「――!? おい! そっちには行くな! 戻れ! ……くそ、間抜けめ……!」
シュヴァリエの制止も、必死に逃げるグレイスの耳には届いていなかった。数秒遅れで、オオトカゲもまたその坑道に走りこんでいく。仕方なく、シュヴァリエも後を追って横道へと走りこんだ。
◇◆◇◆◇◆◇
単調な一本道が続く。心身の疲れ果てたグレイスにとっては、何も考えずに走り抜けられるこの一本道は楽だったろう。しかし、彼女の疲れた頭では、どこまでも続くその一本道が、他に逃げ場のない道である事を理解するには少々時間が必要だった。
――もっとも、この坑道に入り込んだ時点で逃げ場がなくなっていたことは、行き止まりに辿り着けば嫌でも気づかされることであったが。
「……先が、ない」
ずるり……、ずるり、と。地を這う音がグレイスの元に近づいていく。
ランプの灯りはほどなくオオトカゲの巨体を照らし出し、血走った目玉をあかあかと間近に見せつける。
――憐れグレイス。彼女はとうとう坑道の袋小路に追い詰められた。
猛々しく息を吐く獣は大きく口を開き、獲物を長い舌で巻き取ろうか、それとも鋭い牙で噛みつこうか、低い唸り声をあげてゆっくりと考えているようにも見えた。
「は。はは……もう駄目……。父様、母様……。先立つ不幸をお許しください……!」
……グゥウ……ブグウゥウ……。
「…………?」
目前まで迫っていたオオトカゲは、ひたすら不気味な唸り声をあげるばかりで、いつまで経ってもグレイスには襲いかからない。だらしなく大口を開けて、喉の奥から獲物を捕らえる舌ではなく、多数の小さな
「な、何しているの……このトカゲ……?」
……ぴくり、と。グレイスの声で僅かに反応はあったものの、オオトカゲの意識はもうグレイスに向けられてはいなかった。よく見ればその眼球は完全に白目を剥いており、足は自重を支えきれていないのか小刻みに震えている。
「あっ――」
息も絶え絶えな状態のオオトカゲはまもなく膝を折り、首を落として体を地に伏し、そのまま二度と起き上がらなくなった。
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