第22話 アレを求めて
探索、第一日目。昼過ぎから始めた探索作業は、日が落ちる夕方まで続けられたが、目当ての植物を発見することは出来なかった。
「……変わった植物はたくさんありました。描きとめたものがあります。見ますか?」
「ああ……! 助かるよー、アンリエル。見せてもらうね?」
既に日は落ちて辺りは暗い。焚き火の明かりに照らし、詳細に描かれた植物の観察図を一枚一枚確認していく。アンリエルの観察図は実物に忠実で、葉の先端から根元まで細かい描き込みがなされている。
「どうです、この中にありそうですか?」
「うーん……。たぶん今の時期だと、秋咲きの花が付いているはずなんだけど……」
残念ながらそれと思われるものは、観察図の中には見当たらなかった。
「こう……薄紫色で釣鐘状の花。目立つから、あればすぐに見つかると思うんだよね……。この辺りには生えてないのかな……」
「花は付いていなくとも実験材料には使えるのでしょう? でしたら、他の特徴に注意して探してみては? 見逃しているのかもしれません」
「他の特徴と言うとね……、んと、茎はなくて、丸みを帯びた葉が根元から、放射状に生えているらしいの。根っこにも特徴があるんだけど……こればっかりは抜いてみないとわからないかな」
「なるほど……、それはちょっと難しいですね。やはり花を目印に、探索範囲を広げた方が良さそうですね」
「うん。明日は……キャンプをもう少し、川の上流に移動して探してみよう!」
探索、二日目。昨晩はアンリエルの持病が出る前に寝付けた。そのおかげでこの日は朝早くから活動することができた。まずはキャンプの場所を上流に移し、それから昨日と同じように森の中を探し始めた。
――しかし、この日は丸一日歩き回って収穫なし。
ずっと下を向いて探し回っていた為、腰が痛くなってしまった。また、これだけ探し回って収穫なしという事実が、肉体の疲労よりもグレイスの精神をすり減らしていた。
「アンリエルの方でもそれらしいのは発見できず……かぁ」
「今日一日だけでも、かなりの種類の植物を描きました。その中にもないというのでは……。何か、何か見落としていることはありませんか、グレイス? そもそもこの辺りには自生していなかったとか……」
考えたくはなかったが、その可能性もあり得るとグレイスは思っていた。自生地の載っていた文献は比較的、図書館に置いてある他の本よりも新しいものだったが、それでも五年以上も昔に書かれた本だ。既に、この辺りの地域では全滅してしまったのかもしれない。
「弱ったなぁ……」
「弱りましたね」
……弱りきった二人を前に、焚き木の一本が虚しく音を立てて爆ぜた。
探索、三日目。……見通しが甘かったと言わざるをえない。更に上流に移動して探したものの、目当てのものは一向に見つからなかった。
探し始めて既に数時間が経過し、もう日が落ち始める時間になってしまった。
「うあー……。くったびれたぁ。あー……アンリエル? ちょっと休憩しようかー!」
アンリエルも植物ばかりを描くのには飽きてしまったのか、今は森にいる昆虫や小動物を探しては追い回し、虫取り網で捕獲してからじっくりと写生を行っていた。ここ数日で実に逞しくなったものである。
「先に休んでいてください……! 一区切りしたら私も休憩します……!」
……ちなみに今は憐れなコガネムシが一匹、近くの小枝に紐で縛り付けられている。
「……ふう。…………ふあ。……あー……それにしても全く収穫がないのは……辛い」
――せめて、実験に使えないような小さな株ひとつでもいい。ここに自生していることだけでも確認できれば希望は繋がるというのに。
「グレイス! こっちへ来てください! 見てください!」
突然、森の奥から興奮した様子の声が聞こえてくる。
「! どうしたの、アンリエル!? まさか……見つけたの!?」
――ついに見つかったか! グレイスは期待を胸に、アンリエルのいる森の奥へと飛び込んでいった。すぐそこに、地面の一点を指差しながら、手を振っているアンリエルがいた。そして、その指し示す先には――。
「見てください! こんな所に変なトカゲがいます!」
『シャハッ! シャハァァー!!』
ずしゃあぁぁ……っ、と体を滑らせて、グレイスは顔面から近くの藪に突っ込んだ。
トカゲは威嚇しているのか、それとも枝からぶら下がったコガネムシに食いつこうとしているのか、口を大きく開けて乾いた鳴き声をあげていた。
尻尾までを含めた全長は約三十センチメートル。金属光沢を帯びた青緑色の鱗をちらつかせ、口の中の鋭い牙を必死で剥きだしにしている。
「……これは珍しい。……こんな生き物がネヴィア鉱山に生息していたとは……あ!」
青緑色の鱗をきらきらと光らせて、トカゲは素早くその場から逃げ去ってしまった。
「あーあ……行ってしまいました。グレイス……勿体無いことをしましたよ。あんな珍しい生き物はめったにお目にかかれません。できれば捕獲してじっくりと観察したいところでしたが……。……グレイス? なぜ藪の中に頭を突っ込んでいるのです?」
「もう、疲れたぁ……! ううぐ……」
探索、四日目。この日は雨だった。
「今日は森の中も視界が悪くなっているし、無理して探索を行うのはやめとこうか?」
「はい。この雨では紙が濡れてしまって、絵も描けませんしね」
空は真っ暗で、朝から強い雨が降り続いている。テントは川から大分離れた場所、それも地盤のしっかりした岩場に移動した。移動の際に体が濡れてしまったので、グレイスとアンリエルはテントの中で体を拭き、二人とも乾いた服に着替えを済ませた。
今は山歩きの服装とは違う、厚手のゆったりとした衣服を着て寛いでいる。
「そういえば山に入ってから……こんなにのんびりと休んだのは初めてだね?」
「ええ。連日、森の中を歩き回ってばかりでした」
「がんばった割には成果がなかったけど……」
「確かに手詰まりの感はありますね。そう考えると今日の休みは好都合かもしれません。一度、冷静になって探索の方針を練り直せます」
探索方針の練り直し。それは確かに必要だった。ここまで探して見つからないとなると今までの延長で探し続けたとして目的のものは発見できそうもなかった。
「それではまず、今日までの行動を振り返ってみましょう。地図と照らし合わせて、どの辺りにどのような植物があったか。参考になるかはわかりませんが……」
これまでの三日間でアンリエルが描き溜めた観察図を地図の上に広げてみる。
「確認できたものだけで言うとね、何処の場所にも必ずある植物が数種類……、分布地帯が疎らで何度か見かける程度のものなら十種類くらいかな。他、数十種類の植物が行く先々で新たに確認されているけど……」
「どれも全く異なる種の植物です」
「うん。そうだね、その通り」
「…………」「…………」
――考察、終わり。
「うなぁー! 駄目だ! だめぇー! 新しい方針、何も思い浮かばないよぉ!」
「……仕方ありません。ここは初心に戻って、文献を洗いなおしてみましょう」
ザックの中から一冊の植物図鑑と、図解・珍しい植物を引っ張り出して読んでみる。だが、今更新しい発見など――。
「あ」
「何かわかりましたか?」
「ううん……。ただ、ちょっと気になったことがね……。今日までに森の中で見つけてきた植物は、皆、背丈が高い植物なんだよね……」
先程、地図の上に広げてそのままになっていた観察図を、遠くから眺めた瞬間に気づいたのだ。どの植物もそれなりに背丈が高く、茎もないような背の低い植物はほとんど生えていなかった。
「そう言われればそうですね。背の高い植物ばかりなのは何故でしょうか?」
「何故ってそれは……」
――考えをめぐらせて。さして時間もかからぬ内に、グレイスはある一つの簡潔な理由に到達した。
「あぁー……!! しまった……。そうか、そうだ! 背の高い植物の方が有利だから、背の高い植物しか生えていないんだよ!」
「……それは、何がどう有利なのです?」
「背が低い植物は、森の中じゃ背の高い植物に邪魔されて、陽の光を十分に浴びることができない! だから、森の中にはないんだよ!」
「……素晴らしい。それです! 今になってそのように冴えた考察に至るとは――」
アンリエルはグレイスの手を取って立ち上がり、まっすぐにその目を見てはっきりと言い切った。
「――馬鹿ですか、あなたは。何故、今の今までそのことに気づかなかったのです?」
「うあう、あう……。だよねぇ~……えぐっ」
四つん這いになって脱力するグレイスと、見下すように冷ややかな視線を送るアンリエル。ともあれ、これで次の方針は決まった。
例の植物は背が低い。だから、森の中では生存競争に生き残れない。ならば、自生地はネヴィア鉱山でも、日光を遮るもののない陽当たりがよい場所でなければならない。故に、木々のあまり生えていない草地を探した方が見つかるはずだ。
「……ここから少し山を登れば、炭坑の跡地があるの。山の中腹辺りはずいぶん昔に炭鉱開発で木々が伐採されているから、背の低い植物にはうってつけの成育環境になっているはずだよ」
「ようやく希望が見えてきましたね……。雨も弱まってきていますし、明日が勝負です」
「うん! 必ず見つけてみせる! ここ三日間の努力を無駄にしない為にも!」
「この三日間はどう考えても骨折り損だったと思いますが……。……ま、観察図もたくさん描けましたし、良しとしておきますか……」
探索、五日目。日が落ちる前に、二人は山の中腹にある炭坑跡地へと到着していた。
……もう大分昔のこと、石炭を掘り出しても採算が取れなくなった上に、炭坑内での爆発事故が重なったことで、ここネヴィア鉱山の炭鉱は閉鎖された。今ではすっかり寂れてしまい、舗装されていたと思われる砂利道も完全に草で覆われている。
「……グレイス。この植物は……今までに見たことがない種類です……」
その草地で探索を始めて、ものの五分と経たないうちに、アンリエルが見たことのない植物を発見した。それは、茎がほとんどなく、丸みを帯びた葉が根元から放射状に生えていた。加えて、黄色く丸い果実を複数くっつけている。
「うん……。花はないけど……もしかしてこれ、もしかするかも……」
グレイスはアンリエルの隣に這いつくばり、革製の手袋をはめた手でその植物の葉をそっと包みこんでから、根の周りの砂利を丁寧に取り除いていく。
掘り出されたその植物の根は、主根の真ん中辺りがやや紡錘形に肥大し、先端は捻じ曲がりながら伸びていた。グレイスはその根を慎重に布で包み込み、地面に置いてから改めてよく観察する。
「どうですか? これに間違いありませんか?」
アンリエルは植物の写生を手早く行いながら、興味を抑えきれない様子でグレイスの反応を窺った。
五分ほど観察を続けていたグレイスは、やおらその植物の果実を一つ捥ぎ取り、指先で押し潰した。果実は柔らかく簡単に潰れ、地面に液状の中身をぶちまけた。
「うん、間違いない。これだ……やっと見つけたんだ。……今日までずっと探してきた……。これに違いないよ!! アンリエル!」
「間違いないのですね!? ではこれが、あの噂に名高い有毒植物――」
『マンドラゴール!!』
グレイスとアンリエルが歓喜の声で、二人同時にその植物の名をあげる。
――マンドラゴール。ナス科に属する多年草で、根は太く、極めて強い毒性を持つ。根の毒成分を摂取すると吐き気を催したり、幻覚を視たりする。場合によっては死に至ることもあるほど強力な毒だが、少量であれば解熱、鎮痛の効果もあり、麻酔薬として利用されることがある。
「やったぁー……! これで、何とか実験ができる! ありがとう、アンリエル! 私一人じゃ、多分見つけられなかったよ!」
「礼には及びませんよ。私も一人では山登りの経験など、できなかったでしょうから」
「ううん、それでもお礼は言わせて! ありがとー!!」
飛びついて、抱きついて、グレイスはアンリエルの頬にキスまでしてしまう。
「ひや……。グレイス!? や、やめてください……そんなお礼など……」
「んー……ちゅっ! んー……」
……キスの嵐はグレイスの気が済むまで何度も続けられた。
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