第105話 ある日のとある授業風景
「グゴー…!グゴー…!グゴー…!」
「…?」
その日、教壇に立っていたアルベール学校長は我が耳を疑った。
ひそひそ…。
ざわ…ざわざわ…。
授業中に鳴り響くには、かなり相応しくない、人間が発する
教場の他の生徒たちも、その音を聞いて色めき立つ。
今日は学校長が直々に出向いての王国史の講義。
彼はフェニックスクラスとホワイトタイガークラスの2クラスの担当で、今日はフェニックスクラスの生徒たちに講義を行っていた。
内心では、“なぜわざわざ学校長自ら、小童どもに講義など…”と思ってはいたものの、カリキュラムにあてがわれているのだから仕方がない。
その上、しばらく留守にしていた
また横の教場では、彼と同じようにサイモン教授が、ブラックタートルクラスに講義を行なっている。
“きっとサイモンはいつもどおり、
彼は心の中で密かにそう思った。
顔にこそ出さないが、彼は平素から、サイモン教授のよく言えば真面目、悪く言えば少々融通の利かない四角四面なところが気に入らなかった。
さらに日課時限終了後、魔法技術や卒業後の進路、果ては人間関係や恋愛相談に至るまで、様々な青春の悩みを抱えた生徒たちの相談に乗っていることに関しても、内心では時間の無駄だと切り捨てていた。
だがそれは、客観的かつ忌憚のない見方をすれば、厳しいながらも愛のあるサイモン教授への生徒たちからの厚い信頼に対する、ただの見苦しい男の嫉妬なのだが。
しかしプライドだけは人一倍の学校長。
今はサイモンのことよりも、学校長たる自分の授業で居眠りを
「クゴー……ゴゴ…ンガ!!?…ンガガァ……グゴー…グゴー…」
学校長の顔が、みるみるうちに怒りで紅潮してゆく。
仮にレインがその表情を見ていたなら、“いやん!お顔が紅潮先生!!”などと揶揄しながら、キャッキャウフフと夕食のオカズにしていたことだろう。
学校長は鬼のような形相で振り返ると、生徒たちの方をキッと睨みつけた。
室内は、後ろの席ほど高い位置になるように設計してある。
こういう居眠りをする者は大概後ろの方に座っている奴だ。
自分が学生時代、いつも後ろの席で居眠りをしていたことは棚に上げ、学校長は後ろから順に、蛇のような視線を生徒たちに絡ませる。
まるで一人ひとり、確実に潰していくかのように。
しかし、いくら後方の生徒たちを確認しても、視界に入ってくるのは、室内に響く大いびきに困惑する生徒たちの顔。
「…(一体どこから聞こえるのだ…?…ま…まさか…!?)」
思い立った学校長は、素早く一番前の座席に視線を向けた。
するとそこには、一番前の一番真ん中の席で堂々と爆睡する1人の生徒の姿が…。
「グゴー…!グゴー…!」
エ…エドガー・キングスソード…!?
よりにもよって最前列ど真ん中でその態度とは…!
ぐぬぬ…!
しかもこれは、居眠りというよりも、もはや熟睡ではないか…!!
カツ!カツ!カツ…!
小声でそうつぶやくと、短い脚をバタバタと動かしつつ、エドガーの元へと足早に近づいてゆく学校長。
「お…起きなさい…エドガー君…。い…今は授業中ですよ…。ほ…ほら…起きたまえ…エドガー君…?」
教場のすみっこにある掃除用具か何かで、しこたまぶん殴ってやりたい衝動に駆られる自らを必死に抑える学校長。
額に何本も青筋を浮かべ、目の横の眼輪筋をひくひくさせながら、今度はエドガーの肩を軽く揺すった。
しかしエドガーは起きない。
…起きないどころか、よだれを垂らして…。
「グゴー!グゴー…へっへへへ…来いよ…レイン…?やって…やん…ぜ……グゴー!グゴー!」
レイン…?
こ…ここ…こいつは…夢を見ているというのか…?
お…大いびきを掻くだけでは飽き足らず……夢…まで…?
プチン…。
学校長の中で何かがキレた。
「くぉら、いい加減目を覚まさんかぁ!!エドガー・キングスソード!!私の授業で居眠りこくとは、いい度胸だなぁ、このガキィ!!」
やおら高く振り上げた、固い握り拳。
それを学校長は、躊躇なく容赦なく、エドガーの頭部に向けて勢いよく振り下ろした。
…振り下ろしたのだが…。
※※※
「はぁ…!はぁ…!はぁ…!くそっ!!」
そこはどこまでも広がる真っ白な空間だった。
大地も、空も、そして地平の果てまで真っ白なその場所で、エドガーは両膝に手を当てて息を切らしていた。
そんな彼から少し離れた場所に、静かに佇立しているのはレインだ。
「どうしたの?もうへばったのかい、エド?ほら、次は殺気100連発の刑…じゃなくて、訓練だよ?…しっかり身体強化をしてないと、またトリップしちゃうよ~?」
いつものとおり、口調は穏やか、顔もにこにこ。
だがその笑顔が逆に恐ろしい。
まさに小さな悪魔といっても過言ではない、底知れぬ力を秘めたレイン。
「ぐっ…、しかし…」
「あれれ?もしかしてもしかすると魔力切れなんて言うつもりかな?エド~…、それじゃあ君、ヴィニーに追いつくどころか、元々天と地ほどにも開いてる差が、もっとも〜っと開いて一周回ってくっついちゃうよ?」
軽い口調でそう言ったレインは、ゆっくりとエドガーに向かって歩き始める。
「くっ…!?」
身体を半身に構え、臨戦態勢を取るエドガー。
「どうしたんだい、エド?いや、エドガー・キングスソード。もう諦めるのかい?いつも言ってるだろう?諦めたら、そこで試合終了だよ?」
それは訓練の折、レインが好んで使う決め台詞。
レイン曰く、心優しい年配の教授か誰かの温かい言葉だそうだが、エドガーにとってはまるで正反対。
この後決まって、一際強烈な殺気を浴びせかけられて気絶してしまう、まさに悪魔の殺し文句なのだ。
「くそっ…!ま…まるで
エドガーは体内の残り少ない魔力を振り絞り、無属性魔力で肉体を超強化する。
そしてレインも、ゆっくりと、だが確実にエドガーに迫り来る。
「エドガー・キングスソードォォ!!!」
「うおぉぉぉぉぉおおおおおおおお!!」
※※※
「しぎゃあああああああ!痛いいい!!?」
アルベール学校長は、右手の拳を左手で押さえながら、後頭部からひっくり返った。
その際頭を強打するも、それすら気にならない程の右手の激痛に、あっちにゴロゴロこっちにゴロゴロ、広範囲に教場を転げ回る。
居眠りをこいていた
達成感と満足感、そして何より生徒の素行にかこつけた愛の鞭という名の、一方通行の暴力で優越感を得られるはずだったのだが。
のたうち回る彼の頭の中でフツフツと沸き上がる憤怒の感情。
だが同時に、1つの疑問もまた湧き上がる。
“鋼鉄の塊を殴ったようなこの感覚は一体…?”
「ごあぁっ!!?」
ガタタン…!
その直後だった。
突然エドガーは勢いよく椅子から立ち上がると、辺りをきょろきょろと見回した。
「……?」
ついさっきまで真っ白な空間でレインと対峙していたはずだが、今現在は何の変哲もないただの教場。
また両隣と後方には、キョトンとした顔でエドガーの顔を覗き込むフェニックスクラスの級友たち。
「…ゆ…夢か?……いや、何だよ、夢かよ!いやぁびっくりしたぜ!なっはっはっはっはっ!!」
なんとエドガーは、後頭部をぽりぽり搔きながら、野太い声で大笑いし始めたではないか。
するとその瞬間。
どっ!
ぎゃははははははは!
途端に、堰を切ったように他の級友たちも大笑いを始めた。
「さすがエドガーだな!あははははは!」
「きゃははは!エドガー君ったら、カッコ悪〜い!」
「わはははは!いや〜、参ったぜ…。おいおい、アイラよぉ。お前なんてもしかして、俺がウトウトしてたの気付いてたんじゃないか?頼むぜ、気付いてたなら起こしてくれよな?」
エドガーは右隣の席に座る、一人の女子生徒に声を掛けた。
「いや、ウトウトどころじゃないし!それに私は何回も起こしたわよ…!?それでもあなた、全然起きなかったんだから!」
「そうか?けどちょっと揺らして起きなかったら、軽く足でも踏んでくれりゃあよかったのに」
「バカね!あなたが寝息を立て始めてすぐ、お腹の辺りをぶん殴ってやったわよ!それでも全っ然起きなかったけどね!?」
「おい!?それはそれでちょっとやり過ぎだろ!?」
どっ!
あっはっはっはっはっ!!
エドガーの言葉に反応したのは、隣のアイラ・ウィルキンソン。
ファーストネームの発音順が災い(?)し、どの授業でも、もれなくエドガーの隣に座ることになってしまう女子生徒だ。
彼女はトレードマークの赤い髪を左右で三つ編みにし、クリっとした大きな青い眼と、うっすらソバカスのある小さな鼻がチャーミングなクラスメイトである。
彼女の実家は農家であり、平民の出ではあったものの、入学後すぐに火の魔法の才能を開花させ、現在もその能力をメキメキと上達させており、フェニックスクラスの新入生の中では1、2を争う有望株だ。
本来この世界において、平民が、ましてや女性が貴族の男性を叱り飛ばしたり、あまつさえ土手っ腹を殴るなどという行為は、絶対に許されるものではない。
よくて投獄の上奴隷落ち、下手をすればその場で惨殺されてもおかしくはないのだ。
だが、ことエドガー・キングスソードに関しては、そんな事態に発展することはまずあり得なかった。
彼は生来、身分の上下や財産の多寡、そして貧富の差など、殆ど気にしない性格であった。
いや、寧ろそれらが原因で、目の前の誰かが不当な扱いを受けるということを毛嫌いすらしているといってもいい。
彼のような特性は、この世界の貴族の中ではかなり異質な方ではあるものの、これはエドガー自身に限ったことではなく、公爵という王家に次ぐ高い爵位を持つキングスソード家そのものが、“優秀であれば身分の差に関係なく重用する”という気質であり、また同家の人間の多くが、おおらかな性格の者で占められているのも、彼のような人格を形成するに至った要因の一つとも言えるだろう。
とにもかくにも、そんなこんなで、誰に対しても分け隔てなく接するエドガー・キングスソードという男子生徒は、いわゆるクラスの人気者なのだ。
「うぉっ!?…そっ…そんなことより、…こっ…校長先生!?涙目の上に地面に座り込んで…一体どしたんスか?」
エドガーは目の前の学校長の姿に盛大に驚くと、颯爽と机を飛び越え、校長の横にしゃがみ込んだ。
無論エドガーは、
「ちょっ…これ、右手の骨折れてるんじゃ…!?…おいおい!?俺が居ねむ…ゲフンゲフン!俺が若干瞑想している間に、一体何があったんだ!?学校長は誰かに襲われたのか!!?」
……!!
クラスメイトたちは誰も突っ込まない。
というよりも、各々笑いを堪えるのに必死で、ほぼ全員が赤い顔でうつむいて、肩を震わせている。
もちろん、お隣のアイラも例外ではなく、赤い髪以上に顔を赤くして吹き出すのを我慢していた。
「しゃあねぇ。事情はよくわからんが、俺が医務室へ運びますよ」
そう言うが早いか、慌てふためく学校長を他所に、エドガーはヒョイと、丸々太った学校長の身体を持ち上げた。
そう、…いわゆるお姫様抱っこの姿で。
「ちょっ…!えっ…!?コッ…コラッ!やめんか!?離せ!離さんか!!」
学校長は、たまらずエドガーの腕の中でジタバタするが、その光景がまたあまりにも滑稽で…。
…ブホッ!
誰かが堪らず吹き出した。
そして。
どどっ!!
ぎゃはははははははははははは!!
教場中に響く、堰を切ったような笑い声。
一度こうなると最早手遅れ。
誰も彼もが笑わずにはいられない。
哀れアルベール学校長。
居眠りエドガーに制裁を加えるつもりが、逆に右手を痛めてしまった挙句、何とも可愛らしい姿で抱きかかえられて晒し者に。
この屈辱に、学校長の怒りは最高潮に達した。
右手の痛みも忘れ、きつく歯を食いしばりながら、さらに顔を紅潮させる。
「あれ、どしたんスか学校長…?なんか顔と…ぷっ…頭皮まで赤く染まって、ぷぷっ…。まさに
「——————ッ!!」
※※※
すわ爆発か!?と思う程に建物を揺らすかのようなこの日一番の大きな笑い声。
隣の教場はおろか、窓の外まで響き渡り、校舎の外にいた教授や生徒たちは、一体何事かと周りを見回した程だったそうだ。
なおエドガーは、この後、当然の如く学校長の大目玉を喰らい、きっちり廊下に立たされるのであった。
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