第24話 逃走と追走

 ネヴィア鉱山、炭坑跡。その薄暗い坑道の出入り口を塞ぐオオトカゲを前に、アンリエルとグレイスは袋小路にはまって身動きが取れないでいた。


「……あのトカゲ、なんとか鞭で追い払えませんか?」

「むむむ、むり無理っ……! あんな固そうな皮膚に、鞭なんて効かないよ……!」

 オオトカゲは磨き上げられた金属甲冑の如き鱗を、音もなく揺らしながら二人に近づいてくる。その歩みに迷いはなく、獲物を追い詰めた捕食者の余裕すら感じられた。


「あっちの方から近づいてくるって事は……人間を恐れていないんだ……」

「むしろ食べがいのある餌、ぐらいにしか見ていないのかも知れません……。舐められたものです。トカゲなどに見下されるとは……」

 注意深くオオトカゲの動向を観察しながら、アンリエルは胸元のポッケを探って、小さな袋を取り出した。

「アンリエル……それは?」

「ものは試しです。グレイス、呼吸を止めていてください……!」


 ――言うが早いか。アンリエルは袋の口を破ると、中に入っていた黒っぽい粉末をオオトカゲの鼻先に向けて撒き散らした。オオトカゲは怯まず前に進んできたが、粉をまともに吸い込んだのか、ガフガフ……と身をよじりながら鼻息を荒くする。

 次第に身のよじれは大きくなり、地面に鼻先を押し付けたり、尻尾を無駄に叩きつけたり、ついにはその場でごろごろと転がり始めた。


「あ! 凄い、アンリエル! 効いているみたい! いったい何を投げつけたの!?」

「ただの胡椒です。さ、今のうちに……。何とか脇を通り抜けて、外へ出ましょう」

 じたばたと地面でのた打ち回るオオトカゲを尻目に、二人は出口に向かって真っ直ぐに走る。だが、なおも暴れ狂うオオトカゲは長大な尻尾を振り回し、横を通り抜けようとしていた二人を、偶然にも尾の先端で強烈に引っ叩く!


「うわわ!?」「……く……!」


 二人まとめてオオトカゲの尻尾に弾き飛ばされ、すぐ脇の横道に転がされてしまう。

「――しまった! 出口はこっちじゃないよ!」

 慌てて立ち上がり、元の道から出口を目指そうとしたが――。


 ……ガアァァア……!


 既に獣は目の前に立ち塞がり、怒りに満ちた咆哮をあげている。

「ふえぇ……! ものすごく怒ってるぅ……」

「……もう残された道は、後ろに一つしかありません……」

「でも……!? この先に出口があるとは限らないよ……?」

「では、アレと戦いますか?」

「――逃げよう!」

 二人とも逡巡はしなかった。


 ぐずぐずしていては、ついさっき食べられてしまった小さなトカゲと胃袋の中で御対面になってしまう。アンリエルはグレイスに手を引かれながら、一目散にオオトカゲから逃げ出した。


 ……ガアッ! ……ガハアァアッ……!


 オオトカゲもまた逃げ出した獲物を追って走り出す。巨体に似合わず素早い動きで、地を滑るようにして追ってくる。

 それでも胡椒が効いているのか、オオトカゲは蛇行しながら壁に何度も体をぶつけていた。そうでもなければ、二人は簡単にオオトカゲの餌食になっていただろう。ランプで暗闇を照らしながらの逃走が、どうにも全速力を出し切れない足枷となっていた。


(……このままだといつか追いつかれますね。今は走り続けるしかありませんが……)

 逃げ切れないとわかっていても、止まったらその場で食われる。少しでも生き長らえたいと思うのなら、ひたすら走り続けるしかなかった。


 ◇◆◇◆◇◆◇


「……はあっ……ふうっ……はぁっ……!」

 坑道は奥へ進むほど複雑に入り組んでいた。無計画に炭坑を掘り進めた結果、人工の巨大洞窟が出来上がってしまったのだ。この先に出入り口が存在するのか、あるいは突然に行き止まりとなっているのか、坑道の奥まではランプの光も届かない。


「ひい……ふひぃ……」

 グレイスが後ろをふり返り、ランプの灯りを差し出すと、少し離れた場所に青緑色に光る物体が蠢いていた。それは確実に逃げ回る獲物との距離を詰めてきているようだった。


「わーん! まだ追ってくる! しつこいよぉ!」

「……それはたぶん、そういう習性なのでしょうね……。これも図鑑に載っていた話なのですが……一度狩りの相手とみなした獲物は、あきらめずに数十キロメートルでも、何日間でも追い続けていくそうです。特に冬眠前の時期は、獲物にありつける機会が少ないので、大型の動物を捕食して食いだめするとか……」

「最悪――!! 聞きたくなかった!」

 グレイスは聞いた後から耳を塞いでいるが、もはや意味などない。ひょっとしたら途中で諦めてくれるかも……という淡い期待まで打ち砕かれ錯乱しているのだろう。


「グレイス、今はそんな泣き言を口にしている場合ではありません。走って――あ」

「アンリエル!?」

 アンリエルは地面に突き出した岩に躓き、足をもつれさせた。勢いあまって受け身も取れないまま固い地面に倒れこむ。

 立ち上がって再び走り出そうとしたが、力の抜けるような鈍い痛みを我慢できず、足を崩して座り込んでしまった。


(……これはいけません。とても走り続けることはできそうにない……)

 体力も限界に近い。大量の汗が柔らかな髪を濡らし、息も絶え絶えだった。

「ここまで、ですかね……」

 アンリエルはついに覚悟を決めた。

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